第3話 無垢なる無職の、汚れちまった悲しみに
あれよあれよと事務所の奥の部屋に押し込まれたうえに服をひん剥かれた挙句に、なぜかあった誰のものかもわからない男物のスーツを着せられ、なすがままに顔をいじくりまわされて小一時間経ったところでわたしはやっと解放された。
「うーん。前々からこういうの似合いそうだなーって思ってたけど、やっぱり似合うわねー真冬ちゃん。あ、いまは真冬くんのほうがいいのかしら? 男装しているのだし、やっぱり雰囲気って大事よね」
ひと仕事終えましたというような感じで、こちらに対してほんわかとした雰囲気の奥から捕食者のごとき気配を匂わせる視線を向けてくる沙織さんである。あの、沙織さんがわたしに対して悪意を持っているわけではないというのはわかっているんですけど、なんか怖いです。色んな意味で。
「いやあ、真冬ちゃんカッコいいですねー。こんなの女子高にいたらそこらにいるメスどもがメスになっちゃいますよ。危うく私もメス堕ちするところでした。この状態のままなんかいい感じのシチュエーションボイスとか出されたら、私もメス堕ち不可避ですね!」
「あの、たぶん女性がメス堕ちって危険が危ないみたいな感じだと思うんですけど」
「なに言ってるんですか真冬ちゃん。メス堕ちというのは概念なので、実際の性別など関係なくメス堕ちすると言われています。古事記にも書いてあったので間違いありません!」
古事記ってすげー。そんなことまで書いてあるのか。昔の人ってすごかったんだなぁ。年上の女性二人にいやらしいことをされたという現実から目を背けたくなったわたしは遠い過去にどうでもいい思いを寄せた。
どちらにしても汚されてしまったという現実は変わらないのでさっさと諦めよう。失った過去よりもこれから来る未来を見たほうが、意識高そうで実際なんかいい感じな気がするしな。
「で、真冬くんなんか変なとこあったりする? 遠慮なく言っていいのよ」
「しいていうなら、胸が苦しいです」
「男装だから、そこは我慢してー。真冬ちゃんスタイルいいし、誤魔化さないとそれっぽく見えないしー、なによりオシャレは我慢だから」
オシャレなんかのために我慢するとか世の中の女子はすげえなあ。前々から思ってたけど、オシャレのためのしなくてもいい不自由をするなんて、もしかしてすごい馬鹿なんじゃないのか? まあ愚行権も現代人に許された権利なので、わたしは他所に度を越した迷惑をかけないならいいんじゃないとしか思わんけど。
「真冬ちゃん。なんかイケメンが言いそうなこと言ってみてくださいよ。私の超レアなメス堕ちするところが見れるかもしれないですよ!」
「嫌ですし、そんなのどうでもいいです」
「やーん。そんなカッコいい見た目で塩対応されたら興奮しちゃう……」
この先輩、メンタルが無敵すぎて手に負えねえ。どうしたらいいんだこの手の無敵の人。いまのうち知恵袋に質問しとこうかな。
部屋を出ようとして、窓ガラスに映った自分の姿が目に入る。
体型は誤魔化せているし、多少離れたところからなら、男と誤認できるくらいの姿に見える。これならぶつかりババアとやらも騙せるかもしれない。怪異というのは
現象ではあるが、物理や化学のように厳密なものではないし、案外適当なものである。確実にうまくいくという保証はないが、絶対にうまくいかないと決まったわけでもない。試してみる価値はあるだろう。うまくいかなかったら男装代としてそのぶん金貰っていけばいいし。
それにしても現代人のメイクってすげえな。ここまで変わるのか。そのうち化粧はげたらバケモンが出てきたりするんじゃねーの?
というわけで年上のお姉さん二人に連れ込まれた部屋から事務室へと戻る。
「おお、秋枝さん。随分と変わったじゃない。宝塚の男役みたいだねー。これでいけるの?」
「うまくいくかどうは、試してみないとわからないんです。とりあえず行ってきますよ」
「その前にちょっとやってほしいことがあるんだけど」
「別に構いませんけど、なんです?」
「せっかくだし、写真撮っとこうよ。ほら、チェキってやつ?」
「……まあ、そのくらいならいいですけど」
わたしはそう返して、適当な椅子を持ってきて源先生の隣に座る。
「いえーい」
ノリノリで自分のスマホを使ってギャルピースで自撮りをする源先生であった。なんなんだこのおじさん。適応能力高くない? 弁護士ってもっとまじめな感じじゃなかったのか? 教えはどうなってんだ教えは!
「これで満足したら、そろそろ行ってきます。ここにいたらいつまで経っても話が進まなそうですし」
例のぶつかりババアが出てくるのは、池袋から西武線に乗って何駅かのところにある。お姉さん二人に身体を弄り回されている間にスマホをいじって調べていたので大体の場所は把握済みだ。ぶつかりババアが出没する付近を適当に歩き回っていればそのうち遭遇できるだろう。
うまくいかなかったときは、うまくいかなかったときに考えればいい。やる前から失敗することを考えるのはうんたらかんたらとかいうサムシングである。たぶん関係ないけれど。なんとかなるんじゃね? 所詮社会なんてそんなものである。複雑なようで案外適当な雰囲気で回っているのだ。
「じゃ、よろしくねー。なんか面白そうなことになったし、秋枝さんの領分じゃなくても手間賃くらいは色付けて出しておくから」
随分とぶっちゃけたこと言うなあ。ま、このくらいで金貰えるなら別にいいけど。明日になったら忘れている程度の、大したことでもないし。
源法律事務所を出て、新宿駅へと向かう。
駅まで歩いている間、普段なら向けられることのない視線が多数向けられた。大都会新宿で真昼間からコスプレして歩いていたらこんなことになるのも不思議ではないだろう。
それは決して愉快なものとは言えないものの、別に我慢できないものでもない。なにより金のためだ。金なんて楽して手に入れば、それだけいいとされている。この程度でいいならそれほど悪くない。
「あー、そこのお兄さん。カッコいいね。うちの店で働いてみない? 稼げるよ」
そんなことを適当に考えながら歩いていると、いかにもチャラそうな男が声をかけてきた。歌舞伎町あたりにあるホストクラブのスカウトの類だろう。
「どうでもいいです。邪魔すると殴りますよ」
いきなり相手からそんな言葉が返ってくることを予想できなかったのか、ホストのスカウトはたじろいだので、そのまま無視して歩き去った。
道端での喧嘩と勧誘を撃退するコツはいかにこちらがイカれているかできるだけ早く見せられるかどうかだ。初手で相手が話しかけたのがヤバいと思ってくれれば、大抵のヤツはそこで退いてくれる。たまにこれで退かないのもいるが、そうなったらそのときだ。どこにいっても一定数、ヤバいのがいることは避けられない。昨今の世の中は多様性というものが重んじられておりますから、そういうこともありましょう。そうなったら仕方ないので戦争ですね。勝つまで殴れば負けないですし。
駅に入っても視線は向けられていたが、先ほどのスカウトのようなの話しかけられることはなかった。わたしのオーラに圧倒されたのだろう。ただ引かれているだけかもしれないが、別にどっちでもいい。結果は同じだ。それなら、過程なぞどうでもいいのだって偉大なるディオ様もそう言っていたしね。勝てばよかろうなのだ。
アテもなくそんなことを考えながら、わたしは電車に乗ってぶつかりババアが出没する目的地へと向かっていった。
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