第5話

私たちはお店を後にして、野本君の車で代行を待つことにした。酔った大人の二人が、話すだけで終わるはずがない。そのまま、私たちはキスをした。


 野本君の慣れた手付き。これまでにないくらいうまい、吐息が漏れる程とろける。一度だけで心まで持っていかれそうだ。


 けど、やっぱり女慣れしてる……。


 と、酔っていても、キスをしていても、セックスの最中でも、いつもどこか冷静な思考で勝手に分析をしてしまう私。

 

 胸に手が伸びたところで、「ホテルに行こう」と囁かれて、私は咄嗟に野本君を跳ね返す。


「ここまでね!」

 理性がブレーキをかけた。


 さっきはアクセサリーの一つでいいよなんて言ったけど、無理無理。野本君は絶対にあり得ない。家庭を持つ私たちは、ただの会社の同僚に過ぎない。お互い浮気していたというのは、それはそれ。


 さっきまでのことが恥ずかしくなって、野本君の顔を見れない。身なりを整えていると、ちょうど代行がこっちに向かってくるのが見えた。


「じゃーね。今日は楽しかった、ありがとう。また職場で」 

 何事もなかったていを装い、私は車から出て勢いよくドアを閉めた。


 代行は一台しか来ていない。「今もう一台向かってますんで」と言われ、野本君が、お先に帰ってくださいと私を促した。

「ありがとう。じゃお言葉に甘えて。お疲れ様」


 車に乗り込んで、野本君を見ようとしたけどもう車に戻っていて、どんな顔をしているのかを見ることはできなかった。


 凄く怒ってるのかもしれない。怖いな……。あることないこと言いふらされたらどうしよう。野本君を悪者に仕立て上げ、自分を卑下する妄想劇。


 そんな事をグルグルと考えてしまう自分が心底嫌になる。


 私は被害者面しながら、相手を蔑み怯えていた。


 出勤してみたら、野本君は何事もなかったように接してくれてい…る?というか、私の経験にはない、想像すらできない第三の行動で私は混乱してしまった。


 あれから、あからさまに私へ気を遣っているように感じる。

「疲れてないですか?」

「コーヒー買ってきましょうか」

「これ、好きかな?ってお土産」

 など。女性扱いにさらに拍車がかかっている。


 悪いことしたなって言う罪ほろぼし的なもの?それとも、セックスできなかったから追っかけてるだけ?もしかして、私が何か言いふらすとでも思っているのかな?でも、そんなことしたら、私の方が叩かれるに決まってるからするわけない。


 これまで私の経験にないことで、思考の処理ができない行動に困惑しつつも、男性から好かれている行為に悪い気はしなかった。


 ジリジリと詰め寄られてる感じがして、ついに私から野本君に聞いてみる。


「あの時のこと、何か気にしてる?全然気にしなくていいから。私も気にしてないし。これまで通り普通で大丈夫だよ」


「あ、うん。いや、そうじゃなくて」


 歯切れが悪い。私は、わけがわからないことをそのままにできない性分で、すぐに答えが欲しくなる。半ば、きつい口調で野本君に詰め寄った。


「何考えてるかわからなくて、混乱するの。言いたいことがあるなら、はっきり言って」


「俺もわからない。あれからずっと気になってて。というか、最初から目が離せないって言うか。自分でも説明しようがない感情でわからない。だけど、もっと話したい。近づきたい。俺を見て欲しい。……好きだから」


「は?」


「あ……、俺中村さんのこと好きなのか」


「……どういうこと?」

 私の理解も、全然ついていかない。


「俺、今気が付きました。中村さんのことが好きなんだってこと」

 

 野本君はスッキリした顔をしているけど、私はさらに意味不明……。私の経験に無かったことで思考回路の回線がない。さらっと告白されても、どうしようもないじゃない。お互い家庭があるんだし。


「好きって言われても……」

 私が言い淀む隙も与えず、野本君がまっすぐと私を見る。

「付き合ってください」


 これを皮切りに、野本君の猛アタックが始まった。


「好きなんだ。付き合って欲しい」

「は?男として見られない。無理」


 ラインでは言ってこない。会議室、残業時間、コーヒーを買いに出た時など、全て直接アプローチ。


「好きなんだ。キスしたい」

「無理!第一、私は好きじゃない。そんな気持ちになれる訳ない」


 それからも野本君は私に好かれようと、お土産やランチのお誘い、仕事も積極的に手伝ってくれる。さらにアプローチの一環なのか、野本君はあれから仕事も人一倍頑張って、なんだか身体つきもがっしりしたように感じていた。


「なんか、最近変わったね」

 私がコピーをしているところに来て、纏わりついてくる野本君に話しかける。


「わかりますか?前に、がっしりした人が好きだって言ってたから、お酒を一切裁って、毎日筋トレに励んでたんです。出張でも、ずっとホテルで筋トレしてたんだ。ちょっと触ってみてよ!」


 私に気が付いて貰って嬉しそう。腕のあたりを触り、胸板を軽く叩いてみた。確かに筋肉がついている。


 そのままでも、女性の目線は野本君に釘付けだったのに、これまでよりさらにがっしりして、抱かれたいと思う女性も増えるんじゃないか?実際、最近は、他の部署の女性が何かと理由を付けては営業一課にくることも増えたように感じる。


 だったら、何も私に拘らなくてもいいじゃない。他の女性なら、すぐに捕まえられるんだから。


 私は、野本君がどんどん私に媚びたような態度になっている感じがして、逆に彼に対して嫌悪感を強くしていた。「それは、心底惚れられてるんだから喜ぶべきでは?」と思うかもしれないが、媚びる姿は、なんかムカつく。言うならば、近藤ちゃんみたいな態度。だから、私は何度も振り続けた。


「タイプじゃない」

「ありえない」

「やだ。いい加減にして」


 私が覚えているだけでも、六回は超えると思う。半年たって、流石に私はかなりのキレ気味で、野本君に言い放った。

 

「もう何考えてるの?私と不倫したいってこと?」

 

「何って……。中村さんの目に、俺を映したいんだ」


 やっぱり、何言っているのかさっぱりわからない。


「野本君のアプローチを断った女性って、これまでいなかったんじゃない?だから、新しい人種に出逢ったみたいで、私をからかってるだけでしょ。私の何が好きなのよ……」


「……匂いかな。どこをどう好きなのかわからないよ。ただ、全てが好きなだけで理由なんてない。セックスで体を重ねたいとか、そういう快楽を求めてるわけじゃない!」

 野本君は酷く困惑して、疲れているように見える。

「どうすれば俺の事好きになってくれる?俺、中村さんを困らせてるだけ?」


 こんなに男性に求められて、嫌な気はしない。野本君はイケメンで、女性にチヤホヤされるような人で、生理的に受け付けないわけでもない。


 でも、今はこんなに好きだって言っているけど、それは最後までセックスできなかったから、私に執着しているだけ。甘い態度で体を許したら、いいように使われる都合の良い女扱をするんでしょ。男なんてそんなもの。どんな私でも、愛してくれる男なんて存在しない。


 私を馬鹿にしないで!


 そうやって自分を守ろうとしているけれど、真の意味は……。


 『誰がなんと言おうと、私には価値がない』


 という根深い闇に支配されていることにも気が付かず、この時の私は、心の底からそう信じきっていた。

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