架空の日比野

メガフリマ

第1話:思い出せなかったネタの話

最近物忘れがひどい。

立ち上がったあと、あれ?何をしようとしていたんだろうと途方に暮れることがある。


一番困っているのが、小説のネタを忘れた時だ。

ふとアイデアがよぎる、おぉこれは良いと思ってペンを取り出した時には、

あれ?何を考えていたんだっけ?となっている。

思い出そうとしても思い出せず、ほかのアイデアがわいてきて、これはさっきと同じだったろうか、それとも違うものだろうかとなってしまう。


あれでもない、これでもないとなっているうちに、忘れたアイデアへの期待がどんどん膨れ上がってきて、あぁ自分は傑作を書くチャンスを逃してしまったな、なんて思う。


今日も同じように、アイデアのタネが思い出せなくなり、あれでもない、これでもないと頭をこねくり回していた。

外に出て刺激をうければ思い出すかもと考え、散歩をしている途中、知人の昼守と出会った。

昼守に何をしているのかと聞かれたので、アイデアを思い出そうとしている旨伝えると、失ったアイデアを供養する寺があるので、そこに参るといいといわれた。

思い出そうとしているのであって、供養とはなんぞと思ったが、確かに思い出そうとしても思い出せず、かといって何かが浮かんでも、はたしてそれがさっきまで考えていたものかわからぬのだから、ここはさっぱり整理をつけるというのもいいのかもしれないと考えて、昼守の案内でその寺に向かった。


それにしても、昼守に「こっちです、こっちです」と案内されていると、妙な気分になる。なんだか妖怪に森の奥に連れていかれているみたいな気分だ。あいつ独特の雰囲気がそう思わせるのだろうか。


昼守からの紹介ということもあって、きっと妙な所だろうと思っていたが、案内された寺は歩いていける距離にある普通の寺だった。立派な門があり、奥にはお堂らしきものがある。入口のところに絵馬が飾ってあった。


とにかく昼守に従って、お堂を参り、そのあと絵馬を買って入口の絵馬かけに飾った。

特に何も書くことがなければ、何も書かなくてよいらしい。確かに並んでいるものの中には、何も書かれていないものもあった。

せっかく買った絵馬に何も書かないのが、なんとなくもったいない気がしたので、「忘供養」と書いて奉納した。


癪な話だが、アウトプットしたような気分になり、さっきまで頭をこねくり回していた時より、いくらか気分がよかった。


しかし、常々思うが、あいつは、一体どこからこういう情報を仕入れてくるんだろうか、以前聞いてみたが、「インターネットです。」というふざけた回答しかなかった。


寺の前で昼守とは別れ、家に帰ってから改めて机に向かった。筆が軽い。(少しだけ)


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