4.

「シンジくんはカナエ殿が本当にいたと信じてるでござるか?」


 とシューヘイはめがねの奥から上目づかいで僕を見た。


「信じるも何もいただろう?」


 と僕はまっすぐに答える。


「あれは夢だったでござるよ。シンジくんもあのあと行ってみたでござろう? あんな大きなピアノの部屋はなかったし、M配水場は立派に見えるでござるが、お城のミニチュアみたいなもので、いうなら岬の灯台でござるな。狭い階段で全然あんな風に、かくれんぼをして遊んだような広い場所はないでござる。映画にあったような、西欧の城が迷宮のようになってる、そんなところで鬼ごっこをしたように思うでござるが、我が輩が調べたところでは『共同幻想』と言って、複数人が同時に同じ夢を見る現象もまれにあるそうでござるよ。その夢の中のカナエというのはシンジくん自身であって『時が終わる』という詩的な言葉を残したのはシンジくん自身のうちにカナエという詩人が住んでいるのでござろう」


 僕は黙った。


 カナエは突然いなくなってしまったのだ。


 また遊びに行くよと約束して、その次の日に行ってみるとそれまで開いていたあの入り口はなくなって塞がっていた。それで僕らは無理矢理、侵入しようとしたのだった。しかし職員さんに見つかってしまって事情を説明し、子供ということで注意だけされて、中の様子だけ僕がどうしてもと頼み込んで見せてもらったのだが、そこはそれまでと全然違っていた。ピアノの広い部屋などなく、最上階は貯水槽の狭い部屋だった。階段も人一人が通るのがやっとで全然あのお城の中の階段のような広々したものではなかったし、そもそも『カナエ』という人物がいたような記録もどこにも残ってなかった。


 それで『カナエがいた』という僕らの主張は、何か夢を見ていたか勘違いだったのだろうと諭されて、僕らは忘れることにしたのだった。


「だけど――」

「ひょっとしてシンジくんはまた本当の【時間城】に行けたでござるか?」


 僕はうなずくべきかそうでないか、どちらとも言いがたく、


「迷ってる」


 と答えた。

 シューヘイはふむとうなった。


「我が輩が自分だけで立ててる仮説があるでござる」

「あれは夢だったんじゃないの? シューヘイがそう言ったよね」

「すねたでござるか? むしろシンジくんがその扉を開く機会が得られたのであれば、それはさいわいであろうと思ったでござるが、あるいは不運か、カナエ殿は、まあさっき言った『共同幻想』ではなく、あれは我が輩たちが体験した時空を超えた実際の体験であったとして、カナエ殿は銀の鍵の首飾りをしていたでござろう? 覚えているなら」

「うん」


 最初に会った時に僕が「それなに?」と言ってカナエに見せてもらったものだった。奇妙な形のねじれた鍵だった。


「あれは想像するに、門にして鍵、鍵にして門、タウィル=アト・ウムルの『銀の鍵』であると今にして想像するでござるよ。ただし隠されたる神話の書物では、その神にも近い力を持った存在は、人の心を惑わし、破滅に導く邪悪な存在とも言われてるでござる。だから我が輩としては、それにはもう近寄るなと忠告するわけでござるが……」


「でも」と僕は反論した「約束したから。絶対また行くって」


「それは、我が輩は知らない話でござるが、我が輩が帰ったあとに遅れてシンジくんが戻ってきたことがあったでござるから、その時の話と思うでござるが、シンジくんがカナエ殿と約束したと?」


 僕はうなずいた。


「我が輩の仮説は、タウィル=アト・ウムル、別名をヨグ・ソトースともいうその存在は、始まりから終わりのすべての時間と空間にあまねく偏在する超越した存在なのか概念なのかそのようなものであると書物に記されてあるわけでござるが、要するに昨今の量子論的、量子重ね合わせのように確率的にあり得るものが複数並列に存在する『可能性』を横断するものだと考えておるわけですが、だからあの【時間城】は、あの丘の上の建造物の一つの可能性であって、【M配水場】という、いま我が輩たちが認識しているあれも別の一つの可能性である。可能性の時空を我が輩たちは横断して、こちら側にきてしまったのだ。そのように考えているでござる。

 あの、ドン・キホーテが風車のことを4本腕の巨人と言ったのと同じで、あれは妄想なのではなく、風車であり、4本腕の巨人でもあったのだ。量子論的に、どちらも正しかったのだと」


 僕はわかるようでわからないような心地になってうーんとうなった。


「そうすると僕はいまその可能性の分岐の扉か何かに触れてるみたいな、そう状況ってこと?」

「そうかもしれないでござる」

「なるほど」


 ぼくはうなずいた。


「そして、カナエ殿が『時が終わる』と言っていたのであるなら、時が終わるということは、宇宙が終わる、完全静止するということを示すであるから、先ほど言った、銀の鍵の持ち主であるタウィル=アト・ウムルが、人を惑わせ破滅に導く邪悪な神であるという書物の記述にまさに合致していて、だから世間一般的にはそのような選択肢の先に進むのは、まさに破滅の道であると忠告するわけでござるよ」

「じゃあシューヘイの主張は『行くな、行くべきじゃない』ってこと?」

「とりあえず、一般論を言っただけでござる。

 我が輩の主張としては、そうではなく、広い世間一般の価値観では破滅的な不幸な境遇であるというだけで、当人にとっても不幸であるかというとそれは当人に聞いてみないとわからない。

 フィクションの物語でも往々にして、世間的には不幸な境遇であっても、当人は納得して幸せに感じてる事態がしばしばある。我が輩の指向する科学者的好奇心の考えから言えば、実に興味深く試してみたいが、命の保証はなく、自己責任で自らのなしたいようになすべきではなかろうか」

「ふうん」


 僕はうなずいた。


「時が終わってすべてが静止した世界が不幸であるのかどうか、実際そんな境遇になったことがないので想像するしかないでござるが。そういえば『ミッション8ミニッツ』というSF映画でそのような状況があったでござる」

「どんな映画?」

「主人公はテロリストの破壊工作で死に瀕してるのだが、その犯人を特定するために記憶の中の可能性世界を何度も試行錯誤しながら繰り返して事件を解決していくでござる。最後にすべてがめでたくうまく解決して、みんな幸福に笑顔を浮かべながらそれぞれの場所に帰っていく結末が描かれ、幸せな表情のまますべてが静止する。アドベンチャーゲームのトゥルーエンドにたどり着いてそのままゲームが止まってしまうような結末の分岐がある。

 現実には前提条件として、テロの事件は実際すでに起こった過去であって、主人公の肉体が死に瀕してる状況は何も変わらないにもかかわらず。そのようにして、すべての憂いが解消されて幸せな結末とたどり着いて満足したと思った瞬間に世界が静止する。

 それは宇宙の終わりの不幸で不運なのか、幸福なのか、ある意味、究極の幸せなのではないか」

「うーん。なるほど……」


 僕が納得したような納得できないような、半分は納得した気がしなくもないと思いながらうなっていると、シューヘイはふと思い出したかのように言った。


「ところで、シンジくんはあのカナエ殿との話で、楽器をやりだしたとか言ってはござらんかったか?」

「バイオリンのこと?」

「『カノン』ではなかったでござろうか?」

「前の発表会で一通りやっていちおう弾けるようにはなったけど……そう言えばそうだったね。親にもなんでそんな楽器をやりたくなったの? って聞かれたけど思い出した。そうだったか。うん、そうだった。ありがとう」


 そう言って僕はちょっと嬉しくなってうなずいた。


https://kakuyomu.jp/works/16818622174491940456/episodes/16818622174492101941

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