11話 ヴィーの世界


 買い物を終えて港へ行くと、私は船乗り場に向かった。そこで客を誘導している若い船乗りのひとりに声をかける。


「すみません、この船のチケットは現金でなくては駄目ですか?」


「……? 宝石かなにかで支払うってことか?」


「はい。もしお財布を落としたりして、手持ちがなくなってしまった場合はどうなのかな、と疑問に思いまして」


「そりゃあ金になんなら、こっちは願ったり叶ったりだが、高くつくぞ?」


 宝石の価値より、チケット代の方が安いからよね。でも、構わない。現金は用意できないし、宝石での支払いが可能かどうかが重要だったから。


「そうですか。ありがとうございます」


 軽く会釈をして、私は船乗りから離れる。それからタラップが見える場所まで移動して、乗船していく客たちを観察した。


 大型船なだけあり、客の数も多いわね。これなら平民に変装をすれば、簡単に紛れられそうだ。


 下見も出来たことだし、ふたりを探そう。そう思って港を歩いていたら、割と早くヴィーとグリフ公爵が並んで海を見ているのを見つけた。


 私はこっそりヴィーの後に忍び寄る。グリフ公爵はすぐに私に気づいたが、なにをしようとしているのか察してくれたらしい。黙って知らぬふりをしていてくれた。


 私は静かにしゃがみ、ヴィーの顔の横から、にゅっと先ほど買ったテディーベアの手を出す。


「わっ」


 驚いて振り返ったヴィーに、私はテディーベアで顔を隠しながら喋りかける。


「こんにちは、ヴィー。僕とお友達になってくれる?」


 テディーベアの両手を動かしながら、キャラになりきって声を出した私は、クマの横からひょいっと顔を出した。


「おかあさま、これ……」


 太陽の光を浴びたビー玉みたいな瞳で、ヴィーはテディーベアを見つめている。


「ヴィー、覚えておいて」


 貴族令息足るものと、孤児出身だからと、ヴィーはそれに見合った振る舞いを強要されてきた。私は誰かがあなたに押し付けた世界が垣間見えるたびに切なくなる。


「私はヴィーの好きなものを知りたい。あなたと同じ世界が見たいの」


 テディーベアの手でその頬を包み込めば、ヴィーは小さく笑う。


「……はい、おかあさま」


 また少しずつ、縛られたヴィーの心をほどいていこう。


 そう心に決めて、私はヴィーにテディーベアを手渡す。その様子を、グリフ公爵は優しい目で見守っていたのが印象的だった。


「なまえ……」


 ぽつりとヴィーが言う。よく聞き取れなかったので、私は「ん?」と耳を寄せた。


「なまえ、つけたい」


 それを聞いた瞬間、私は見を見張った。


 自分がしたいこと、初めて言ってくれた……!


 私は抱きつきたい衝動をこらえながら、大きく頷く。


「いいわね! なにがいいかなあ?」


「レッティー」


「可愛い!」


 まるで初めから決まっていたみたいに、ヴィーはテディーベアの名前に少しも悩まなかった。それに若干驚いていると、グリフ公爵がなにかに気づいたような顔をした。


「なるほど、ロレッタ夫人とヴィーの名前からつけたんだな」


「え……」


 そうなの? と私はヴィーを見る。ヴィーはこれまた迷わず、首を縦に振った。


 まさか、私の名前を入れてくれるなんて……。


 両目から、蛇口が壊れたみたいにダバーッと涙が出た。


「ロレッタ夫人!?」


 グリフ公爵はぎょっとして、ハンカチを渡してくれる。


「ありがどうございまず……ほんと、うちの子が可愛ずぎてづらい……」


「……っく」


 なにが可笑しいのか、グリフ公爵が噴き出す。


「……グリフ公爵、前々から思っていたんですけど、私を見て、結構な割合でそうやって笑ってますよね?」


「……すみません。いちいちツボなもので」


「そんなグリフ公爵のツボを刺激するようなこと、してないと思うんですけどね」


 私と公爵が話していると、ヴィーが私の服の袖をついついと引っ張った。


「おかあさま、あの……」


 ヴィーは俯いて、もじもじしている。私が首を傾げると、ヴィーは勇気を振り絞るかのような顔で口を開いた。


「レッティーのリボン、ほしい……です」


「あ……」


 嘘……今、私におねだりを? 遠慮ばかりして、なかなか甘えられなかったヴィーが、私におねだりを!?(二回目)


「ええっ、そうね! きっと、もっと可愛くなるわ! さっき、その子を買ったお店にお洋服もあったから、なにか着せてあげましょ? レッティーが寒くて風邪をひいてしまわないように」


 頷くヴィーに、私のほうがうきうきしてしまう。


「それなら、俺に買わせてほしい」


 グリフ公爵はそう言って、ヴィーの前に片膝をつく。


「好きなだけ、選ぶといい」


「グリフ公爵……いいんですか?」


 ミルフォード家では歓迎されていないヴィーによくしても、グリフ公爵にはなにもいいことなどないはず。それなのに……。


「ヴィーを見ていると……なにかをしてやりたくて、しかたなくなるのです」


 そう言ったグリフ公爵の眼差しはどこか寂しそうで、目が離せなかった。


 それから三人でテディーベアのお店へ行くと、グリフ公爵は本当にたくさん、それこそ『端から端までください』みたいな勢いでレッティーの服を買ってくれた。


 私以外でヴィーのために贈り物をくれた人は、義父であるジレでも祖父母のお義父様やお義母様でもなく、グリフ公爵が初めてだった。

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