7.真相
まず最初に引っかかったのは、「時間」だった。
第一発見者の篤志はともかく、慎也・宏斗・マネージャーの三人には、それぞれ【3分】の自由な時間があった。K の言う通り、殺害と遺体の隠蔽を行うには、不可能ではない時間だ。
だが、現実はそう単純ではない。
絞殺に 1分、遺体の隠蔽に 1分――確かに、理論上は 3分で完了できるかもしれない。
だが実際には、控室に入り、凶器を手にし、まっすぐ淳のもとへ向かい、躊躇なく首を絞め、死亡を確認し、さらに重い遺体を引きずってロッカーへ隠す……。
やるべきことが、あまりにも多い。それを一切の迷いもなく遂行できる人間が、果たしているだろうか?
それが「できない」と考えるなら、3分間ですべての犯行を完了した、という仮定自体に無理がある。
では、実際に現場では何が起こっていたのか?
慎也、宏斗、そして篤志――この三人が犯人でないことは、すでに確認済みだ。
ということは――そう、犯人はマネージャーだ。ここまでは、K の推理も的を射ている。
だが、この事件はそれだけでは終わらない。他の三人の思惑が絡み合った、極めて複雑な構造を持つ事件なのだ。
順を追って、説明していこう。
◇
まず、殺人計画を最初に立てた人物――それは慎也だ。
凶器となるロープを事前に用意し、控室を念入りに下見していた。
だからこそ、ハンガーラック、ロッカー、ペットボトル――慎也は、現場の様子について異常なほど詳細に証言してしまった。細心の注意を払い、準備し、隅々まで見て回っていたからだろう。
遺体のポケットに入っていた遺書も、計画的犯行でなければ事前に用意はできない。つまり、遺書を用意したのも慎也だ。
慎也は、淳を自殺に見せかけて殺害するつもりだったのだ。
しかし、慎也にとっての最初の誤算が起こる。それは、篤志の行動だ。
篤志は、睡眠薬入りのウーロン茶を淳に渡していた。本人の証言によれば、これは練習に遅刻させて恥をかかせるための、ちょっとした悪戯に過ぎなかった。結果として、淳は控室に戻って眠り込んだ。
その結果、遺体には「睡眠薬」という不自然な痕跡が残ることになった。
だが、慎也はこの誤算を逆手に取ろうと考えたのだろう。
「淳の様子を見てくる」と口実をつけて控室に向かい、荷物から用意していたロープを取り出して、殺害の機会を窺った。
ここで、二つ目の誤算が発生する。マネージャーが、控室まで様子を見に来てしまったのだ。
戻りが遅いことに業を煮やした宏斗がマネージャーを送り出したわけだが、これは慎也の想定よりずっと早かった。
慎也はやむなく犯行を断念し、ロープをその場に置いたまま控室を後にした。
マネージャーとすれ違い、犯行の機会を完全に失った彼は、そのままスタジオへと戻ることになる。
慎也がこの時点で殺害を実行しなかったことを裏付けるのは、被害者の首元に残っていたロープの痕跡だ。
慎也は、淳を自殺に見せかけようとしていた。であれば、上から吊り上げるような形で――たとえば控室にあったハンガーラックを使って――殺害するつもりだったはずだ。
しかし、実際に残っていた痕跡は水平で、明らかに他殺であることを示していた。これは、慎也の仕業ではありえない。
さて、ここで視点をマネージャーに移そう。
マネージャーは、慎也の「淳は眠っていた」という言葉を受け、念のため様子を見に行ったのだろう。そこで目にしたのは、無防備に眠る淳と、その傍らに置かれたロープだった。
篤志の証言によれば、淳は日常的に「殺すぞ」といった強い言葉でマネージャーに圧をかけていたという。殺される前に殺さねば――そんな切迫した思いが、彼の中にあったのだろう。
もしかすると――慎也が凶器として用意し、そこに置いていったロープは、すでに眠っている淳の首元にかけられていたのかもしれない。
衝動的な犯行だったのだろう。マネージャーは、そのまま淳の首を絞め、殺害した。
だが、マネージャーも「淳と慎也を呼びに行く」という理由でスタジオを離れていた以上、控室に長居はできなかった。
彼が「早く戻って来い」と強めに釘を刺されていたことは、宏斗の証言からわかっている。
マネージャーは、逃げるように控室を後にしてスタジオへと戻った。
あるいは、すれ違った慎也に罪をなすりつけられるかも――そんな打算も、心のどこかにあったのかもしれない。
戻ってきたマネージャーのただならぬ様子にいち早く気づいたのは、慎也だった。
全員の証言をよく聞くと、彼はその後、スタジオから控室に戻ろうとする篤志や宏斗を、しきりに制止している。
だが、そこで宏斗が「電話をかける」と嘘をつき、スタジオを抜け出した。
宏斗は控室に入り、そこで淳の遺体を発見したはずだ。通常であれば、その場で叫び声を上げ、事件は発覚していたはずである。
では、ここで何が起きたのか――鍵となるのは、被害者の頬に残された「死後に付いたアザ」だ。
宏斗は、淳に対して「いつかぶん殴ってやる」と言っていた。それをしたのだろう、本当に。
