おじさんと女児アニメ。

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

第一話(1)

 午前六時五十五分。


 高尾仁志たかおひとしは五分後に鳴るはずだった目覚まし時計よりも早く布団から起き上がった。予定を立てた上で余裕をもって行動する。それが彼の常であった。カーテンを開け、差し込んだ陽光を皮膚が吸収したことで、本格的に身体が活動の準備を始める。顔を洗い、白髪混じりの髪をぴったり七三に分け、服を着替え、衰え始めた目に眼鏡をかけ、そして妻の仏壇に静かに手を合わせて「おはようございます」と微笑みかけた。仏壇の隣に飾ってある彼女の写真も微笑を浮かべていた。


 居間のテーブルにサラダとコーヒー、それに焼き上がったばかりのトーストを並べた。今日は日曜日だったが、彼は平日と変わらぬルーチンで生活リズムを保つことに努めていた。今年で五十を迎える仁志にとって、規則正しい暮らしによる健康の維持は大きな課題と言えた。朝食を口に運びながらテレビのニュース番組を眺める。これもまたルーチンである。


「さあ、春がやってきました。こちらの保育所では、はじめてお母さんと離れる子どもたちが大きな声で泣いています。みんながんばれ~!」


 微笑ましいニュース。無邪気で純粋な子どもたちは皆、平等に可愛らしい。いくら見ていても飽きることがない。仁志も亡き妻も子どもが大好きだったが、残念ながら彼らが子宝を授かることはなかった。三年前、まだ妻と二人で朝食を食べていた頃のままの大きなテーブルが、独り身となった仁志に時折、寂しさを感じさせた。


 場面が変わり、指し棒を持った天気予報士が映った。


「今日は午後からお天気は下り坂です。お出かけの際には傘をお忘れなく」


 予報士の言葉に、ふと窓の外を見る。今はまだ快晴だ。しかし、マンション最上階のこの部屋からは、遠くの山にかかる厚い雲の塊を視認することができた。風に乗り、おそらく数時間後にはこの近辺にまで到達することだろう。


「今のうちに洗濯物を取り込んでおきましょうか」


 空になった食器をいったん流しに置いてべランダの戸を開くと、まだ冷たさの残る春の風が頬を撫でた。風に揺れるタオルやシャツをまとめて手で掴み、乾いていることを確認してから順に室内へ放り込んでいく。


 一通り取り入れ終わって部屋へ戻ろうとすると、何かが聞こえた気がした。振り返り、今一度外を見る。……たしかに聞こえる。空気を裂きながら何かが落下してくる音。だんだん大きくなってくる。一体なんだろうと音の出どころを確認するためにベランダから半身を乗り出し、空を見上げた瞬間──視界が暗転した。落下物がちょうど仁志の顔面を直撃したのだ。だが、不思議なことに衝撃は無かった。むしろ気持ちが良かった。ふわふわした感触。まるで宙に浮いているかのように重量をほとんど感じさせない。


 ……いや、実際にのだ。


 それは仁志の顔から離れると、宙をふよふよと漂った。サッカーボールサイズの、黄色くてまるっこい毛玉のかたまり。毛玉はぶるぶると震えると、中に収納していた短い手足を伸ばし、長い両耳をだらりと垂らした。開いた両目は赤く、ぱっちりと丸い。得体はしれないが、間違いなく生き物だ。謎の生物は仁志をじっと見つめて、そして叫んだ。


「伝説の勇者、ミラキューになるマポ!」

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