第7話

私は食後の片付けを終えると、すぐに机の上を整えた。


朝の洗濯を終えた直後から、ある情景が頭の中で鮮明に浮かび続けていた。


風に揺れる洗濯物の布。


それを干す手。


そして、その背に差す朝の陽。


何気ない一場面でありながら、それは確かな美しさを持っていた。


「描くわ」


私はそう呟いて、スケッチブックを開いた。


「構図は横長……中央には干し場、右手に洗い桶。左手に布を掲げる腕を」


鉛筆を取り、軽く下描きを始める。


「まずは、空の抜け方を決めて……空間の深さを出さないとね」


私は画面の奥行きを意識しながら、布の位置や、陰影の入り方を決めていく。


「陽の向きは右上から……光を差し込ませることで布の薄さが表現できる」


布を干すときの感触を、私はまだ指先に覚えている。


濡れた布は重く、けれど風に乗れば軽やかに踊る。


「布の端……ここは、風にたわんで……」


私は筆に水を含ませ、空の青をひと刷毛で塗る。


「布の色は……白だけじゃない。光を含んだ白、陰のある白……」


混色して微妙なグレーを作り、それを淡く重ねていく。


「そして、ここ……この端には、陽が透けている。肌色と淡黄色を、うっすら……」


筆先を微細に動かしながら、私は一つひとつの線と光に意味を持たせていく。


「……生活の中に、これだけの美がある」


私は自然に口元が綻ぶのを感じながら、布の下の影を描き足した。


「そして、洗い桶。桶の縁に光を入れて、湿った地面に反射させる……」


私は水気を帯びた地面に、洗い桶の影を落とした。


「背景は、干し場の奥に低い石塀。そこにも布が掛かっていて、陽を吸っている」


構図の後方に小さな塀を描き入れ、遠近感を強調する。


その瞬間、画面が生きた。


「よし……ここまで来れば、あとは色を重ねて整えるだけ」


私は何層にもわたって水彩を塗り重ねながら、洗濯の風景を“作品”へと仕上げていった。


仕上げの段階に入る頃、宿の女将が部屋を覗き込んできた。


「リナさん、また何か描いてるのかい?」


「ええ、今朝の洗濯の風景を」


「それはまた……変わった題材だこと。でも、きっと素敵な絵になるわ」


「生活そのものが、美しいと気づけたからよ」


「そういう目を持ってる人が描いた絵は、きっと誰かの心に届くわね」


私は微笑んで、筆を置いた。

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