春、彼女は感染していた

@nyapsody

第1話 春、彼女は感染していた

教室の窓から、春の光が差し込んでる。

だけど、俺の席の隣だけ、ぽっかりと空いたままだ。


「なあ、先生。……小田って、戻ってくるんすか?」


ホームルームのあと、俺は担任に訊いた。

返事はなかった。黒板を消してた手が、一瞬止まっただけだった。


小田実緒。俺の隣の席で、やたら字がきれいな女子。

プリントの余白に落書きしてくるくせに、提出するときはちゃんと消してくるやつ。

保健委員で、放送係で、でも遅刻魔。笑うと八重歯が見える。


三学期の頭から、来なくなった。


その日からずっと、教室には“実緒の不在”が居座ってる。

彼女の机の上には、時間割の紙が貼られたまま。配られたプリントが少しずつ積もっていく。


「……じゃあ、俺が届けます。プリント」


先生はそれだけ言って、黒板を拭き続けた。

残ったチョークの粉が、春の光でぼんやり煙ってた。


──


保健室のベッドで、彼女は泣いていた。


「クラミジアって……知ってる?」


俺は言葉に詰まって、ただ頷いた。

でも実際は、スマホで検索して初めて知った。


尿道炎、腹痛、不正出血、おりもの増加──。

知らなかった。ほんとに、俺は何も知らなかった。


「キスじゃうつらない。でも、セックスではうつる。

つまり、そういうことしたから、うつったってこと」


実緒は自分のことを、ゴミみたいに笑った。


「……俺、別に気にしない」


「ウソ」


「いや、マジで。俺、性交って漢字も読めるようになったばっかやし」


「ぶっは……なにそれ」


声にならない笑いが、保健室のカーテンを震わせた。


──


実緒は、言った。


「ねえ……私、見てみる?」


「何を?」


「私の身体。“クラミジアの女”って、見た目じゃわかんないよ?」


布団の中、スカートの影がゆっくりと動いた。

彼女は、静かにスカートを捲り、パンツのゴムに手をかけた。


「気持ち悪くてもいい。でも、ちゃんと見てくれたら、ちょっとだけ……楽になれる気がする」


俺は見た。

そして、震えながら言った。


「……きれいだと思う」


──


その夜、ふたりは保健室で繋がった。


コンドームを使った。棚にあったやつを、こっそり拝借した。

互いに初めてのはずなのに、なぜか怖くなかった。


けれど。


「……あれ?」


「……なに?」


「破れてる……かも」


「……ウソ」


「マジで」


布団の中で、静かに凍りついた。

数秒後、実緒が小さく笑って泣いた。


「……私、クラミジアだよ?」


「知ってる。でも……受け止める」


「バカだな、あんた」


その言葉が、泣きながら一番やさしかった。


──


春休み、泌尿器科の待合室。

制服姿の俺と、春色カーディガンの実緒が並んで座ってた。


「まさか本当に来るとは思わなかった」


「そっちこそ」


「……バカだな、やっぱり」


「うん。でも、そっちもな」


実緒が、そっと俺の手を握った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る