第3話 王子からの依頼

*  *  *


 長い回廊を再び戻り、聖女の儀式を終えた大神殿を通過する。この先は、大聖女や大神官の住処。そして、来賓用の部屋が在る。その部屋には、貴族の他に王族の者たちが通されたはずだ。


 アリシアは、背中にひやりとするものを感じて身震いする。振り返ると、そこには蝋人形のように無感情の兵士が居るだけだった。


 やはり先ほど式典での蛮行がバレていて、斬首刑にでもなるのだろうか。回廊を歩くなか、逃げる方法を探してみたが、屈強な兵士たちに囲まれていては、逃走の失敗は火を見るよりも明らかだ。


 扉が開かれると、扉の装飾と同じぐらい豪奢な部屋が現れた。濃紺の壁に銀色の窓枠。支柱にも銀の箔がふんだんに貼られている。厳かな雰囲気の中に漂う、贅沢な空間。この部屋は、大神殿のどの部屋よりも豪華そうだ。


 そんな豪華でフカフカの1人がけソファーに座るのは、第二王子のジェラルド・グラム・ペレアスだった。彼はこちらが来たことに気づいても、席から立とうとはしなかった。当然だ。彼はこの国の王子で、アリシアは新米聖女見習い。この国にある社会的格差に倣う他ない。


「第二王子殿下に、アリシア・カリュー・シュクランテがご挨拶申しあげます」


 緊張をさとらねぬように、スカートを持ち上げて第二王子へと挨拶をする。


「表をあげよ、シュクランテ」


 顎先をジェラルドへと向ける。彼は口元に笑みを湛えていた。プラチナブロンドの髪に、日焼けをしたことがない赤ん坊のような白い肌。形良い鼻梁。唇は薔薇の花のように赤く染まり、糖蜜色の瞳は獅子の鬣の如く雄々しく輝いている。まだ幼い顔立ちではあるが、大人になったら多くの女性を虜にできるだろうことは察しがつく。人間のくせに綺麗な顔をしているこの少年の口からどんな言葉が出るのか、アリシアは唾を飲み込み待った。


「先ほどは、僕のアザを消してくれて感謝する。褒美としてではないが、其方を茶会に呼んだのだ」


 応接セットのテーブルの上には色とりどりの茶菓子が載っている。見たこともない異国の果物で彩られたタルトや、クリームをふんだんに使ったケーキ。目にも鮮やかなマカロンなどがたっぷりと並んでいた。 

 アリシアは本能的に涎を垂らしかけたが、庶民出身の聖女候補と茶会をすることが王子の目的のはずがない。一体何を企んでいるんだ?


「殿下……。こんな茶番、時間の無駄です。御用件をお教えください」


 と告げると、ジェラルドはくすくすと笑い出した。


「……なるほど、僕の勘はやはり正しかったようだ。 

 アリシア・カリュー・シュクランテ。 

 君は普通の女とは違うようだな。一体……何者だ?」


「お忘れになったのでしょうか。私は聖女候補生でございます」


「ははっ。そんなに殺気を放つ聖女候補生がいるか?」


 笑顔で放ったセリフとは裏腹に目だけはアリシアから逸さない。 

 まさか、正体を見破られたのか? 