宏斗は、控室で無防備に横たわる淳を寝ているのだと思い込み、馬乗りになって、その顔面を一発、殴りつけた。
だがその瞬間、さすがの宏斗も気づいたのだろう。あまりにも力なく横たわる、淳の様子に。
宏斗は、ひどく焦ったはずだ。実際、頬にアザが残るほど強く殴ったのだ。それで死んでしまったのではないか――そう思ったとしても、不思議ではない。
そこで宏斗は、遺体を隠蔽することに決めた。事前に準備などしていなかった彼にとって、控室内で遺体を隠せる場所はひとつしかなかった。掃除用具入れのロッカーだ。
たとえ時間が 3分しかなかったとはいえ、遺体を隠すだけならば十分に間に合う。宏斗はロッカーに遺体を詰め込み、何食わぬ顔でスタジオへと戻っていった。
しかし、宏斗の胸中は穏やかではなかっただろう。何しろ、ロッカーに遺体を隠しただけで、いずれ誰かに発見されるのは時間の問題だった。
だからこそ、自分が手を出せない状況で、他の誰かに遺体を発見させたかったのだ。
そこで宏斗は、わざと飲み物をこぼし、強引に篤志に掃除用具を取りに行かせた。証言でも宏斗は篤志に疑いの目を向けていた。気弱な篤志は、罪を着せるには最適だと考えたのだろう。
掃除用具を取りに控室へ向かった篤志は、ロッカーの中に隠された淳の遺体を見つけ、仰天したに違いない。
しかし、自分が淳に睡眠薬を盛ったという後ろ暗さから、素直に皆を呼ぶことができなかった。
倒れかかってきた淳を床に横たえ、床に落ちていた睡眠薬入りのペットボトルを拾い上げた。
そして、遺体とともにロッカーにあったロープは、宏斗の鞄に突っ込んだ。
それは、強引に掃除用具を取りに行かせた宏斗への、ささやかな意趣返しだったのだろう。
この程度の作業なら、皆が駆けつけるまでのわずかな時間でも可能だったはずだ。
そうして一通りの処理を終えたあと、篤志は大声を上げて皆を呼びよせた。
急いで駆けつけた面々が動揺する中、淳の遺体にいち早く近づいたのは慎也だった。
そのタイミングで、彼は遺体のポケットに遺書を忍ばせた。皆が動転している中、あらかじめ用意していた紙を滑り込ませるくらい、造作もなかったはずだ。
篤志は、その騒ぎの中で隙を見て、睡眠薬入りのペットボトルを処分しに行った。それこそが、自販機のごみ箱から発見されたペットボトルだ。
◇
「ま、まさか……そんな裏があったなんて」
Kは驚愕のあまり、持っていた手帳をポトリと落としてしまった。一方の探偵は、事も無げに話を続けた。
「最初に違和感を覚えたのは、慎也さんの妙に説明的で詳しすぎる現場描写だった。明らかに喋りすぎている……何かある、そう思ったんだ」
「驚きました……そんな細かな違和感から、ここまでのロジックを導き出すなんて。素晴らしい推理です!」
K は思わず拍手し、探偵もまんざらでもない様子だった。
Kは落とした手帳を拾い上げると、視線を探偵に戻し、最後に残った一つの疑問を投げかけた。
「一つだけ、質問してもいいでしょうか?」
「なんだろうか」
「慎也さんの行動です。スタジオに戻った順番について嘘をついたり、殺してもいないのにポケットに遺書を入れたり、宏斗さんや篤志さんを控室に行かせないようにしたり……。犯人ではないのに、なぜそんな不自然な行動を取ったのでしょうか? その点だけは、探偵さんの推理に含まれていませんでした」
探偵は一瞬、目を伏せた。ここまで饒舌に推理を語ってきた彼が、ここにきて少しだけ躊躇したように見える。
「ああ、それは……あくまで推測にすぎなかったから、話すのを控えた」
「たとえ推測でもかまいません。ぜひ聞かせてください」
期待に目を輝かせる K を見て、観念した探偵はため息をついた。
「……慎也さんの嘘は、捜査を混乱させ、ともすれば自分に疑いが向きかねない嘘だった。そんな嘘をわざわざつく必要がない。もしかすると――妹さんの自殺という、人一倍重い動機を抱えていた慎也さんだからこそ、マネージャー氏の境遇や心情を察し、庇おうとしたのかもしれない。あくまで、可能性でしかないが……そうであってほしい、と私は思った」
「……」
「これは、あくまで一人の探偵の独り言だ。これから事実を確認し、真実を明らかにするのは……K、君の役目だ」
K は一瞬、言葉を飲み込んだ。しかし、すぐに任せろと言わんばかりに胸を叩き、力強く頷いた。
「もちろんです。真犯人であるマネージャーさんと、たとえ直接手を下していなかったとしても、犯行に関与した JASH の三人……彼らの物語の結末を見届けることが、私の役目ですから」
K の、心の霧が晴れたようなすっきりとした表情を見て、探偵は満足げに微笑んだ。
「さて、悩み事はこれで解決したかな?」
「はい。本当に、ありがとうございます!」
K は探偵に深々とお辞儀をし、顔を上げるとニヤリと笑った。
「この内容で、編集部に提出してみようと思います」
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