Ludus編
記録11 欲望の都市に生きる者たちの誇りと堕落
歓楽街ビネス中央の巨大ステーションのドーム型の天井には、星々の映像が映し出されていた。しかし、それは決して本物の空ではない。高層ビル群と都市の汚れた大気の向こうに広がるはずの星々は、この街の喧騒と欲望の渦に掻き消されている。
――惑星ルードゥスはかつて、
その中心に位置するのが最大の先進国であるチア共和国の歓楽街ビネスだ。欲望と金が行き交うこの都市の心臓部には、広大なカジノ、高級クラブ、違法取引の市場がひしめいている。そこには各種族の権力者や裏社会の人間が群がり、取り締まりをかいくぐりながら栄えていた。だが、その煌びやかな中心から少し外れたブロックには、影に隠れるように存在する小さな店があった。
それが「クラブ:
ビネスの繁華街の中では決して大きな店ではない。それどころか、他の豪奢なナイトクラブと比べれば、こじんまりとした店舗にすぎない。だが、それでもロビンはこの場所を維持し続けている。それだけで彼の力と存在の大きさを証明していた。
歓楽街の暗部で、先住民である
特に、赤い羽を持つ者たちは古くから迫害を受け、社会の中で最も低い立場に置かれてきた。かつては特定の宗教的な理由や歴史的背景から忌み嫌われ、戦後の混乱の中でもその偏見は根強く残っている。
そして、この差別の構造に目をつけた異星人たちは、その社会の隙間に入り込み、
そんな中で、ロビンは違法な取引と情報網を駆使し、彼らに少しでも息抜きができる場所を作った。豪華なシャンデリアや大理石のカウンターはないが、ここには確かに「安息」があった。少なくとも、彼は
「ルードゥスらしい天気だな……」
ケイはフードを深くかぶり、湿った空気を鼻で感じながらぼそりとつぶやいた。
アイは無言のまま彼の隣を歩く。二人が降り立ったプラットフォームには、さまざまな異種族が行き交い、交差するネオンの光が雨の粒を煌めかせていた。
足元の金属舗道には無数の広告ホログラムが浮かび上がる。――極細粒化された分子タバコの宣伝、違法カジノの誘い、身体改造クリニックの安売り情報——どれもこの街の本質を象徴するものばかりだった。
「……
ケイはそう言うと、混雑する通路へと足を踏み出した。
二人が都市のメインストリートに出た時、
「――ケイ、応答して」
通信の向こうから、シェーネの声が響く。
ケイは濡れた手をポケットに突っ込みながら、路地裏へと足を向けた。
「あぁ、シェーネか。どうした?例のあれか……お前らメルカトルで何やった?ニュースになってたろ」
「あら、すでに有名人かしら?……ふふ。冗談は後にして、その通りよ。今は静かな場所に退避してるけど、問題があるわ」
シェーネの声には、どこか緊張感が滲んでいた。
ケイはアイと共に薄暗い路地の奥へ進む。
「アークに関係するかは分からないけど……私たち、ある情報を手に入れたの」
「……ああ、で、何を掴んだ?」
ケイは
「それが……古代語よ。現状考えられるデータベースには存在しない未知の言語の記録。解読できれば、何か重大な事実が分かるかもしれない。でも……」
言葉を詰まらせるシェーネ。ただ、その詰まりの原因は未知への期待からである。
「古代語……?また、余計なことに首を突っ込んだな……。とりあえず、それが何にせよ、オレたちはこっちでアークについて探ってみる。その古代語ってのが、何を意味しているかは解らないが……」
ケイは短く息を吐いた。
古代語——少なくとも政府や裏社会が嗅ぎつけるようなものなら、無関係ではいられない。後戻りできない場所まで踏み込んでしまったことは理解できた。
「私たちは、この情報がアークに関わるものなのかを調べてみるわ。何か別のものだったとしても、それはそれで面白いことになりそうね。」
音声通信越しのシェーネは微笑を浮かべているのだろうと想像させる声色だ。
「……了解。まぁ無理はするなよ」
シェーネのそんな様子を思い浮かべると鼻で笑うしかなかった。
通信を切ると、ケイは無言のままアイと目を合わせた。アイは無表情ながらも、何かを考えているようにわずかに瞳を揺らしていた。
「……行くか」
通信を切り二人は歩を進めた。
歓楽街ビネスは、いつも通り狂騒の光に包まれていた。街路の両側には、派手なネオンサインが並び、酒や排水の臭いが入り混じる。そして、ステーションから数ブロック離れたとこに位置する「クラブ:
セブンポイントの入口には、多様な異種族がたむろしていた。その中で、
アイは特に反応を見せず、冷ややかに視線を交わすだけだったが、その様子がかえって警備員の興味を引いたようだった。
ケイは無言でその間に割って入り、アイの手を取り引き寄せる。「行くぞ」と一言だけ発すると、
扉をくぐると、一瞬で音と熱気が押し寄せた。ギラギラとした照明が視界を切り裂き、重低音の効いた音響が骨の芯まで響く。ケイは思わず目を細め、顔をしかめる。強烈な刺激が脳を貫くように広がり、一瞬意識が遠のきそうになるが、深く息を吸って持ちこたえた。
店内には
さらに、この店の特徴のひとつは、障害を持つ従業員も多いことだった。片翼を失った者、義肢を持つ者、目の見えない者——彼らは単なる見世物ではなく、自らの美しさと誇りを持ってステージに立っていた。痛みと屈辱の中で培った気高さが、その踊りの一挙手一投足に宿っている。
魅惑的でほとんど裸体に等しいそのボンテ―ジ姿は趣向の偏った客を寄せるための商売道具でもある。
ケイはそんな光景を目の端で捉えながら、まっすぐ奥へと進んでいった。光の洪水、酒と煙の入り混じる空気、そして欲望・希望の渦。その全てがここにはあった。
ガラス張りのVIPルーム。ロビン・ウェインは、奥のソファ席でグラスを傾けていた。その視線がケイに向けられる。
「よぉ、
ロビンはニヤリと笑い、アイに目を向ける。
「ウチのダンサーにならないか? これだけの美人なら、舞台に立てば一晩で大金が動くぞ」
アイは無表情のまま何も答えず、少しの沈黙のあとケイは彼を睨みつけた。
「……ふざけろ」
「はっは!冗談だよ、グリム」
ロビンは肩をすくめ、グラスを軽く揺らす。
「まあ、せっかく来たんだ。まずは飲めよ」
ロビンは自分の前のテーブルに置かれた琥珀色のエールを掲げた。それはチア共和国の特産品であるパテニ麦を使った濃厚な酒で、彼が特に愛する故郷の味だった。
ケイは短く息をつきながら、メニューも見ずに注文する。
「ストレンジ・ハイを」
バーテンダーが赤い炭酸水の入ったグラスを差し出す。ケイは特に味にこだわりはなかったが、この飲み物の喉越しだけは気に入っていた。
「それにしても、どうした。お前、ここは好きじゃないだろ?」
ケイはこの街で本名を明かしていない。ロビンが彼につけた名が『グリム』だった。チア語で“緑色”を意味するその名は、彼の外見から自然とつけられたものであり、ロビンがその名を口にすれば、それはケイの事だと、このコミュニティの者たちは皆理解している。
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