スイーツ貴族の天命 ~悪役令息は宿命(シナリオ)を無視して我が道を行く
C@CO
第1章
第1話 「悪役令息」の役割を担わされている男
「彼のことを『美男子』と評価しますか?」
洋装姿の彼「
仮に10人に聞くことにしたら、辛うじて1人が首を縦に動かすかもしれない。残り9人は首を横に振る。
それは「美男子」と評するには年上すぎるから? それとも、年下すぎるから?
どちらも違う。彼の年は18歳。少年を卒業して、大人に足を踏み入れた。
だったら、
「彼は醜いですか?」
そう尋ねたら、ほとんどの人が肩をすくめるか何か否定の態度を取る。
両親は美男美女だった。
さらに、彼の金色の髪と蒼い瞳は、外国出身の母方の祖母の血を色濃く受け継いだもの。故郷で「宝石」と讃えられた彼女を連れ帰った祖父の血も濃く受け継いでいる。他の人より頭ひとつ抜け出す高い背丈がそうだ。
彼らの孫、と知れば、
「澤渡伯爵家の御曹司か! 面影がある」
などと言って、ほとんどの人が興味を示す。
けれど、続けて、
「彼は『好青年』に見えますか?」
と聞けば、多くは苦笑いを浮かべながら否定する。中には、否定も肯定もせず、
「成長すれば、お爺様や母上と同じ『良き貴族』になるんじゃないかな」
そう評する者が現れるかもしれない。
逆に、
「『近寄りがたい』『とっつきにくい』『人を寄せ付けない』。彼の顔を見ると、そんな印象を受けますか?」
こんな問いかけをしたら、誰もが同意する。
10人いれば10人全員、確実に。
なぜか?
答えは、彼がまとっている張りつめ緊張感に満ちた空気、釣りあがった目。
もっとも強く印象付けるのは、眉間に深く刻み込まれたしわ。
しかも、この1カ月で、刻まれた影はさらに色濃くなっている。
「まるで、ご老人のようね」
澤渡将典は、一昨日、偶然、耳にしてしまった。江都の屋敷で働く使用人たちが囁き合っているのを。
――気にする必要はない。
姿見に映ったそのしわに、将典は両親指を押し当てて、グリグリと伸ばす。
かつて、同じことをしていた時に、
『なにをしているの、将典?』
優しく声をかけてくれた母はもういない。
将典が澤渡伯爵家の当主だった母と故郷の滄州で再会し、最後の別れを告げたのは1か月前のこと。
母の永遠に閉じられた目と冷たい姿は、簡単に彼のまぶたの裏に浮かんでくる。
眉間に押し当てた指をまた強く動かす。
グリグリと。しわが消えるように。悲しみも一緒に消えるように。
でも、指を離すとしわは元通り。違うのは潤んだ蒼い瞳。
『将典の瞳は本当に蒼いわね。まるで大海原のよう』
今度は両手のひらを使って、眉間のしわを伸ばす。瞳に浮かんだ涙も消すように。
手のひらを顔から離す。涙は拭けても、姿見に映る眉間のしわは変わらない。
澤渡家18代目の新当主として、将典が3代目となる伯爵位を襲爵するのは、2年後。
これからの2年間は、次期伯爵として相応しいか、一挙手一投足が見定められる。
――私は「良き貴族」にならなければならない。
将典は、姿見で確認しながら、上着の襟を直す。
『他の貴族からは敬意を払われ、お坊さんたちからは尊重され、使用人たちから慕われ、民衆から愛される。そんな人になりなさい』
母の言葉が耳元で囁かれる。
――まずは後見人を務めてくれている叔父上に認められなければならない。
『大丈夫。将典殿は何も心配する必要はありません。そのままでいたらいいのです』
滄州を離れて江都に戻る時、叔父はそう言っていた。
――でも、もしも、認められなければ?
――なにか取り返しのつかない失敗を犯してしまったら?
伯爵位継承権は剝奪。当主の座からも引きずり降ろされる。
身体がブルりと震えそうになった。武者震いによるものか。それとも……。
ふと、将典は視線を姿見から外し、顔を横に向けた。窓の向こうで、雪がちらついているのが見えた。
叔父「
そんな立志伝中の千里を、将典は深く尊敬している。
頼れる親族は千里1人だけ。
親族は他にもいる。父「
『さあ! これからは俺が伯爵だ!』
故郷、滄州で誰もが悲しみに沈んでいる中、拓哉だけは喜びの声を上げて屋敷に乗り込んできた。和服を着た彼からは、昼間にもかかわらず、酒の強い匂いがした。洋装のドレスを煽情的に着崩した見知らぬ女性も侍らせて。
――なんて恥知らずな!
