課長の恩返し|ショートショート

水丸斗斗

課長の恩返し

——坂崎課長、やっぱり鶴かもしれない


 そう思ったのは、打ち合わせの最中だった。


 入社式の日、俺は初対面の坂崎課長を「鶴だ」と思った。

 坂崎課長も一瞬「バレたか」という顔をしたような気がした。


 あくまで個人的な感想だ。



 坂崎課長はとても面倒見のいい上司だった。


 俺は大雑把な人間だったので、痒いところに手が届くような坂崎課長といると、何かとスムーズに進むことが多くて有り難かった。


 「君って、憎めないタイプだよね」


 ちょっと羨ましそうに言われることもあった。

 そう言われるたびに、坂崎課長は鶴だから繊細なのかもしれないと思った。


 ある時、うっかり口が滑った。


 「坂崎課長って、鶴っすよね?」

 「そうだったね」

 「否定しないんですか」

 「鶴だからね、仕方ない」


 口にしてから、変なことを言ったと思った。

 でも、そうなんだから仕方がないのだろう。


 小顔の課長が疲れた様子で長い首を傾げている様子は、本当に鶴のように見えた。しかもはたを織っている、ちょっと不幸が似合う鶴だ。


 「やっぱり月に帰りたいとか思うんですか」

 「それはかぐや姫だね」

 「湖の上を泳いでる——」

 「それは白鳥の湖。無理に物語にくっつけなくてもいいよ」


 そんな物語が出てくるのも、坂崎課長が少しばかり浮き世離れして見えたからかもしれない。

 あり得ないとは思うが、本当に鶴になってどこかへ行ってしまうような、不安な気持ちにさせられた。


 坂崎課長がいなくなって一番困るのは俺だった。


 俺に割り当てられた客先に大福々商事がある。そこに同行してくれる親切な上司なんて、坂崎課長以外いなかった。

 老舗か何か知らないが、あそこの部長は、ねちねちと理屈をこねて俺を弄ぶ、いわば立場を利用してマウントとってるのに、それを自分の実力だと思っている、いやーなおっさんだった。


 平社員の俺が来ているんだから、向こうも平社員に代えてくれればいいのに、わざわざ部長が出てくるのには理由があると思っている。


 部長は前の担当だった坂崎課長が気に入っているから、俺が根を上げて担当を降りるのを待っているのだ。


 坂崎課長の、嫌みをするりするりと避けて笑いに変えるスキルは、他の人なら反吐が出るような嫌みでも、ウィットの効いたジョークに変身させた。

 言った方は、まるでジェントルマンにでもなった気分になるらしい。


 「今日も……すんません」

 「いいよ、あの人はいつでもキツいから」


 坂崎課長は力なく笑ったが、本当に顔色が悪くて額に汗が滲んでいた。


 「悪いけど、このまま家に落としていってくれないかな。会社へは僕の方から体調不良で早退って連絡しておくから」

 「了解っす」


 もしかしたら体調が悪いのに、俺のために出て来てくれたのかもしれない。

 坂崎課長への恩はたまる一方だった。



 坂崎課長の家には人の気配がなかった。


 気にしたことはなかったが、坂崎課長って結婚してるんだろうか。

 指輪をしていなかったので勝手に独身だろうと思い込んでいたが、女性社員にも好印象の課長だったから、浮いた話しの一つや二つや三つ、あってもおかしくないだろう。


 俺と違って。


 そのまま会社に戻ろうとしたが、俺は引き返すことにした。

 坂崎課長の手が熱かった気がする。たった一人で家の中で苦しんでいるような気がして、なんだか落ち着かなかった。


 玄関の鍵は開いたままだった。鍵をかける余裕もなかったのだろうか。


 坂崎課長は入り口に近い部屋で、毛布だけ掛けて丸くなっていた。

 寝ているのか、気を失っているのか分からなかったが、そこにいたのは顔を伏せて眠る鶴だった。人間だけれど、鶴にしか見えなかった。


 俺は膝で歩み寄ると、そっとおでこに手を当てた。


 熱い。


 「坂崎課長、大丈夫ですか」


 うっすら目が開いた。


 「……帰らなかったのか?」

 「不安で、戻ってきました」

 「風邪ひいちゃったみたいだね。うつすと悪いから、帰っていいよ」


 「俺、医者に運びます」

 「いいんだ、そのうち治るから。時々こんな風になっちゃうんだ」

 「鶴だからですか?」


 坂崎課長は、ふっと笑った。


 「どうだろうね。それより君は帰った方がいいよ、その方が君のためだと思う」


 理解不能なことを呟くと、俺が敷いた布団の中にもぞもぞと入っていった。 


 どういうことだろう。

 風邪がうつるということだろうか。


 背筋がぞくっとした。

 風邪のせいじゃない。もっと根源的な恐怖だった。



 「エサ」という言葉が浮かび上がった。



 鶴に喰われる? 俺が?

 鶴ってなに食べるんだろう?


 タニシ? 

 俺、タニシか?


