魔王と魔科学の力

 残る魔王軍を退け、リバティは、ついに魔王ヘルヴァーナ・リリィと対峙していた。寅人いんじんの魔王であり、『冥府の女王』の異名を持つリリィ。彼女は鋭く尖った耳を持ち、髪は黒と黄色のメッシュが混じる。その顔立ちは怪しくも美しく、整った輪郭を持っているが、深紅に輝くその瞳の奥には、絶対的な自信と支配欲が宿っている。漂うのは獰猛な獣の本能を感じさせる力強さだ。彼女の全身からは激しい瘴気が迸り、周囲の空気を蝕んでいる。


「まさか、勇者でもない虫ケラが、ここまで手こずらせてくれるとは」


 リリィは冷笑を浮かべ、リバティを見下ろしていた。


「この私に挑んだこと、後悔するがいい。どれ、貴様の身体をひき裂き、そのはらわたを喰い尽くしてやろうぞ!」


 魔王リリィの言葉と共に、圧倒的な魔力が解放される。


「まったく、これだから肉食動物は……」


 瘴気と魔力が渦巻く中、リバティは冷静に呟いた。


「その旺盛な食欲で、お前たちは、これまでに一体何人殺してきたんだ? 」


 その問いに、リリィは何事もないことのように答える。


「さあ、何千と殺したが、いちいち数えてもおらぬ。シン人など我らが寅人より劣る種族。根絶やしになったところで何とも思わん。まあ、我らの手足として奴隷のように働くなら生かしておいても良いが」


 リリィは、リバティの怒りを嘲笑うかのようにその力をさらに解き放った。震える空気の中、リバティは一歩も引かない。


「そうか。ここでお前を止めなければならないことがよく分かった」


「ほう、私の瘴気に当てられてなお動けるのか。どれ、貴様がどれほどの力を持つのか、見てやろう」


解析アナライズ


 [名前] リバティ・クロキ・フリーダム

 [レベル] 99

 [クラス] ヒト

 [職業] 魔道具師

 [体力] 760/820

 [魔力] 550/650

 [加護] 毒無効(極)

 [魔法] 小火炎 転送

 [特技] 魔法陣操作


「なるほど、毒無効の加護か。極とは珍しい。私の瘴気に耐えられるわけだ。だが、呆れるな……貴様、使える攻撃魔法は炎系最弱の『小火炎リトルフレイム』だけではないか。その程度の魔法で私に挑むのか?」


 彼女の目には嘲笑が浮かんでいた。だがリバティはその言葉を軽く聞き流す。


「あいにく、俺は魔法使いじゃないからな」


「まあ、レベルだけは人間の最大値のようだが、所詮ヒトのステータスの上限値など知れている。貴様が何人集まったところで、魔王である私には勝てんぞ」


 リリィは呆れたような笑みを浮かべ、手を前にかざすと魔力を込める。次の瞬間、空間に巨大な魔法陣が浮かび上がった。


「フフ、小火炎リトルフレイムの三段階上の魔法を見せてやろう」


 リリィは力強く詠唱を始める。


「至れ、此方の大地の奥深く、冥界の深淵、顕現せしは全てを焼き尽くす滅びの炎!」


 彼女の言葉と共に、古代文字が魔法陣に刻まれていく。その文字が光り輝き、魔力が渦を巻き、周囲の空気が震えた。


地獄の業火ヘルフレイム!』


 魔法陣から現れた業火が、リバティに向かって迫る。その炎はあまりにも強大で、周囲の温度が急激に上昇し、空気が焼けるように熱くなる。だが、炎がリバティを包み込む瞬間、彼の周囲にそれを阻むかのように複数の魔法陣が浮かび上がった。


