真夜中のコインランドリー

@erhngi

田中蓮男の憂鬱シリーズエピソード1「犬の場合」



田中蓮男(たなか・はすお)、42歳。

職業・なし。特技・なし。性格・穏やかすぎて草と会話できそう。

そんな彼が最近、とても悩んでいる。


「犬に、舐められるんです」


それは比喩ではない。

本当に、あらゆる犬に、見境なく、舐められる。顔も、手も、靴も。


コンビニの前で伏せている柴犬。

遠くから見ても目が合っていないはずなのに、彼が近づくと──すっくと立ち上がり、尻尾を振り、一直線に蓮男の足元へ。そして舌がヌルリと足首をひと舐め。

飼い主の老婆は苦笑い。「あらあら、珍しいねぇ、誰にも懐かないのに……」


いや、懐かれてるんじゃない。

これは、舐められているのだ。社会的にも、動物的にも。


あるとき蓮男は公園で散歩中のセントバーナードに舐められ、三日間微熱が続いた。

また別の日、野良犬に追いかけられ、段差で足をくじいた。

他には、隣人の飼っているチワワにすら尻尾をふられながらベロベロにされた。


「なぜ……なぜ俺ばかり……」


蓮男は悩んだ。いや、悩みすぎて道端のトイプードルの夢すら見るようになった。

夢の中で犬は言った。


――おまえ、犬のにおいがする。


目覚めてすぐ、蓮男は自分のにおいを嗅いでみた。

しかし、人間である。納豆みたいな加齢臭はあっても、犬ではない。


藁にもすがる思いで、蓮男はネット掲示板に投稿した。

《犬にやたら舐められる件【マジで困ってます】》


レスはすぐについた。

《それ前世で犬だったとかじゃね?》《魂にドッグフードしみこんでんだよ》《なめ犬男(新種)》

役に立つどころかあだ名までついた。


そして蓮男はとうとう、専門家に相談する決意をした。

訪れたのは「動物スピリチュアル療法士 犬山アニマルクリス」。

チワワを抱いた黒ずくめの男だった。


犬山は蓮男の手を握り、目を閉じてこう告げた。


「あなた……生まれ変わる前、名犬でしたね?」


「は?」


「交通事故でご主人様をかばって死んだ犬……ラッキーくん。あなたです」


「ええ……?」


「犬たちは、あなたの中にその魂を感じ取っている。だから、あなたを“上の存在”として敬って舐めているのです」


「敬って……?」


「そう、彼らにとって舐めることは、最大のリスペクトです。彼らは……あなたを、“伝説の犬”として崇めている」


帰り道。蓮男は、いつものように公園で見知らぬ犬に舐められた。

しかし今日は少し、違った気持ちで受け止めた。


(これは……リスペクト。そうか、俺は……犬界のレジェンドだったのか)


帰宅後、蓮男は風呂に入らず、そのままベッドに倒れ込んだ。

犬の唾液にまみれた足を見て、こう呟いた。


「……悪くないな」


──こうして俺の人生の歯車は、狂いだした

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