 確かに俺の名字、田西タニシだけど。



—————————・



 会社に戻ると、いろんな人に坂崎課長の体調を訊かれた。さすが能力も人徳もある人は違う。


 「あの子、時々そういう熱を出すのよね。気を回しすぎて疲れちゃうんでしょ」


 そう言ったのは「小百合様」と呼ばれるスーパー上司だった。小百合様を前にしたら、坂崎課長も坊や扱いだ。


 「俺のせいっすかね」

 俺は本当に落ち込んでいたので、しょぼんとしていた。


 「田西君は新人だから、しょうがないでしょ。鶴君だって、最初はモタモタしてたのよ」

 「——」


 なに? なんて言った。

 小百合様も坂崎課長が鶴だって知ってるんだろうか。


 「ああ、ごめん。坂崎君は結婚して名字が変わったの。元々の名字は鶴っていうの」

 「……じゃあ、坂崎っていうのは」

 「奥さんの名字。奥さんはいま、出産でご実家に戻っていらっしゃるはず。そろそろお子さん産まれるんじゃないかな?」


 追加情報として、指輪を付けていないのは、金属アレルギーだからということも教えてもらった。


 俺の悩みは一気に氷塊した。


 俺が勝手に誤解していただけで、坂崎課長は普通に人間だった。

 常識で考えれば、鶴なはずがない。


 でも俺、なんで鶴だと思いこんでいたんだろう。



 翌日坂崎課長は大事をとってお休みだった。


 坂崎課長からメールが来ていた。

 熱は下がったから、気にすることはないよと。


 俺はメールに向かって百回ぐらい頭を下げた。

 大福々商事で無理させたこともあったが、鶴だと誤解した俺の発言を良いように受けてくれた懐の深さにも感謝していた。



 俺は小百合様に坂崎課長が病気の時に食べられそうな物を教えてもらい、終業と同時に坂崎宅へ向かった。


 インターホンを押しても応答はなく、玄関には鍵はかかってなかった。もしかしたらあのまま寝てるのかもしれない。

 俺は失礼ながら勝手に入り、居間を覗いた。

 

 布団の膨らみは昨日のままだったが、とても静かだった。

 気配さえ、わずかだ。


 死んでいたらどうしよう——俺は不安でいっぱいになった。


 「坂崎課長」


 反応はなかった。

 旧姓なら気付くだろうかと思い、俺は試しに言ってみた。


 「鶴さん」


 布団が少しだけ動いた。

 よかった、生きていた。


 「起こしてすみません、田西です。食欲があったら、これ、食べてください」


 布団がまた少し動いた。

 それにしても頭の中まで布団に入って苦しくはないだろうか。


 俺は布団の端を持ちあげ、中を覗いた。

 室内は薄暗かったので、見えたのは丸くなった塊だけだった。



 そして羽毛の気配。



 まさか。



 布団を巻くると、そこには丸くなった鳥が——鶴がいた。


 薄い闇の中で、鶴がゆっくりと長い首を持ち上げた。

 その目は間違いなく坂崎課長だった。


 鶴は視線で俺を捕らえたまま、ゆっくりと立ち上がった。



 俺は突然気がついた。

 これは鶴の恩返しの再来だ。


 本当の姿を見た者には報いがある。俺は与ひょうと同じミスを犯してしまったんだ。



 夕日で長く伸びる影を前に、俺は微動だにできなかった。


 長い嘴は目の前まで迫ってきた。


 そして。




 ——やっぱ俺、タニシだったみたい




—————————・




 「田西君、昨日はお見舞いありがとうね、とっても美味しかったよ」

 「言われた通り、りんご持って行ったのね」


 坂崎課長と小百合様の言葉に、俺は恥じらいつつ笑った。


 それにしても坂崎課長の顔色は、段違いに良かった。


 「最近鶴君の体調良くなさそうだったから、一気に疲れが出ちゃったのかもね。あなた昔からそうだったもの」

 「当時はご迷惑おかけいたしました」


 坂崎課長は恥ずかしそうに言った。

 なんでも坂崎課長の最初の上司が小百合様だったらしく、ひとしきり当時の話しに話題は及んだ。

 坂崎課長にもそんな時代があったのだと思うと、ちょっと面白かった。


 「坂崎課長、鶴って名字だったんっすね」

 「うん」

 「なんか、ぴったりっす」

 「ははは」


 坂崎課長は乾いた声で笑うと、言った。


 「田西君、これからもよろしくね」

 「俺の方こそ、よろしくお願いします!」


 激しくお辞儀をした拍子に前髪が落ちた。今朝慌てて出たので、スタイリングがうまくできていなかったのだ。

 雑な俺だが、前髪の角度だけはこだわりを持っている。


 かきあげた時に、ふと額に違和感を感じた。

 傷があるわけじゃないけど、なんだか骨の奥に何かあるような……


 「どうかした?」


 坂崎課長の手が俺の額に触れそうになり、俺はとっさに体を反らした。


 「……」


 何か思い出しそうになった。絶対忘れてはいけないことのはずだ。


 顔を上げると、坂崎課長の目にぶつかった。


 ああ、この目だ。



 まるで○○みたいな……



 坂崎課長はにっこりと笑った。


 「そろそろ出掛けようか。見積もりと資料は持った?」


 いつもの声がけに、俺は我に返り、慌ててファイルを見直した。


 「はい、大丈夫っす」

 「それと小百合様にも相談したんだけど、大福々商事の担当は、僕に戻す事になったからね」

 

 「——マジっすか」

 「マジだよ」


 俺はやったーと叫んだ。

 あの部長のイヤミを聞かずに済むなんて、夢のようだった。


 「田西君には、とってもお世話になったからね。じゃあ、行こうか」

 「一生ついて行きます!」



 大げさだなあと振り返った姿はまるで○○のようだったが、俺は何に似ているのか、どうしても思い出せなかった。




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