 ーーマスター、大気置換モジュール、起動します。


 地獄の業火ヘルフレイムの炎は、現れたその魔法陣に触れるとその場で掻き消されていった。


「俺は戦士でもなく、反射神経も良くない。だから、近くの温度に一定以上の変化があったら、自動で大気を別空間のものと交換するようにプログラムを組んである」


「な、なに? プログラムだと? 一体何が起きている!?」


 予想外の出来事に、さすがのリリィも驚きの表情を浮かべる。リバティは軽く笑いながら、次の言葉を続けた。


「魔法と科学を融合させた、魔科学だ!」


 彼はそのままリリィを鋭く睨む。


「じゃあ、今度は俺の番だな。小火炎リトルフレイムをたっぷり食らわせてやる」


 リリィはそれを聞くと不敵な笑みを浮かべた。


「最弱魔法など、私には効かんぞ」


 しかし、リバティは自信を持って手をかざし、魔力を込めて呟き始める。


「フォー アイ 0 トゥー 100 フォー ジェイ 0 トゥー 100 コール リトルフレイム エンド コール トランスファー エーテル エンド!」


 すると空間に数えきれないほどの魔法陣が瞬時に浮かび上がり、その一つ一つから炎が放たれた。一つ一つの炎の威力は決して高くはないが、おびただしい数の炎が連続してリリィに向かって放たれる。注がれる炎の雨に、リリィの鎧が赤く熱され、周囲の空も焼け焦げるような灼熱と化す。その威力は地獄の業火をも凌いでいる。絶え間なく攻撃が続く中、リリィは必死に耐えるしかなかった。


「くっ、この魔法は何だ!? それにその全く聞いたことのない詠唱は……?」


 リリィの声に焦燥が混じり始めた。リバティは冷静に言い放つ。


「だから、小火炎リトルフレイムだって。ごく簡単な繰り返し処理のプログラムで、小火炎リトルフレイムを一万回呼び出しただけ。一発の魔法の威力なんて僕にはあまり関係ないのさ。繰り返せばいいんだから」


「理解できん。魔法を一万回繰り返しただと? ならばそれだけ魔力を消費するはずだ。だが、一万発の小火炎リトルフレイムは貴様の魔力の上限を遥かに超えているはず……」


「大変良い質問だな!」


 リバティーは嬉しそうに微笑んだ。


「足りない魔力はエーテル薬で回復したんだ。小火炎リトルフレイム百発撃つ毎にエーテル薬を一つ消費するようにした。これもさっき詠唱したプログラムに入ってる。いやでも、高価なエーテル薬だよ。合計で百は消費したから、これはかなりの出費だ」


 リリィは言葉を失い、しばらく黙り込む。彼女は唇をかみしめ、リバティの戦法が完全に自分の理解の枠を超えていることを自覚せざるを得なかった。だが、魔王としての誇りが、彼女にこう叫ばせた。


「いい気になるなよ、格下のヒトごときが。私こそが全世界の主となる存在、ヘルヴァーナ・リリィ! 虫ケラよ、お前がどれほど非力で不完全なものなのかをイヤというほど思い知らせてやろうぞ!」


 そして彼女は渾身の魔力を込めた詠唱を始めた。


「我は開かん。世の果て北の極地より、万物を凍て付かせる白く輝く死の冷気……」


 リリィの詠唱と共に、周囲の温度が急速に下がっていく。


死の吹雪デスブリザード!』


 その瞬間、放たれた冷気が周囲の空気を凍てつかせ、氷の結晶が空中で踊る。一瞬で凍りつきそうな程の冷気がリバティを包み込む。


 ーー大気置換モジュール、起動します。


 だが、再び複数の魔法陣によってその冷気は遮られた。


「暑くても冷たくても、空気を入れ替えちゃうから一緒なんだよな。さて、そろそろ決着を付けるか。近隣の川に至りて、水を導け!」


 転送の対象が近くのものなら割と単純な詠唱でも機能する。リバティの転送魔法で、川の水を召喚すると、リリィの冷気でそれは瞬時に凍りついていく。氷はあっという間に大きくなって、二人の戦いの空間を密閉する壁となった。


