化物対策課の事件簿ーヘカテーの猟犬ー

堅牢牙城ランドルフ

第0話 とある女の最期

 色がない人だな、と思った。

 浮ついた会話。浮ついた表情。浮ついた仕草。

 全部が全部どこか浮世離れしていて、深夜ドラマにでも出てきそうなチャラついた男だった。見た目は確かによかったけれど、話す内容はなんだか薄っぺらくて、まるで彼自身を演じているようにすら見えた。

「グレンリベット12年、ロックで」

 女が頼まなそうな酒をバーテンに告げた私を、男は嫌そうな顔で見た。そう、まるで「教科書には書いてなかった」と抗議する学生のような顔。

「何よ、酒に強い女は嫌い?」

 そう言うと、男は曖昧に笑った。

 友人の結婚パーティの帰り。ひどく惨めな気持ちになって、私はふらふらと飲み屋街をうろついていた。正常な思考をもてるときであれば絶対に近づかないような危なげな街は、陰鬱とした気分の私が自暴自棄になるにはちょうどよかった。

 

 学生時代に付き合っていた彼氏と別れて、エリートのイケメンと結婚した友人の勝ち誇った顔が忘れられない。そもそも友人かどうかも怪しい。なんなら私は数合わせで呼ばれただけなんじゃないかと思うくらい、彼女の付き合いは浅かった。何度か授業か被った程度の私をなぜ呼んだのか、それを理解したのは会場に入って、あまりの豪華絢爛っぷりに目がチカチカした時。ああそう、これを見せたかったのね。同じように数合わせで呼ばれたであろう友人たちと思わず目を合わせたけれど、怒って帰るほど私は強い女ではなかったから、終始曖昧に笑ってご馳走だけ食べて帰ってきた。

 同じく数合わせで呼ばれた友人たちとは、そこで別れた。彼女たちには家庭があったから。夫も子供もいて、幸せに暮らしている彼女たちにとっては、多少自分たちよりも豪勢な暮らしをするであろう女を見たところで些細な問題なのだろうと思う。

 そう、私と違って。

「別に数合わせくらいいのよ。そういうこともあるでしょう。でもわざわざ独身の私を呼び出して幸せっぷりを見せつけて、何がしたいんだって感じ」

 男は結婚式はそういうもんだろうと言った。そんなことはわかってる。

「まるで私が羨ましがってる見たいな口調で、”ナンシーにもいい人ができたらいいのにね、夫の友人たちに話しかけてみたら?”なんて言ってきたの。信じられないほんと最低」

 仕事が大好きで、やればやるほど評価されることが嬉しかった。男社会で戦ってきて、数ある仕事を勝ち取ってきた。それこそが私のアイデンティティであり、私が生きている意味だった。

 伴侶がいる人が羨ましくなかったわけではないけれど、私にはパートナーよりも仕事とお金が全てだった。欲しいものはなんでも買えるし、自由。一晩の相手が欲しければそれも普通に手に入るくらいの容姿ではあったから、今の暮らしに不自由していたわけじゃない。 

 それなのに。

「なんでこんなに苛立ってるのかって?それはね」

 実は子供ができたのだと、パーティ中に発表された。目の前が暗くなったのはその瞬間だった。

 子供が欲しかったけれど、諦めたのはもうずっと前の頃。学生時代に病気が見つかって、私は子宮を摘出している。子供はもう望めないからと、ある意味吹っ切れた私は、そこからは一人で生きていくのだと決めて勉強に勤しんだ。元々の性格も相まって、エリート街道を突っ走ってきた自負はある。

 けれど不思議なもので、エリートな男ほどどんどん結婚し子供を作る。そうすると彼らは次第に、私を「わかってない女」という風な目でみてくるようになった。

——子供がいると視野ひろがるからさ。

——やっぱ産んでないとわかんねえのか。

——子供の成長が生きがい。仕事は子供のためにやってんだよ。

——車も家も買って、もう欲がなくなったよ。

——いつまでもブランドばっか買ってむなしくないのかね。

 聞こえていないふりをしてきた。私だって欲しかった。欲しかったけどできなかった。それがまるで罪であるかのように彼らは冷ややかな視線を投げてくる。

 そんな奴らと、まともな恋愛なんてする気になるわけもない。

「所詮私は、二番目がお似合いってわけよ」

 たった二晩だけ遊んだ男の妻から慰謝料を請求されて、満額一括で払って。それ以降、すべてがどうでも良くなった私は、結局仕事に没頭するくらいしかやれることがなくて。

 そんなおりに呼ばれた結婚パーティなんて、断ればよかった。

「断れないのよね、真面目だから」

 そう言うと、男は軽く笑って酒を煽った。

「真面目だったら不倫なんかしないって?それはまあ、そうよね」 

 自重気味に溢れる笑みを、男は妙に優しげな目で見てくる。悲しくなった。なぜこんなにも惨めな気分になるのだろう。

 ふらふらと飲み歩いた二軒目で、軽薄そうな男に声をかけられて。何かに縋りたくなった私は思わずその手をとっていた。酔っていた。でもこの自暴自棄な気分には、その軽薄さがちょうど良いきがしたのだ。

「あなた、名前は?」

 男は曖昧に笑うだけで、答えてくれなかった。

 「何よ、教えてくれたっていいのに」

 男はやっぱり曖昧に笑って、今日のニュースだとか天気だとか、心底どうでもいい話だけをした。自分のことは一切話そうとしない。

 どうでもいいか。どうせこの男は一晩だけの男だ。私の赤裸々な過去を話したところで将来に影響はしないし、この男の名前や過去なんて私にはどうでも良いことなのだから。

「もういい、出ましょう」

 勢いよくウィスキーを飲み干すと、くらりとめまいがした。そのまま体がふらついて、思わず男の肩に手をつく。

「っ——」

 筋肉質の男の方から感じるわずかな熱に、酒でおかしくなった私の頭はぐらりと揺れた。男はそっと私の腰に手を当て、静かに「送ってくよ」と言った。

 目の前が揺れている。バーに流れる重低音の音楽すら煩わしい。私はヒールを不規則に鳴らしながら、男に支えられて店を出る。

 そしてそこで、目の前が暗くなった。

 意識が途切れる直前、男が舌なめずりをしたような、そんな気がした。

 

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