スプーン一杯分の砂糖
月宮 余筆 (ツキミヤ ヨフデ)
短編:スプーン一杯分の砂糖
Game over you are Continue?
真っ黒な背景に、そんな文字が浮かぶ。
俺はため息をついて、電源を消す。
かすかな排気音を立てて、ゲーム機の起動が寝静まる。
ちらりと時計を見れば、時刻は深夜1時を過ぎたところ。
学生がこんな時間までゲームをしていれば背徳的な行為として十分だろう。
もっとも、通常の学生であれば、大きく但し書きが付くが。
周回遅れ。現状を言えばそんなところだろうか?
高校に入学してから2年と3ヶ月。最早、制服を着る日が珍しくなった。
几帳面にクリーニングされた高校生を主張する制服に袖を通した日常は、去年に置き去りにしてしまった。
学校に行かなくなった理由、もとい言い訳はいくらでも思いつく。
勉強についていけなかった、うまく友達が作れなかった、居心地が悪い、才能の差を見せつけられた。
まあ、自分でも呆れるほど並べてきた言い訳だ。
稀に思い立って制服に手を伸ばしかけても、『何を今更』と自分を毒づいて
──そんなやり取りも、不登校開始2か月程度までのことだった。
倦怠感、喪失感、虚無感と仲良くベッドと毛布の隙間に挟まる。
ゆっくりと目を閉じる。別に眠いわけでもない。
睡眠の真似事に近い。
明日のために疲れを癒すためでも、惰眠が好きなわけでもないのだから。
ただ義務的に目を閉じる。
瞼の裏によみがえるのは、記憶の断片。
秀才がテストで点を取り、運動部はその成果を誇っている。
楽しそうに語り合うお調子者。議論に熱を入れる文化部。
あるいは、菓子パンの話に花を咲かせる帰宅部。
そのどこのグループにも俺の姿はないし、かと言って、一人を心から満喫できるタイプでもない。
週一回の休みが週の半分に、半分が全てに、不登校になるに3ヵ月もかからなかった。
そして現在は、ありがたくも迷惑な現代教育の、配慮と多様性の尊重とやらで、学籍が書類上に残ったまま、こうしてダラダラと引きこもっている。
辛い。本音を言えばそこに収束する。
何が辛いと言えば、現状、そして自分自身だ。
いっそのこと、完全に退学になっていたり、親が見捨ててくれれば、
足掻いてもどうしようもないと、諦めがつくかもしれないのに。
何が楽しいのか、学籍が残っていて、両親も静観を決め込んでいる。
ご丁寧に、体は健康なのに、担任の教師はクラスに対して、家庭の事情とやらで休んでいることになっているらしい。
一方の当事者としては、特に何かするわけでもなく。
普通の家庭環境でダラダラと日常を消化している。
文句は言えても、この中途半端な現状を手放す勇気もないのだから、度し難いことこの上ない。
分かっている。今更だ。
学校に行っても馴染めない、勉強にもついていけない。
どんな目で見られるかと想像するだけで胸が締め付けられる。
もういい。どうせ取り返せない。
現状に甘んじて、いずれ来る終わりに身をゆだねてしまえばいい。
夜が明ける。固く閉じたカーテンの隙間から、嫌みなほど明るい。
両親が起きる前に、洗面台にいって顔を洗って歯を磨いて、鏡を見れば、飽きるほど見た自分の顔。
もう少し顔が違ったら―なんて妄想を弄ぶ前に自室に戻る。
また数時間、ベッドに体を預けて仮眠モドキも貪ると、目が覚める。
人間も動物らしく、朝食の時間になると目が覚めて、体が動き出す。
二足歩行するペットのようだが、生憎、愛嬌もない。
家族の癒しとなる分、俺は獣にも劣るのだろう。
リビングに下りれば、気まずいことこの上ない。
父親も母親も無言で、席には目玉焼きとサラダ。焼いたトーストが置かれている。
黙って食べる。会話はない。
相当に必要なことでもなければ、食卓に言葉はない。
母親が、食べ終わる頃に、コーヒーを出してくる。
「いつもと違う」
ぼそりと口を突いて出た。
なんてことはない。いつもより少しだけ甘いのだ。
ふと、母親の手元を見れば、砂糖のビン。
少し視線をずらせば、父親の視線が、新聞の隙間から覗いている
そうだ。思い出した。昔から、父親は不器用で繊細だった。
中学時代、反抗期真っ盛りだった当時に、つい父親に悪態をついて、捨て台詞に目付きが悪いと吐き捨てたことがある。
思えばあの時から、父親は俺と目を合わせなくなった。
未だに気にしているのだろうか?
