第2話 進路 果歩13歳 翔15歳

「果歩のパパって、渡辺ワイナリーに勤めてるんだよね?」

クラスの女の子たちに翔くんは人気だ。休み時間、どの先輩がかっこいい、誰と誰が付き合っている、という話になると必ず名前が挙がる。子供の頃から成績が良くて、足も早く運動神経もよかった。うちはお金持ちで、子供の頃から取り巻きみたいな友達を連れていて小さな王様みたいだった。

「翔先輩、どこの高校行くんだろ、果歩聞いといてよ」

「き、聞いても分からないよ、きっと」

 果歩はしどろもどろに答えた。翔が中学生になり、小学5年と6年は穏やかな時間を過ごせたけど、果歩も中学生になり、また翔と同じ学校になる。大きくなったら意地悪されることはなくなったけど、子供の頃のトラウマなのか、翔が視界に入るたびに胃がぎゅっと縮こまる気がする。

「かっこいいよねぇ。しかもワイナリーの長男でお金持ち。彼女いるのかなぁ」

 真希ちゃんは翔くんと同じバレーボール部なので、話すこともあるらしく、すっかり夢中になっている。

「あんまり愛想がないとこがいいんだよねぇ。果歩、よく小さい頃遊んでたんでしょ」

「遊んでないよ。虐められてただけ」

 ここは強く否定したい。翔に遊んでもらったことなど一度もないのだ。

「あーあ、学校以外で翔先輩と会えないかなぁ。部活では莉子先輩がべったりだし」

 莉子先輩は翔くんと同じ部活の先輩らしい。ちょっとしか見たことはないけど、バレーボール部らしい背の高い美人だ。

「あ、もしかしたら会えるかも」

 果歩はふと昨日父親が持ってきたチラシを思い出した。ワイナリーでクリスマスマーケットが開催される、とあったはずだ。翔くんは家の行事は必ず手伝うから、きっと来るはず。たしか、東京からの観光客やワイナリーの顧客が中心に集まるけど、職員の子供たちも参加できる。ゴスペルや楽器演奏もあって、夜はライトアップもされて、大きなツリーが広場の真ん中に飾られて綺麗だ。

 ワインのイベントなので、大人中心だけど、果歩が父親に頼めばきっと行けるはずだ。

「嘘、私も入れるの?」

 真希は目を輝かせた。

「うん。パパに頼んでみるね」


 クリスマスマーケット当日、夕方に真希と集合してワイナリーの敷地内に入ることができた。

 スーツ姿やちょっと綺麗なコートを羽織った人たちで賑わっている。12月なのでみんなマフラーや帽子で防寒してるけど、あちらこちらに薪で火が焚かれていて、ほのかに暖かい。広場の真ん中には大きなツリーが飾られている。

 ホットワインやスープ、軽食を出す屋台や、可愛い雑貨を出している店もあって、ワクワクした空気が漂っている。

 父も母も今日はスタッフとして駆り出されている。遠くに忙しそうに働く母と、翔くんのママが見えた。

 入ってもいいけど、今日は大人たちの邪魔にならないように大人しくしていること、父親にはそう言われていた。翔に見つかってはたまらないので、言われなくてもそうするつもりだ。

「翔先輩、どこかな〜」

 真希はきょろきょろと辺りを見回している。ノンアルコールの温かい葡萄ジュースを飲みながら、見て回る。きっと翔を遠くから見られれば真希だって満足なのだろう。寒くなりそうだし、一回りしたら早く帰ろう。

 そう決意した瞬間だった。

「お前、こんなとこで何やってんだよ」

 振り返ると翔が立っていた。後ろにスーツ姿の大人を三人従えている。ワイナリーのユニフォームを着て、いかにも会場内を案内していた様子の翔は、学校で見るよりずっと堂々としている。

「翔くん」

「翔先輩!」

 やっと翔を見つけた真希が嬉しそうな声を出す。

「何だよ、こんな大人向けのイベント来て。普段うちのイベントなんて全然手伝いに来ないくせに」

「それは…」

 果歩が言いかけたとき、翔の後ろにいたスーツ姿の大人たちがにこやかに声をかけた。

「翔くんのお友達でしたか」

「はい。父親もうちで働いてもらってます。果歩、挨拶くらいしろよ」

「こ、こんばんは」

 慌てて果歩も頭を下げる。

「ここはいいですから、翔くんもお友達と一緒に回ったらどうですか。ちょうど社長もあちらに見えましたし」

「そうですか。でしたらここで失礼します」

 翔は礼儀正しく頭を下げた。

「翔先輩、一緒に回ってくれるんですか!」

 真希が言わなくてもいいことを言う。

 翔は呆れたように果歩を見ると、顎をしゃくった。

「田中、ちょっとこいつ借りるから、ホールの真ん中のツリーの前で待っててくれるか?」

「え?」

 果歩と真希は同時に驚いた声を出す。

「ツリーのあたりに焼き林檎が出てるから、その辺りで待っててくれ、果歩、行くぞ」

 翔はそう言うと、果歩の腕を引っ張ってワイナリーの売店に向かった。

「翔くん、どうしたの」

「いいから来いよ。お前にちょっと話があるんだよ」

 翔は売店の前についたエントランスまで果歩を引っ張ってった。今日は売店は鍵がかかって入らないようだ。店の窓から、ワインがたくさん並んでいて、おしゃれな店内が見えた。

「お前、私立の○○女子に行きたいってほんとなのか?」

 翔は出し抜けに言い出した。

「誰から聞いたの?」

「お前んとこのおばさんがうちの母親に言ってたって聞いたんだよ。なんでS高に行かないんだ?」

 翔がそんなことまで知ってたのは驚いた。これだから狭いコミュニティは嫌なのだ。S高はこのあたりだと一番の進学校だ。中学で成績がそこそこいい子はみんなS高に進む。

「ちょっと言ってみただけだよ。まだ決めたわけじゃ…」

「私立に行ったら金だってかかるんだぞ、寮生活になるから、生活費も別にかかるんだし。お前、そういうこと分かっていってんのかよ」

「翔くんには…」

 関係ないじゃない。と言おうとした。

 私だってそれくらい分かってる。ただ、このままS高に行ったら、ずっとこのままな気がしたのだ。同じコミュニティでずっと狭い世界で、翔に馬鹿にされたり、何となくダメな自分を意識したりしながら探すのが苦痛な気がした。

 それだったら、全然別なところに行って、違う人たちと人間関係を築いてみたいと思った。

「何だよ、お前ここが不満なのかよ」

 見透かされように翔に言われて驚いた。

「別にそんなわけじゃ…」

 ただ翔に虐められたり、馬鹿にされるのが嫌なだけ。それだけの理由で、S高に行きたくないと思うのはやっぱりわがままなんだろうか。

「だったら、ちゃんと勉強してS高に行けよ。あんまり親に心配かけるようなことするな」

 多分翔の言うことは正しいのだ。翔に言われると、自分で決めたことでも間違っているような気がしてしまう。

「翔くんは…」

「あ?」

「翔くんはS高に行くの?」

 ふと真希が言っていたことを思い出した。翔こそ、私立の高校に行きそうなのに。

「当たり前だ。俺みたいな奴は公立に行くんだよ。ここで将来は商売してくんだから、OBがたくさんいた方がいいだろ」

 言うことがいちいち理に適っている。

「分かったらとっとと回って帰るぞ。俺、これでも受験生なんだし」

「うん」

 前を行く翔の背中は、もうすでに経営者のようだった。

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