 そんなはずはない……。けれども嫌な予感が胸の奥で細波を立てていた。


「君の経歴を調べさせた。 

 シュクランテ家は商家だそうだな。王族との直接的な接点はないようだが、私を殺したいと願うほど憎く思う出来事があったのなら、心より謝罪を申し上げよう」


 ふうん。王子様は、気付いていたのか。剣先は王子の喉元を突くことは出来なかったが、殺気は少年の心臓まで届いたってわけだ。 

 聡い王子を称賛するように、アリシアはにっこりと微笑んだ。


「何をおっしゃられるのですか。 

 王子殿下に謝罪をしていただくことなど、何一つございません。 

 ただ御尊顔をもっと近くで見たいと思ったのです。お美しいその顔を間近で見ようと、列を乱したことお詫びもうしあげます」


 とんだ茶番だと思いつつも、貴族たちのように取り繕って見せる。ジェラルドはわかりきっているかのように口角を引き上げて、作り笑いを浮かべる。


「本題に入ろう。アリシア・カリュー・シュクランテ。

 いやアリシア。 君に頼み事があるのだ」


「なんなりと」と恭しく膝を折った。


「私の首にあったアザ。あのアザは王族にかけられた魔王の呪いだ」


「魔王の呪い?」


「かつて、この土地を支配していた魔王ファフニールが、死に際に残した呪いだ。王族の男子は皆、ドラゴンのアザを持ち生まれてくる。そして17歳になると同時にアザから呪いが溢れ出て、命を奪うのだ。そのため、この国の最高権利者は女帝となっていた。


 今まで大聖女や聖職者が束になっても呪いは解けなかった。それなのに、君がアザを消してくれた。先ほど大聖女たちが調べたが、呪いの気配も共に消えたらしい。つまり僕は、君によって呪いから解放されたということになる」


 あのアザから感じた懐かしさのようなもの。あれは呪いから溢れた魔気だったのか。それと知らず、アリシアにとっては、いつものように、ごく当たり前の聖力を込めた。聖力が人一倍多いというわけでもないはずなのに。どうして解くことができたのか分からないが、アリシアは呪いを消滅させる類の能力があるのだろう。


 いや、そんなことよりも、もっと大事なことがある。呪いが、魔王がかけたと信じられていることだ。魔族の呪いは魔族の体内にある魔力を消耗する。そのため、魔族の呪いは、呪いをかけた者の死と共に消滅する。であるから、死してなお呪いが継続するなど、あり得ない。


 そして、そもそも魔王である私が、そのような呪いをかけていないということだ。ということは、この呪いをかけた人物が別にいるということ。おそらく呪いをかけたのは、魔族の生き残りだ。


「……生きていたか」


 ぼそっと漏らした言葉に、王子がピクッと反応を示した。


「アリシア。君のおかげです。褒美はいくらでもしよう。

 それから、もう一度手を貸していただけないだろうか」


「もう一度?」


「僕の兄、第一王子である兄もまた魔王の呪いを罹っている。 

 呪いから解放して兄を助けたいんだ」


 ペレアス・グラム・オールセン第一王子。 

 前王配と女王との子供で、第二王子であるジェラルドとは腹違いの兄弟だ。

 彼は武芸に秀でているだけではなく、戦知にも長け、戦を何度も勝利へと導いた立役者だった。それだけではなく、聡明で慈愛に満ちた心根につき民衆からも人気が高いと噂だ。そんな第一王子は、半年ほど前からぱたりと人前に出なくなった。ジェラルド王子のいう通りなら、このまま放っておけば第一王子は17歳の誕生日に死ぬことになる。


「第一王子を助けて、殿下にどんなメリットがあるのです? 呪いがかかったままなら、何をしなくても権力争いに勝てるのに?」


 兄はジェラルドにとって、目の上のたんこぶであるはず。それなのにわざわざ助ける意味はなんだ?

 そんなことを言う少女だとは思わなかったのか、ジェラルドは、ハッと慄いたように一歩後ずさった。


「……確かに、君の言うとおりかもしれない。このまま放っておけば、僕がこの国の次期国王になれるかも知れない。 

 けれど……それでも兄を見殺しになどできない」


 ジェラルドは、アリシアの瞳の奥をしっかりと見つめ返した。

 その瞳は憎き勇者そのものなのに、その奥に宿るものは、アリシアをかつて魔王たらしめたあの男のもののようだった。真っ直ぐで、純粋なまでに人間を、魔族を、全ての生き物を、愛した男。死を目前にしても、決して希望の灯火を消さなかった。きっとジェラルドもまた兄と違わず心根が美しいのだろう。まあいい。ここはひとつ貸しを作っておくか。


「わかった…..。特別に助けてやる。そいつのところに連れて行け」


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