俺の邪推を知ってか知らずか、新聞を畳んだ父親は、カバンを手に持ち、行ってきますの一言を残して、家を出ていく。
玄関の戸が閉まるほんの一瞬、相変わらず無駄に鋭い目付きがこちらを覗いた。
俺はコーヒーに視線を落とす。
そうだ。昔から背伸びして、もしくは母親とお揃いが良くて、コーヒーを口にした。最初は苦くてたまらなかった。
そんな俺を見かねて、たっぷりの砂糖とミルクを入れてくれたのが母親だ。
それでも俺は強情で、少しずつ砂糖とミルクを抜いていった。
部屋に戻る。
長らく隠していた姿見の布を取り払う。
少しだけ、コーヒーの甘さが残る指先で、鏡に手を伸ばした。
幾重も呪いのように吐き捨ててきた言い訳が、伸ばした腕を戻させようとする。
それでも、気づいてしまった。
思い出してしまった。
あるいは、目を背けていたものを見てしまった。
「だから…」
言い訳に対する言い訳をして、伸ばした腕を強引に進める。
触れてしまえばなんてことはない。久しぶりの、しかし知っている手触りだ。
服を脱ぎ、制服にゆっくりと袖を通す。
触れるほどに思い出す。
学校の情景、この先、晒されるであろう奇異な視線。
何を今更と、制服を脱ぎ捨て、ベッドに逃げ込みたくなる。
そうして姿見に映るのは、制服を着るというより、制服に着られているようだ。
学年の割に、驚くほど真新しい。
「そっか、そういえば、制服がきれいなのも」
母親のおかげ。少し振り返れば、いつもそうだ。
カバンを持つ。
久しい重さが肩に掛かる。
一歩、部屋の外に見れば、つくづく実感させられる。
綺麗な家も、毎日の食事も、全部用意してくれた。
階段を下りる。
思えば父親も、一度も俺に学校を強要しなかった。
(学校に行くことが偉いわけじゃない。自分で決めたことを続けることを褒めている。だったか)
それでも俺の学籍が残っているのは、両親が俺の選択肢として残してくれたのだろう。
家庭は平和で、体は元気、大きな不自由はない。
父親も母親も、俺が真っ先に見限った俺を見限らなかった。
リビングに着く。母親と目が合う。
制服姿の俺を見て、少し驚いたようだが、すぐ笑顔を見せる。
「…」
少し恥ずかしい。何を言えばいいか分からない。
だから黙って、背を向けて玄関に向かった。
「いってらっしゃい」
やわらかい、安心する母親の声。
そうだ。父親は、いつもこの声、言葉に支えられていたのだった。
「学校に行くのが偉いんじゃなくて、自分で決めたことを続けるのが偉い
――そんなことを言っていた気がする。
まったく、どうにも父親の言葉が残っている。
玄関の戸を開ける。
忘れていた外の匂い。
ああ、そうだな。
なんてことはない。
コーヒーにスプーン一杯分の砂糖が入っていました。
そんな理由で学校に行くんだ。
大それた理由なんかじゃないなら、結びもありきたりでいい。
だから俺は、振り返って、言葉を紡ぐ。
「いってきます」
Fin~スプーン一杯分の砂糖
スプーン一杯分の砂糖 月宮 余筆 (ツキミヤ ヨフデ) @9071108
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