幸せの檻
名月 楓
幸せの檻の中で
暖かい布団、美味しいご飯、優しい人たち。
私の周りは幸せなもので溢れている。
この地の領主の令嬢として、齢十五に至るまで何一つ不自由したことはなかった。欲しいといえば南国の宝石が手に入り、食べたいといえば東方の珍味を口にできた。少ないながらも貴族の令嬢たちとは懇意にしていて、領民たちには両親の善い統治のお陰で慕われている。そう、私は幸せなのだ。
だからこそ、寝る前に訪れる深い不安感と、その果てに溢れる生暖かい涙のわけを、私は探している。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、本日はお茶会にいらしてくださり光栄ですわ」
「こちらこそ素晴らしい会にお招きいただいて嬉しいですわ」
きらびやかなドレスを見に纏い、優雅な立ち振る舞いで教養を魅せる。貴族のお茶会は少し息苦しいけれど、その分友人と話すことができて楽しくもある。
「近ごろ私の領民の間で魔女の噂を聞いたのですけれどね、その魔女は不幸をひとつもたらす代わりに願いをひとつ叶えてくれるんですって」
「あら、なんでも叶えられるほどの魔女がいるだなんて恐ろしいですわね。変に浮浪者の願いでも叶えて領地を乗っ取られたりしたらたまったものじゃありませんわ」
その『魔女』の噂に私は心を惹かれてしまった。これだけ幸せで、もう求めるものがないのに苦しいのだ。今更不幸があったところでなんともないだろう。それよりも、幸せなのに苦しくなってしまうこの心をどうにかしてほしかった。
お茶会が終わり、屋敷に戻ってコルセットを外す頃にはクタクタになってそのまま寝入ってしまいそうだった。寝る前の身支度を終えてベッドに横になる。すると黒いモヤが頭の中を這い回る。疲労からくるものではない倦怠感が全身を包み込む。苦しい。幸せなはずなのに。何がダメなのか。今日だって幸せだったのに。苦しい。辛い。あぁ、もし魔女がいるならば、どうか、私を助けて───
「ほう、私を呼んだかい?」
暖かい風と共にその鈴のような声が訪れた。目を開けるとそこには成年になるであろう妖艶な女性が黒いローブを身に纏い、ベッド際に腰掛けていた。
「あなたは…」
「私かい?私は君が願った魔女だよ。魔女は願った人の前に現れるのさ。それで、君の願いはなんだい?」
唐突なことに頭が混乱するかと思いきや、意外にもこの状況をすんなり受け入れられてしまっている。むしろ『魔女』がつれてきた空気で落ち着きを取り戻している。
「私は……」
私は、何を願うべきなのだろうか。更なる幸せ?苦しみからの解放?それとも何も望むべきではない?なんとなく、どれも違う気がする。じゃあ私は何を願えば────
ふと、突飛な考えが頭の中を走る。なんでそのアイデアが出てきたかはわからないが、それに身を任せてもいいか、なんて思ってしまう。
「私は────」
「……へぇ、面白いね。いいよ、その願い、叶えてあげよう」
なんの考えなしに決めた願い。きっと代償は計り知れないだろう。けれど、私の心は高揚感に満ちて、後悔なんて微塵もしていなかった。
「それじゃあ、契約しよう」
彼女に促されるままに手を差し出すと、そこに血でできた魔法陣が浮かび上がる。
「『契約、汝その生を以って我が盟友となり、夜を駆ける者となれ』」
詠唱が終わると体を暖かな何かが包み込む。これが、幸せなのかもしれない。これが、私が望んでいたものかもしれない。
「さて、ようこそ、私たちの夜へ」
その晩、私は魔女となった。
幸せの檻 名月 楓 @natuki-kaede
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