第5話 王城

 車窓から見える湖の水面に真っ白な月が浮かんでいる。


「畜生!!!!」


 アリシアは頭を抱えた。


 何故、第一王子を救うことが出来る聖女の交渉人が第二王子だったのか。何故、女王と王配が式典後すぐに王宮へと戻ったのか。何故、ジェラルドが指先を震わせているのか。何故、この馬車は同じ場所をぐるぐると回っているのか。 

 もっと早く気づくべきだった。


「そうか……。 第一王子を見殺しにするんだな。ただ体裁的に第一王子を救ったように見せかけたい。呪いを解こうとしたが時すでに遅しだった。 

 私は、第一王子を葬る茶番に、まんまと使われたわけだ」


「ちがう! 僕は! 兄上を救いたい!」


 ジェラルドが狼狽えたように瞳を揺らした。先ほどまでは勇敢な少年だと感銘すら覚えていたのに、今じゃただのオオカミ王子だ。


「先ほどからずっと同じ景色が続いているが、これはどうしてだ?」


「僕は……」


「自分の命が伸びたことで、欲をだしたか? それとも、誰かに命じられたのか?」


 アリシアの言葉に、糖蜜色の瞳を大きく見開いた。魔王であった時は、人間の嘘を見抜ける能力があったが、今はそんなものが必要ないほどに、ジェラルドの心の動きが手に取るようにわかった。


「お前は、誰かの駒だな。第一王子を見捨てれば、どんな褒美が手に入る? 

 それは兄の命よりも重いものか?」


 ジェラルドの瞳にたっぷりと涙が浮かんだ。堪えきれずに、涙の筋が顎先を伝う。


「先ほど、連絡があったのだ。フォルティが……人質に取られていると。協力しなければ、フォルティは、殺される。僕は、救いたい。

 そのためなら、僕は神だって敵に回す」


 1人の命のために、神を敵にまわすだと。目の前にいるのは誰なのか、今すぐ打ち明けて、その顔が崩れる様子を眺めてやろうか。そんな衝動に駆られるが。自分の大事な人が人質に取られていたなら、善悪などどうでも良くなる。まして、王子といえど幼い少年だ。自分の選択で人の命が奪われてしまうそんな重圧に耐えられるはずがない。 

 アリシアは、口元に笑みを浮かべる。


「くははっ!……お前、気に入った」


「え……?」意味がわからない様子の返事が戻った。


「そいつも、全員、救ってやる」


*  *  *


 王子の従者が乗っていた馬を拝借する。馬に乗るのは前世ぶりだ。だが、手綱を掴めば、すぐに乗り方を思い出した。王子を背に乗せて、手綱をギュッと握りしめた。


「行け!」


 馬は、アリシアの命令通りに全速力で駆けだした。ぐんぐんと世界が後ろへと進み、聳え立つ城壁が見えてくる。ジェラルドはあまりのスピードのせいか、アリシアの腰にギュッと腕を回して振り落とされぬように必死なようだ。


 アリシアは首都に入ったことがない。だがどの建物よりも高く聳え立つ建造物からただならぬ気配を感じられた。あれが人間の城。あの中に、第一王子がいる。


 王城へと近づくと呪いの香りが一層強くなる。芳しく、妖艶で、そして懐かしい香りは指先を痺れさせ、頭の先をクラクラとさせる。ゆっくりと思考を奪われてゆく感覚に、激しく抵抗しながら、細い小道を何度も曲がり、馬を巧みに走らせた。


 魔王であった時は感じなかった感覚は、聖女特有のものなのだろうか。もし全ての人間が魔気を感じられるのなら、とても正気でいられないだろう。


 城の門へと辿り着いた。門兵が馬を止めようと出てきたが、直前でジェラルドがマントのフードから顔を覗かせた。ジェラルドの顔パスのおかげで、馬はスピードを緩めることなく城の奥底へと進めることができた。


 もう月が南の空の中央へと差し掛かっている。もうすぐ、0時を迎えようとしていた。一刻を争うというのに、城の扉はきっちりとしまったままだ。アリシアは馬の手綱をめいいっぱい強く引いて、方向転換をする。ジェラルドが、「な! どこへいくつもりだ!」と後ろで怒鳴った。階段を駆け上がり、馬を2階のテラスに向かいジャンプさせる。馬の前足が空を舞い、アリシアとジェラルドの体が宙に浮いた。


「行っっっけええーーー!!!!」


大理石でできたテラスの手すりが、眼前に迫る。ぶつかれば、そのまま真っ逆さま。硬い石畳に身体を打ち付けることになるだろう。だが一か八か、そこを通過できなければ、間に合わない。あと一歩というところで馬は、降下していった。


——ダメだ。落ちる!!!!!


*  *  *


 このまま地面へと真っ逆さまだ。と、諦めかけた時、馬はふわりと浮き上がり、ゆっくりとテラスへと馬蹄を下ろした。思いがけぬ馬の華麗なる着地に面食らう。すると、「止まるな! 僕がサポートする!」と、ジェラルドが背後で叫んだ。 どうやら、ジェラルドが魔法で馬をサポートしたらしい。


 魔法を使えることに驚いたが、勇者の血を継ぐのだから、魔力が多いのも頷ける。グッと、馬の手綱を引き、魔法で扉を放った隙間に入り込む。

 廊下を全速で馬を走らせながら、悲鳴を上げる侍女の脇をすり抜ける。馬が城の廊下をかける様子に慄く侍女や従者たち。だがそんなことはどうでもいい。今はとにかく第一王子の元へと向かわなければならない。呪いの濃さがさらに強まり、刻一刻と呪いが放たれる時が迫っているのが、わかった。


 長い直線の廊下を走ると、大きな扉が差し迫ってきた。扉に黄金の魔法陣が浮かび、扉が放たれた。扉の奥へと馬が滑り込むなり、ざわっと視界を覆う真っ黒な霧に囲まれる。


——魔気だ。


 ベッドに拘束具をつけられたまま眠る青年から、この強い魔気が放たれている。ジェラルドの首筋にあったドラゴンの紋様は、この青年の顔や腕、身体中の至る所に浮かんでいた。もう全身を呪いによって奪われてしまったのだ。


 「兄上……」  

 と、ジェラルドが拘束具をつけられた第一王子へと吸い寄せられるように歩み出した。

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