第6話 産まれる

「行くな! それ以上は危険だ」


 ジェラルドの腕を掴んだ。大量の魔気に晒されると普通の人間は、精神を病み狂ってしまう。それもアリシアが目視できるほどの魔気の量だ。いくら魔力があるといえど、人間であるジェラルドがそれを浴び続けて、耐えられるはずがない。


 ジェラルドがアリシアの指示に従ったのを確認して、ベッドへと近づいた。周囲を覆う黒霧がさらに濃くなる。「光よ」と、視界を奪われぬように、自分の目の前に聖力の壁を作った。青白い光が黒霧を相殺していく。


 慎重に第一王子へと近づいた。漆黒の黒髪が汗を吸い、頬にべたりと張り付いている。シャツが汗を吸い肌にペタリと張り付いているせいで、ボタンを外すのにも一苦労だった。どうにかボタンを外し、直接胸に手を押し当てる。心臓の鼓動を感じ、ほっと息を吐く。


「まだ、生きてる」


 聖力を注ぎ込みながら、呪いを殺さぬよう注意を払い、呪いの道を探す。


 呪術者は、呪いに自分の刻印を刻む。その刻印が強ければ強いほど、呪いは強固になり確実に相手を呪うことができる。何度も繰り返し呪いが発動し、何千年もの間、蓄積された呪いなど、魔王であった時にも出会ったことはなかった。どれほどの執着と信念の持ち主なのだろう。魔族が絶えてからも、たった1人で、呪いを刻み続けてきたなんて。きっと孤独な闘いだったはず。


 アリシアは呪いをかけた主へと想いを重ねる。

 もうお前は1人ではない。

 さあ、お前はどこにいる?


 ドクンと力強い鼓動がアリシアの手に伝わる。

 心臓の鼓動ではない、別の鼓動が打ち始めた。


「これはまさか……」


 アリシアはかつて魔王であった時の記憶を思い出した。人間と魔族が棲み分けられていた時代。境界を隔てる山脈にドラゴンの巣を発見した。すでに誰かがドラゴンを討伐した後だったのか、そこには成獣したドラゴンはおらず、孵化を待つ卵が並んでいるだけだった。ドラゴンの卵は魔気を大量に含んでいるため、人間が触れるだけでも害がある。

 きっとドラゴン討伐は人間が行ったのだろう。死んだドラゴンは魔気が消えるから、人間でも運び出すことができる。だが、ドラゴンの卵は、いつ爆発するかわからない生ける時限爆弾だ。持ち出すのは危険だと考えて、放置したのかもしれない。


 興味心で卵を城へと持ち返り、孵化させようと試みた。ドラゴンの卵を孵化させるには、絶やすことなく魔力を注ぎ込む必要がある。魔力を注ぎ込む量に比例してドラゴンの卵がより早く成熟する。


 成熟すると、ドラゴンの卵に独特の紋様が浮かぶ。 その紋様に殻全体が包まれると、殻を破り光に包まれたドラゴンの子供が現れる。殻に刻まれたドラゴンの紋様は、この青年に刻まれている紋様と同じではなかっただろうか。見間違いだったらと願えば願うほどに、過去の記憶と重なっていく。

 ドクン、ドクンと、脈を打ち、それは徐々に正確な規律を持つ鼓動へと変わっていった。青白い光が青年の身体の隙間から殻を破るようにこぼれ漏れる。


「一体……何が起きてる?」


 と、耐えきれずといった様子でジェラルドがアリシアに尋ねた。今から起きる光景をどう伝えるべきか悩んだ。誤魔化そうかとも思ったが、それでは事の危険性を伝えられなくなる。ここは歯に衣を着せず、正直に心の中に浮かんだセリフを告げる。


「ドラゴンが、……生まれる」


*  *  *


 長い年月のどこかで、呪術者は王族の器にドラゴンの卵を植えつけた。ドラゴンの器として人間の魔力を吸い上げさせて、孵化すると同時に器が破壊されるよう、時限爆弾をセットした。魔力の多い魔族とは異なり、人間は魔力が殆どない。体内にある全ての魔力を吸わせても、孵化までに長い年月がかかる、孵化のリミットが17年という長い年月なのも、人間ならば、納得がいく。


 呪いとしてここまで手を込んだものは初めてだ。もし呪術者に会えたら、どんなふうに呪いをかけたのか教授願いたいものである。

 必ず呪術者への繋がりを手に入れなくては。

 


 いくつもの足音が近づき、静寂が突き破られた。扉の奥から、兵士が入ってくる。兵士たちは皆、腰に剣、腕には銃を携帯していた。どうしてそんなに重装備なのか? と、眺めていると、


「ジェラルド殿下!!!! どうしてこちらに?」


 と、青い短髪の兵士が、ジェラルドに気づいて驚きの声を上げた。


 ジェラルドの二倍ぐらい背が高く、二の腕などは丸太のように太く胸板は護衛兵の制服の上からでもわかるほど膨らんでいる。屈強な兵士らしい出立ちの男が、小柄なジェラルドへと仰々しく傅いた。


「ここは危険です。今すぐこの部屋から出てください」と、告げる。


 さらには、ベッドに近づくアリシアに向かって兵士が真鍮製の鎧を鳴らして近づいてきた。「ここは立ち入り禁止です!」とドアの向こうへと誘う。さあ、と紳士的にアリシア達を誘導した。

 完全武装の兵士たちの目的は、われわれを拘束することではない。というのも多くの兵士が、ジェラルドとアリシアを素通りしたからだ。彼らは部屋の隅に武器が入った箱を並べ、土嚢の山を積み上げ始めた。兵がさらに増え、部屋の中だけでなく、扉の外までに兵士が溢れかえった。さもこれからこの部屋の中で戦争でも起こすかのような緊張した雰囲気がある。


「バスカル! 邪魔するな」


 青髪の兵士に向かいジェラルドが声を張りあげる。



「第一王子殿下は、もう間も無くドラゴンに変異します!


 急がなくては王都に被害が出てしまうのです!


 ご理解ください!」


 たまりかねずバスカルは真意を漏らした。


「兄上を……殺すのか。……殺せと、誰が命じた」


「……今すぐ部屋から出てください」


 バスカルの一歩も引かない態度にジェラルドは歯軋りをする。


「誰の命令なんだ。いえ!」


 バスカルがジェラルドに詰め寄られた。立場上答えなくてはならないのだろうか、苦しげに唇を噛み締め、拳を握って耐えている。


「……っこのままでは危険です。お願いですからどうかお引き取りください」


「答えろ! バスカル!」


 ジェラルドの罵声が飛び、バスカルがジェラルドと視線を重ねる。バスカルが脂汗をかいている様子から見ても、ジェラルドよりも高位の人物に固く口止めをされているのだろう。


 ということは、女帝か、王配かが王子を殺すように命じた?


 ジェラルドが怒りに任せて剣を抜きかけた時、「……私だ。ジェラルド……」と黒霧の中から声が響いた。第一王子が、鉄の手錠を鳴らし、ゆっくりとベッドから上体を起こす。長い黒髪が揺れ、黒霧と混じり合いメデューサのように周囲へと広がった。そして蛇のような真っ黒な瞳がこちらへ向いた。

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