蝶の立ち話

@mamomami

第1話

蝶は行きたい方向へまっすぐ飛ばず、斜めに飛び休む、また斜めに飛んでは休む。曲がりながら繰り返し着実に目的地へ近づき、そして最後には到着するという。それは外敵から身を守るためだ。そんな蝶によく似た人生を、私は歩んできた。


 私の幼少時代は、今では考えられないほど自然に囲まれのどかな実家で、2歳下の弟と近所の従兄弟と男3対女1で遊び回った。彼らの影響からか、いつのまにか私は男勝りで自分の意思をはっきり口にするような性格に育った。

 

小学5年生のある日、愛読する少女漫画の中で主人公の服をデザインする公募が目についた。特賞のハワイ旅行が目当てだったが、何度も広告の裏に服のデザイン画を描き続けるたび「デザイン画を描くことは楽しい」と、目が醒める思いがした。結果は選外だが、その頃から私は服のデザイン画を描くことに没頭し始めた。

 それからある日曜日、新聞の特別号に掲載されていた写真を見て、私は目を奪われた。その写真のモデルが着ているスーツこそ、私が自分でデザインした服とうり二つだった。

 「まさか自分が考えたデザインが新聞に載るなんて!」

信じられない気持ちのまま、母の元へ走った。母は「新聞に載るのは、有名なファッションデザイナーのデザインよ。きっとあなたには、ファッションデザイナーの才能があるかもね」と、笑いながら新聞をのぞき込んでくれた。

 「そうか、私には才能があるのだ!」

そう思い始めると、より一層絵に向かう時間が増えていった。

 また絵以外に私を楽しませてくれたこと、それはスイミングだった。最初は弟が入会していたが私も続いて入会したが、私の方が水泳にのめり込んだ。私にとってのスイミングスクールは、自分の学校では知り会えない多くの友達との語らいを楽しむ場所だった。その友人たちの中でも、みっちゃんとの出会いが、私の心をとらえた。彼女は自宅が近く、私立の小学校に通っていた。彼女とスイミング後に駅前でたわいのない話をするのが楽しみだった。中学進学を機にお互いスイミングスクールは辞めたが、数年後に偶然に駅で再会して久しぶりの会話が最後となった。しかし七年後、大学生になった彼女は日航機墜落事故で帰らぬ人となった。そして私は若くして旅立った彼女の無念さに、毎年命日には手を合わせしか出来なかった。

 その頃、一生懸命描いていたデザイン画だったが、日々増える勉強に押され自然に鉛筆を握る時間も減りスケッチブックも本箱にしまったままとなった。そしていつしかファッションデザイナーの夢を忘れ、私は公立中学校へ進学するのであった。


 中学3年生となり、高校受験の影が迫ってきた。私も含め女子たちは、中学校前にそびえ立つ県立高校の制服に憧れていた。特に可愛いネクタイは人気が高く、遠距離受験者が後を絶たなかった。その高校の卒業生である従姉から、憧れのネクタイを受験のお守りに、と渡され、机前に飾り勉強に励んだ。しかし担任からは「今の成績では県立高校との併願は無理だから、私立A高校だけ受験しなさい」と告げられるが、私は反発して併願希望と記入した紙を学校へ提出するのだった。

そんな県立高校の願書提出1か月前、突然に「今年のA高校は、専願の受験者しかとらない」という噂が中学校を包んだ。そのとたん併願予定の受験者たちは、次々とA高校へ専願受験に切り替えた。その頃、父が長年働いた印刷会社を{これからはパソコンの時代が来る」と言って退職して、コンピューター専門学校の門をくぐった。父の突然の退職により、母は私と弟に「これからは贅沢できないからね」と協力を求めた。その状況の中で両親は「無理して県立高校で後ろからついて行くより、私立でトップ成績を維持した方が良いだろう。もし併願して両方の高校を滑ったら、中学浪人になるぞ」と、私立専願に変えるように私を諭した。無理してでも私立へ進学させようとしている両親の姿に、私はうなずくしかなかった。

翌月、私はA高校に合格した。その合格発表の後、私は信じられない光景を目にした。噂を信じず県立高校と併願した友人たちが全員、県立とA高校の両方に合格していた。私はショックで崩れそうになり、自宅に戻りお守りのネクタイを握りしめ泣いた。そして「これからは人の噂は信じない。今後は自分が信じた方向へ進むぞ!」と心に誓い、ネクタイを捨てた。そして友人たちが可愛いネクタイを結んだ制服姿を横目に、私は寂しくA高校の制服に袖を通した。

 

 受験が不本意な結果に終わり何も希望がないスタートだったが、2年生になると良い友人たちに恵まれ楽しい日々を過ごした。それでも卒業まであと半年となり、私は焦りを感じなければならない状況に立っていた。大半のクラスメートは進学先の合格や、就職内定を手にしていた。父も新しい就職先で働き出し、家計の経済状態も安定したため、両親からは「好きな道へ進めばいい」と言われた。しかしその好きな道がわからないのだ。大学はまだ「女が4年間も勉強してどうするんだ」の時代だった。短大への入学も考えたが、特技や優れた教科もなく、就職は社会に出るにはまだ早すぎる気がした。そんな私に、母が声を掛けてきた。「看護婦さんはどう? これからの時代は、資格を持つと有利よ」。母親は結婚後、市内で「副看護婦」という資格を取得している。その後「准看護婦」の免許も取ろうと考えたが、私と弟の育児が大変で断念した、と聞いた。私はそんな母親の助言に従い、学校からの紹介の病院へ面接に行き内定をもらった。その病院からの条件は、市内の准看護学校を合格して学業と病院の仕事を両立することだった。それからの私は一生懸命勉強に励み、無事に准看護学校に合格して高校を卒業するのだった。


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