第7話 廃寺の医師への応援コメント
生と死の間に立ち、『器』としてその場に居られたこと。
いろんな状況下にも通じる真理が感じられました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
生と死の狭間という、端的に言って変化が不可逆的な現象に立ち合う、居合わせる、同席するということだけでも大変な意味を感じます。
ケアの本質は『器』であるといっても過言ではないと思います。
冠婚葬祭の際、その場に居てお祝い膳や御斎(おとき)を共に頂いたりすることは、もはや儀式となっていますが、そこにはそれなりの死者も生者も含めた関係性へのメッセージや意味があることに気づかされます。
空っぽの『器』や空の『皿』には、人々が色々なものを入れたり、並べたり、置いたりしてくれます。風が通り抜けるように清々しくはいかないかもしれませんが、……人々がそこから各人好きなものを手に取って自分のものにしていくこともあるかもしれません。
第6話 響き合う声への応援コメント
何回目かの読み返しですが、
今日初めて手塚治虫の火の鳥とブラックジャックが思い浮かんできました。
満員電車の中で、イヤホンをしながらラジオも聴かずに3人の世界に近づいていく感覚がありました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
視覚よりも聴覚が心には効く!と言われることがあります。
「闇」という漢字は門構えの内に「音」と書き入れます。
トンネルという「うろ」の中で声なき声=風の響きでもって対話し合えると感じています。
第5話 風の囁きへの応援コメント
風の通り道
トンネル
小春の行方、小春の正体
核心に近づいてきました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
小春っていう少女は、どこから来て、どこへ行くのでしょうか?
あなたも私も、彼も彼女も、そして彼らも、みんな人と人とのつながりの中で生きています。昨日も今日も明日も、私たちは「関係性」の中の住人です。
その「関係性に生きる住人」というのは、目の前の人、遠くに居る人、過去や未来という時代を超えて存在する人も含めて考えています。
第4話 記憶の裂け目への応援コメント
臨終に立ち会う時には、達成感はなく無力感と逃げに近い解放感を繰り返していたようです。
決して慣れてはいけないと、自分を責めつつ。
意識がなくなった人の心まで考える余裕がなかった。伴走者に近い感覚だったような気がします。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。「伴走者」という言葉が響きます。
第3話 空の器に風が吹くへの応援コメント
空の器
風
自己
トンネル理論
この物語のテーマが、この章で明らかになってきました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
「自分」というものが、中身の無い「空の器」のような存在だとしても、
その「うろ(洞)」のような空間に何かが出入りしていると感じます。
そして「風」は命の比喩としてよく使われています。「風の谷のナウシカ」もそうですね。
第2話 坐への応援コメント
小春の登場
神なのか?
静かに心が浄化されてく感覚
次回が待ち遠しい
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。励みになります。
小春は確かに存在しているのだと思って筆者は書いています。
心の中には確かに存在するのに、この世に存在しているかどうか……この世では風のような実体の無い動きや気配だったり、ふと気づいたときにそこに居ると感じるような不可視な存在かもしれませんが……。今度の火曜日に第三章を公開しますが、その前に、筆者自身が日頃考えてることを静馬に独白的に内部心理を第二章のあとに加筆しようと思っています。まぁ、説明しすぎない方が良いとも思ってはいますが……。
第1話 帰郷への応援コメント
般若心経 色即是空、空即是色
Bob Dylan Blowin' In The Wind などが心に浮かんできました。
これからの展開が楽しみです。
作者からの返信
ありがとうございます。
色即是空……そしてわたしも大好きなBob DylanのBlowin' In The Windのイメージ……
来週5月13日に第2章「坐」を公開する予定です。乞うご期待!
第8話 透明な通路への応援コメント
時空を自由に凝視したり、俯瞰したり。
不思議にミクロもマクロも無限♾️。
風の通り道はも大きさも形もいろいろ。
全てを受け入れることは、空の器になること。
風のように生きていきたくなりました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
ある友人が以下の言葉を何かの席で呟いていたのを思い出します。
「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」
仏典からの引用らしいです。さらに、後代になって次のような言葉も…
「無一物 中 無尽蔵(むいちもつ ちゅう むじんぞう)」
この表現も禅宗的には用いられるようになったとのこと。
「有る」と「無い」、でも「無い」と「有る」……「生」=「息」…風へ……まさに「いきること」がそういうことなのでしょう。
まだ生身の私がどこまで風のように生きられるか…これからを真剣かつ不真面目に、畏れながらも面白く生きたいと思います。