当然、後見人の千里によって、拓哉は屋敷から追い出された。
『あなたの場所はここにはありません。さあ、出ていきなさい』
滄州はもちろん、皇国中の民が継承権を持たない父、高松拓哉の愚行を嘲笑っている。
――婿だった父には、これまでも、そして、これからも澤渡家に居場所はない。
――絶対に与えない。
将典が顔を戻すと、姿見に映る眉間のしわがまた深くなっている。
すると、1つの欲が心の底から湧いてきた。
――なにか甘いものを食べたくなってきた。
秘書を務めている乳兄弟が背後に控えている。その彼に用意するように指示を出そうとしたら、
『砂糖は堕落だ』
冷たい声が遮る。
――幼い頃は食べていたのに。
母とともに茶屋で食べた団子。祖母が故国から持ってきたレシピで作られた焼き菓子。
そんな過去の甘い記憶も遮られる。
『砂糖への執着が心を鈍らせ、飽くなき欲望を煽る』
冷たい声の主は「
商会主として多忙な叔父は本拠を滄州に置いているため、玄悔が将典にとって唯一江都で信頼できる大人。
そんな玄悔の声が、彼の欲を抑え込む。
将典の眉間のしわが歪む。
――ああ! くそっ!
――物を投げつけたい! 周りに当たり散らしたい!
――目の前の姿見を殴りつけろ!
――ガラスで怪我をしたってかまわない。
――耳に響くガラスの砕け散る音はどんなに爽快か。
――さあ、殴りつけろ!
けれど、彼の目は姿見に映り込んだ和服姿の使用人を捉えてしまった。
洋装の乳兄弟の横に控えた彼女の不安そうな目を。緊張で強張らせた身体を。
――くそっ! くそっ!
――そうさ! 衣擦れの音ひとつさせないほど怖がらせているのは私だ!
ギュッと目をつぶり、両手を握りしめ、心の中で「解放しろ!」と暴れる衝動を押さえこむ。
数瞬の後、ふー、と大きく息を吐く。
吐き終えると、握りしめていた両手をゆっくりと開き、ギュッと閉じていた目も開く。
姿見に映った、変わらない眉間に深いしわを刻んだ顔が見えた。映り込んでいる部屋の様子も変わらない。
ホッと小さく息を吐いた。昨日と一昨日に映り込んだ部屋の様子はグチャグチャだったから。
でも、将典の安堵はすぐに別の感情によって塗りつぶされる。
――私は本当に「良き貴族」になれるだろうか。
母の言葉が囁かれる。
『将典、「良き貴族」に
――私の選択ひとつが澤渡家の行く末を決めてしまう。
18代続いた澤渡家の歴史の重みが、まるで鉛の外套を羽織らされたかのように重く圧し掛かってくる。
振り払うように、将典は前髪を右手でかき上げた。
――この100年、社会は目まぐるしい変化を起こしている。
それまでの人々は、常に魔獣によって命を脅かされていた。
将典の脳裏に浮かぶのは、その脅威に立ち向かった武士たちの姿。
彼らは自分たちしか使えない剣術と気術によって、命を懸けて、民を守ってきた。
だが、100年前、誰でも扱える銃火器が発明された。
銃火器は魔獣と戦うために使われた。大量に用意された。そして、多くの民がそれを手にして魔獣に立ち向かった。
魔獣は森の奥深く、山の奥深くへと押しやられた。
――結果として、武士はその存在意義を失った。
――武士は「武家」となり、新しい存在意義を模索し続けた。自らの未来を獲得するために。
魔獣の脅威からの解放を人々は喜んだ。子供を産んだら、安全に育てることが出来るようになった。
人が増えた。けれど、社会は増えた人を受け入れる準備を整いきれていなかった。
人は魔獣がいなくなった新しい土地に住んだ。そこから溢れた人は都市に集まり住んだ。
貧しい生活しかできなかった。不満が溜まった。
そんな中、魔獣から民を守る
――名門武家「澤渡家」の当主として、お爺様も大政奉還とそれに伴う改革のために奔走された。
――お爺様を始め、奉還を主導された方々は偉人だ。
――でも、その方々による改革でも不十分だった。
――30年経った今、再び歪みが表に出てきている。
貧富の格差はますます増している。身分を問わず、成功した者は富み、失敗した者は貧しくなる。
