第12話 心のエネルギー

 そんな、ある日、棚にしまっていた、預金通帳を、銀行で記帳した瞬間、目に飛び込んできた数字に、学は苦笑した。

 「これじゃ、一度贅沢な食事をしたら終わりじゃないか……」

 お金を崇拝している彼にとって、それは、冷水を浴びせられた様な現実だった。


 ーーお金は働けば手に入る。

 だが、問題は、働く場所があるかどうかだ。

 思考が巡る。

 あそこの会社は、どうだろうのか。こっちの会社は? ……

 そんな考えが、脳裏をぐるぐると巡った。


 今のままでは就職は難しい。学ばなければならない。手に職をつけなければ働くことはできない——学はそう信じていた。

 作業をしながら考える。

 「本当に、私は働けないのだろうか……?」



 作業を終え、仲間達と「お疲れさま」と、言い合いながら帰路につく。ふと、職安の建物が目に入る。気づけば足は、その方向へ向かっていた。



 受付で事情を話すと、障がい者枠の番号札を渡され、順番を待つことになった。椅子に腰掛けると、周囲の視線が気になった。

 ーーここにいる人達も、それぞれに不安を抱えているのだろうか。

 そんな事を考えている内に、順番が来た。


 職業相談員は親身になって話を聞いてくれた。説明を受けるうちに、学は自分にもまだまだ、可能性があることを知った。

 「あぁ、こんな選択肢があったのか……」

 驚きと、わずかな希望が胸をよぎった。

 学の興味に基づき、職業相談員はいくつかの候補を絞り込み、数社の求人を提示してくれた。

 ……俺が、いつか身動きが、取れなくなる日が来ることは、知っている。でも、その時が来る前に、世の中の様子を、知りたい……

 


 人生を終える前に、大金を掴み、美味しい食べ物に舌鼓を打ち、見たことのない景色を目に焼き付けたい、女性のすべてを、心から楽しみたい——そんな夢を抱き続けて生きてきた。


 アパートと事業所Mの往復だけの人生なんて、まるで牢獄のようだ。


 「俺は、この思いだけで25年間、生きてきた……。こんな生活でなく、生き馬の目を抜く、世の中で生きて、楽しい事を経験したい、そして、天国にいる、爺と婆と、母に、この世での土産話みやげばなしの一つや二つ、風呂敷に包んで、持って、いかれないのだろうか?」


 学は、ひとり静かに悶絶していた。


 

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