「貴様、自ら退路を経ったのか?」


 怪訝な顔をするリリィ。


「至れ、我が工房、顕現せよ。魔道具16番!」


 続けてリバティは短い詠唱とともに、歪んだストーブのような物体をその場に出現させた。


「何だ、それは?」

「さぁ、何でしょうね?」


 はぐらかすリバティに、リリィは怒りを露わにし、さらに冷気を強める。さすがに大気置換でも完全に無効化できなくなってきたらしく、つま先が凍り始めた。


 ーーマスター、置換先の空間もかなり冷えてきているようです。あまり長くは持たないでしょう。


 広大な空間である置換先の大気まで冷え切ってきたのだ。なんという強力な冷気。


「そろそろあれを試すか」


 リバティは呟くと、空間に小さな魔法陣を生み出し、それを器用に操作してリリィの方へと飛ばしていく。しかし、リリィはその動きに気づき、すぐに反応する。


「今度は小細工か、小賢しい」


 魔力の込められたリリィの爪が振るわれ、魔法陣は瞬く間に粉砕された。


「さすがにまだ無理か……」


 リバティは時間を稼ぐための次の手を考える。リリィの目が鋭く光り、怒りに満ちた声で叫んだ。


「所詮はサル。身体能力の差は決して埋まらない。魔法が効かぬなら、私自らの手で、八つ裂きにしてくれる!」


 リリィは驚異的な身体能力で瞬時に間合いを詰め、漆黒の爪でリバティを攻撃する。その速さは常人には到底捉えられないほどだ。


 ーー緊急回避します。


 だが、リバティの周囲に浮かんだ魔法陣がその動きに反応し、リリィの爪の一撃が届く前にリバティを勢いよく後方に吹き飛ばした。リリィの爪は空を切り、放たれた斬撃が壁を深く切断した。


「痛ッ……ヤバ。これ、当たったら一撃で死ぬやつだ。それに緊急回避の高速移動だけで結構ダメージ食らってる」


 だが、リバティはなおその冷静さを崩さずつぶやく。


「そろそろ効いてくれないと困るな……」


 その時、リリィは違和感を感じた。突然世界が歪み、足がふらつく。


「今度は何が……目が霞む……!」


 その異変にたまらず膝をつく。リバティは淡々と説明した。


「効果が出てきたな。魔道具16番は『超不完全燃焼マシーン』。氷で閉ざされた密閉空間で不完全燃焼したらどうなるか……」


 説明を聞いてもリリィには全く理解できないが、リバティはニャリと黒い笑みを浮かべる。


「一酸化炭素ってガスが充満し、それを吸うと酸素が吸収できなくなる。つまり呼吸ができないのと同じだ。魔王と言えど、生物だ。呼吸ができなければ長くは動けない」

「また奇妙なことを……では、なぜ貴様は平気なのだ?」


 リリィの問いに、リバティは胸を張って答える。


「一酸化炭素は毒。俺に、あらゆる毒は効かない!」

「毒無効……極……」


 リリィはついに動けなくなってしまった。


「さて、相手が動けなければ、正確な位置に合わせられるな」


 リバティは先ほどと同じように小さな魔法陣を空中に操作し、それをリリィの首元にぴったりと重ねた。


「至れ我が工房、顕現せよ、魔道具18番!」


 小さな魔法陣が輝くと、そこから現れたのは禍々しい首輪だった。それがリリィの首にぴったりと装着されている。リバティーは静かに安堵の息をついた。


「俺の、勝ちだな」


 そして彼は超不完全燃焼マシーンと氷の壁を送り返して消し去る。すると、リリィの意識が徐々にしっかりしてくる。


「これは……まさか、支配の首輪か!?」

「そう、だが、俺が魔改造した支配の首輪だ」


 リリィは怒りを露わにして叫んだ。


「魔王のこの私にそんなものが効くわけないだろう!」


 リバティーは静かに首を振りながら答える。


「だから、魔改造したんだよ。魔王軍が使っている支配の首輪は、命令に従わないときに一定の強さの電撃が出るんだろ? 並の人間なら即死する程度の電撃。それで終わりだ」


 リバティは少し間をおいてから、次の言葉を続ける。


「それだと魔王に対しては力不足だ。だが、この魔改造した支配の首輪は、命令に従わないとき、対象者の魔力を吸収し、その大きさに応じた電撃を放つ。つまり、対象者の魔力が大きいほど、電撃の威力も上がるわけだ」