大政奉還後、「名族」に再編された旧武家の中には、時流の変化に乗り切れず、果たすべき責務を見失ってしまった者、責務を忘れて奢侈に耽る者が目立ち始めている。ついには、乗っ取られたり、没落する家も現れ始めた。
――それでも、名族より上位の「貴族九家」は万全だと考えられていた。
将典の視線は、姿見に映りこんだ澤渡伯爵家の紋章を捉える。
――けれど、
澤渡家と同格の伯爵で、25代を重ねた公森家は潰された。理由は役職の権限濫用、汚職、犯罪の隠蔽。
――処分は苛烈だった。
降爵でも爵位剥奪でもない。家の存続が認められなかった。分家も改姓を命じられた。
――命こそ奪われなかったが、武士の末裔として命より大切な名誉を奪われた。
今の皇国には、武家の中でも屈指の名門だった「公森」を名乗る家は1つもない。
――公森家の二の舞になってはならない。決して、だ。
けれど、現実には澤渡家の声望は底辺だ。将典の父が起こした醜聞によって地に堕ちた。
――民は
将典は歯を食いしばる。
――不正や汚職に手を染め公に処罰された者はいないが、この先、澤渡家に連なる者が手を出さない保証はない。
実際、つい先日、澤渡家の中で横領を行った使用人が現れ、将典の手によって解雇された。
その使用人はかつて公森家の分家で働いていた。しかし、その分家も不正を行っていたため取り潰しとなり、路頭に迷っていた。
将典は情けをかけた。だが、裏切られた。
『お前のような恥知らずな人間は当家には不要だ。二度と私の前に顔を出すな』
――澤渡の名誉を汚したあのような人間は二度と現れないようにしないといけない。
――今すぐ! 絶対に!
ふと痛みを感じて、将典は左手で胃を押さえた。後ろで控えている乳兄弟や使用人に悟られないように。
――今朝も薬は飲んだ。体調が悪いはずはないのだが。
屋敷に出入りしている医者から処方された薬を毎日飲めば、病気知らずのはずだった。ただし、非常に苦い。
口の中で薬の苦みが浮かび、将典は顔をしかめかけるが、乳兄弟と使用人に悟られないように抑える。
――くそっ。あれだけ苦い薬を毎日飲んでいるのに。
それなのに胃に痛みを感じた。
――そう言えば、食欲も最近あまりない。
痛みが弱気にさせる。視線が床に落ちる。
――……辛い……のかもしれない。
――もしも、我が家が傾けば、屋敷で働いている多くの使用人たちが職を失う。
――最悪、叔父上の商会も畳まなければならなくなる。
――大政が奉還されてからも、澤渡に忠誠を誓う家も多くある。その者たちの道がなくなる。
――滄州の多くの民は今でも澤渡を慕ってくれている。彼らを不安に陥れてしまう。
だからこそ、常に当主として相応しい姿を示さなければならない。たとえ、やせ我慢であっても。
彼に泣き言をこぼせる人はいない。共感して慰めてくれる人もいない。
――独り。……寂しい……のかもしれない。
ギュッと目をつぶる。
――それでも、私は澤渡家18代目当主。
将典は全身が鉛のように重くなるのを感じた。
『私は叔父上のような貿易商人になります! なって、船に乗って大海原に漕ぎ出したいです!』
かつて幼い頃、母へ向かって無邪気に宣言した思い出が蘇る。鼻の奥には潮の香りも。
コロコロと笑っていた母の姿が思い出される。
――何もかも放り出して、大海に漕ぎ出すことが出来たら……。
そんなかすかな気持ちは、閉じたまぶたの裏に浮かんできた父、拓哉の後姿と重なってしまう。逃走して責任から解放された、その姿と。
――……羨まし…………違う! 違うっ!
めまいがした。闇の中で、自分の意識が揺れているよう。
楽しそうな父の笑い声がどこからか聞こえてきた。
――あんな男を羨ましいなどと考えることは決してない!
かすかな望みと、否定する気持ち。重圧と責任感。逃避と義務。
交錯する感情が将典の意識を奪う。
「「将典様!」」
乳兄弟たちの切迫した声が後ろから聞こえたのだが、かき消された。
耳元で囁かれる見知らぬ誰かの声で。
「辛いか? そんなに辛いなら、俺が代わってやるぜ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます