記録18 心象と魂の狭間で

ロビンが合流時点として指定したのは、彼の故郷である田舎町マルセンだった。そこはサンズグリット大陸のチア共和国の辺境にあり、ビネスから大陸を横断するほどの場所に位置していた。ケイとアイはこの地唯一の宿屋マルコで一晩過ごした。


夜が明け、恒星スーリヤの陽光が差し込み、眠っているケイの顔を照らす。階下からはクラシカルな弦楽器の音楽がかすかに響いていた。珍しく六時間ほど眠ってしまったケイは、ぼんやりとした意識のまま、自室の洗面台の前に立つ。


耳の奥で虫が動いているような違和感と音が延々と響く。頭部全体に鈍痛を感じる。ケイは両手を洗面台につき、鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。


目元の隈はいつもより濃く、指の腹でそっと撫でる。目の前の自分は暗紅色の髪を下げた見るからに顔色の優れないヒト。皆が言う“エメラルド”の髪色とは程遠い、鈍く沈んだ色彩の髪。色覚異常のせいか、彼には自分自身の見た目すら、本来の姿とは異なるものに映る。


ビネスでの一件から、まだ半日も経っていない。

疲労は、骨の奥まで染み込んでいた。背を伸ばすと関節がわずかに軋み、呼吸を整えるように冷水を頭から浴びる。ひんやりとした感触が一瞬だけ意識をはっきりさせた。

窓の外を覗くと、石造りの建物が並び、歪んだ石畳の歩道が続いている。街の静寂が際立ち、空気はどこか澄んでいた。


無言で黒いスーツを取り出す。ピッタリと馴染むそのスーツ以外、彼はほとんど何も持っていない。

薄手のまま一階へ降りると、オーナー自慢のアンティーク調のロビーとレストランが広がっていた。どこか懐かしさを感じる空間に、数人の客が朝食を取っている。幼い赤羽の少女が、緊張した面持ちでケイに声をかけた。


「あ、あの……こちらへどうぞ」

少女は同種族以外に対する過度な緊張を持っているようだ。


ケイは無言で頷き、少女の案内に従って奥のテラスへと向かう。


小さな扉をくぐると、視界が一気に開けた。

目の前に広がるのは、湖に面したテラス。その水面を囲むように広がる森林、遠くにそびえる鋭い山々の頂には白い雪が積もっている。吹き抜ける冷たい風が、肌を撫でるように流れた。


“自然の風だ”


ケイはわずかに目を細めた。

そこまで強く意識したわけではなかったが、久しく自然を感じていなかったことに気付く。ただ、彼の目に映る風景は、どこまでもくすんで見えた。


テラスには数名の客が座っていた。この土地に住む老夫婦、物好きな異星人、そして――ケイは視線を奥へ向ける。


そこにはアイがいた。

どこで手に入れたのか、純白のワンピースを纏っている。白銀の髪が朝の風に揺れ、アンティーク調の宿屋の風景に溶け込むようだった。


対照的な二人――黒づくめのケイと、純白のアイ。


アイは、ケイが近づくのを感じ、穏やかに目を向ける。


「……ケイ。おはよう……よく眠れましたか?」

彼女の声音は、いつもより柔らかく聞こえた。


ケイは、一瞬だけアイの顔を見つめる。

「……妙に優しいな」


アイはわずかに微笑んだ。


「何、格好つけてる?」

ケイの問いに、アイは無言でメニューボードを差し出す。すでに彼女の前には、用意された朝食が並んでいた。


ケイが頼んだのは、ロビンの故郷でよく食べられる「パテニ麦のトースト」と「ホロ鳥のゆで卵」、湖で獲れる「カルナメのスープ」だ。そして、黒豆をローストした苦みのあるホット「ナクア」。


少女がぎこちない手つきで料理を運び、ケイはそれを無言で受け取る。苦味のあるナクアは、炭酸水に次いで彼の好みだった。トーストは外はサクッと香ばしく、中はしっとりとした食感。湖の冷たい風の中で口にする温かい食事は、ほんの少しだけ彼の身体を温めた。


アイも同じものを頼んでいたが、彼女はヒトではない。食べる必要もないのに、それを口に運ぶ。その理由は、ヒトの思考を学ぶため。そして、食材の安全性を確かめるための“毒味”でもあった。


ヒトの味覚細胞を持たないはずの彼女に、味はあるのか?

それとも、“味”という概念を学習するために、この行為を繰り返しているのか?


アイは「……おいしい」と笑顔の練習をするかのように食事を進める。ケイは何も言わず、トーストを齧った。


ケイはゆっくりとナクアを口に含み、ふっと息を吐く。そして、ジャックにもらった頭痛薬をポケットから取り出した。無言で封を破り、苦味の残るナクアと共にそれを飲み下す。


アイはその様子をみて、せっかくの静かな朝食の時間をそんなもので台無しにするのかと、視線は冷たくもあり、どこか呆れたようでもあった。


ケイはアイの無言の視線を感じながら、空になったカップをテーブルに置く。


「……腹は減るさ……特に今日はな」


アイは何も言わなかった。ただ、不機嫌そうにも見える表情をし、視線を逸らした。



食後、ケイは湖のそばに立ち、シンセサイザーを掌で転がす。そして、湖面に跳ねる魚を目掛けて無意識に手をかざした――


だが、何も起こらない。


「……ま、そりゃそうか」

小さく呟きながら、湖の揺らぎを眺める。


指先にわずかに力を込め、もう一度試みる。だが、何の変化もない。

物理的なものならば、距離や質量により負担は増すが、どんなに巨大であろうと自分の力で動かすことができる。


それよりも、明らかに違和感を感じるのは「生命を持つものには干渉できない」ということだ

厳密に言えば、「」には作用しない。

その理屈は、彼自身にも完全には理解できなかった。


「魂……か」

ほくそ笑みながらも、考えを巡らせる。


単なる神話的な概念ではなく、何かしらの法則があるのではないか。



……――神が定めた摂理だと?

馬鹿馬鹿しい。


ならば、“魂”とはなんだ?

もしそれが単なるエネルギーの一種ならば、何故オレの力は干渉できない?


ケイの力は、物理現象を超越するほどの精密さを持ち、あらゆる物体を操ることができる。それなのに、生命には作用しない。物理的に肉体を破壊すれば簡単に壊せると言うのに。


ならば、「魂」とは、物理法則とは別の原理によって構成されたエネルギーなのか?

世の中の俗説には「魂の重量は21g。死後、肉体に宿る魂が抜け、その重量が減る」というものがあるみたいだが。そんな迷信を信じる奴はそうは居ないだろう。ただし、それを唱えた者の感覚として近しいものはある。なぜならオレ自身「死んで時間が経過したものには干渉できるが、死後すぐのものには干渉できない」からだ。

生命エネルギー、すなわち「魂」の存在が物理法則とは異なるエネルギーとして機能しているのか。

…いや、もっと単純なことかもしれない。

オレの力が「魂」そのものから生み出されるものならばーー魂に魂は干渉できない。魂の力で、魂を超えることはできない。仮にそうだとすれば、オレの力が尽きる時とは……。


「……オレの魂が尽きる時か」


そんな空論、考えるだけ無駄だ。

だが、事実として目の前にある――……



そして、**心象統合器シンセサイザー**を眺め、掌で転がし続けた。


彼がその装置につけた名前だ。


「心象」――つまり、彼のイメージを具現化する手助けをしてくれるもの。


能力を発動するには、高度な集中力が必要だ。その集中を最適化するために、この装置は存在する。

思考と感覚を統合し、意識を一点に固定させる。

いわば、ケイの力の"調律装置"。この道具は彼が幼い頃より、お守りのように持っていたものだった。誰がいつ彼にコレを授けたかはわからない。覚えていない……知らないと言った方が正しいだろう。

しかし、その装置をもってしても、魂には干渉できない。


コレは魂を制御するための装置じゃないのか?

それでも魂には干渉できない――矛盾。


ケイはデバイスを弄びながら、もう一度湖を見つめた。

思考の海に沈むように、静かに――


「……くだらないな」

呟きとともに、シンセサイザーをポケットにしまった。

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