 リリィはその説明に目を見開く。


「……ま、ひとまず使ってみよう。魔王リリィに命令だ。今後、俺の許可なく、人に危害を与えようとするな!」


 リバティが命令すると、首輪が微かに振動する。リリィの表情が一瞬で変わり、怒りと屈辱が入り混じった感情が目に浮かんでいた。


「この私に命令などできるものか!  今すぐ貴様を八つ裂きにし、殺してや――ギャァァーッ!」


 リリィがリバティーに狙いを定めた瞬間、激しい電撃が体を駆け抜け、彼女の体が焼き焦げる。


「ハァ、ハァ……ちょ、ちょっと待て、この威力はヤバい……」


 リリィは驚愕と痛みに顔を歪めながら、何とか自分を保とうとする。リバティは冷静に言った。


「まあ、それだけあんたの魔力が大きいってことだな。実験は上々。お前はもう俺に逆らえない。では命令の二つ目、俺のことは貴様ではなく『ご主人様』と呼ぶこと!」


「何をふざけた事を! 貴様をそんな風に呼ぶわけが――アァァーッ!」


 またもや激しい電撃がリリィの体を駆け巡り、その場に膝をつくほどの痛みに彼女はただ耐えるしかなかった。


「これは魔王が俺の支配下に置かれたことを明確にするために必要なんだ。ほらほら、ご主人様と呼ばないと、死ぬよ?」


 リバティの言葉には一切の躊躇がない。


「……ご、ご主人様……」


 その瞬間、電撃はぴたりとやんだ。リリィは震える体を必死で支えながら、その言葉を吐き出す。


「魔王であるこの私が、な……何という屈辱……」


 その声には、激しい怒りが込められている。


「決して許すまじきシン族の人間共。必ずや根絶やしにしてくれる……」


「言うことがイチイチ怖っ! じゃあ三つ目の命令、今後話すときは語尾に『にゃん』をつけること!」


 リリィの目が再び烈火の若く光る。


「阿呆なのか? 私は虎だ。猫ではない。死んでも語尾に『にゃん』などつけるか! ギャァァァーッ!」


 再び、容赦ない電撃がリリィを貫く。彼女は震えながら叫び声を上げだけで、体を動かすことはできない。


「私は、誰もが恐れる魔王、冥府の女王! ガァァァッ! そのような恥ずかしい語尾など――ぐわァァーッ! 口が裂けてもーーアァァァァー!」


「では、己の罪を後悔し、ここで果てるがよい!」


 リバティは冷徹に言い放つ。


「……死にたくないにゃん」


 リリィは声を震わせながらも、ついに言ってしまった。その目には涙が浮かんでいた。彼女は恐る恐る質問する。


「でも、どうして『にゃん』をつけさせるのかにゃん?」


「もちろん、これまでの行いを反省させる罰ゲーム的な意図もあるんだけど、それより、お前の話し方、いつも怖くて、このままだと主人である俺のストレスになっちゃうだろ? でも『にゃん』とかつけたら何言っても怖くなくなるかなって……あと猫耳だから」


 リリィは体を震えさせて叫んだ。


「だから、私は断じて猫ではない! 虎だァ! ギャァァァ!」


「ほらほら、語尾に『にゃん』つけないと電撃ビリビリだからね」


 リリィは、もはやぎりぎりの力で声を絞り出した。


「私は……虎だにゃん」


「まあ別にどうしても『にゃん』じゃなければいけないことはないけど、じゃあ語尾は『でゲス』とかに変えてやろうか?」


「語尾は『にゃん』でお願いするにゃん!」


 こうして、愉快な魔王リリィが仲間に加わった。

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