記録05 ケイとアイ
――医務室のドアがスライドして開く。そこには、白衣を羽織り、灰色の三つ編みをかき上げるジャック・シャロルの姿があった。
「ほう、随分と素直じゃねぇか。何かあったのか?」
ケイは無言で診察台に横たわる。オダコンとアイに押し切られ、ここに来ざるを得なかったが、ジャックの軽口にはいちいち反応する気にもなれなかった。
「まあいい。どれ、診てやるか」
ジャックが制御パネルを操作すると、小さな光がケイの全身を駆け巡る。体の内部が透過されるように光が躍動し、その映像がそのままジャックの眼鏡に投影される。
ケイはぼんやりと天井を見つめながら、ふとアイのことを考えた。
(アイは今頃、ジークにメンテナンスされているのか……)
自分は生身であるがゆえに劣化し、修復もままならない。対して、アイは永続的に機能し続ける存在だ。それでも、彼女がどこか人間らしい感情を持ち続けていることが、ケイには不思議だった。
「……なるほどな」
ジャックの表情が一瞬だけ硬くなる。
「お前、最近何食ってる?」
「あー……レーションだな」
「……そうか。味、感じてるか?」
ケイは少し考えた後、あえて適当な口ぶりで「さぁな」と答える。
「……やっぱりな」
ジャックは軽く舌打ちし、腕を組んでデータを見つめる。
「神経伝達が鈍ってるな。特に味覚。お前の食生活が原因かと思ったが、それだけじゃねぇ。視覚の方も、そろそろヤバいぞ。今はまだ動けるが…いつまで持つかな」
ケイは特に驚いた様子も見せず、ただ静かに話を聞いていた。彼自身、自分の五感が徐々に鈍っていることはわかっていた。だが、それを口にすることはなかった。
ジャックはさらにスキャンを進める。そして、ケイの脇腹に目を向けた。
そこには、溶接したような大きな傷跡があった。
ジャックは僅かに眉を顰める。
「……これ、まだ痛むか?」
「いや」
ケイは短く答える。
そう言いながら、自然と傷に手を添えた。
その手には、痛みや後悔はなかった。代わりにあるのは、どこか温かみのある触れ方だった。
その思いを言葉にすることはなかったが、ケイの視線の奥に一瞬だけ、遠い記憶を辿るような光が宿る。
ジャックはそれを見つめながら、あえて何も言わなかった。ただ、眼鏡を押し上げると、わずかに口元を歪めた。
「……ま、ちゃんと手入れしとけよ」
それが、ジャックなりの気遣いだった。
ジャックは軽くため息をつくと、白衣のポケットから小さなカプセルを取り出し、ケイに向かって無造作に投げた。
「ほら、オリジナルブレンドの頭痛薬だ。お前みたいな無茶するやつには、特別調合してやるよ」
ケイはキャッチし、少しだけ口元を緩める。
「……助かる」
その短い言葉に、わずかに感謝の色が滲んだ。
――機関室の奥、薄暗く機械的な部屋の中。ジークフリードは緑色に光るゴーグルを装着し、作業に集中していた。部屋の中央にはポッドが設置され、透明な液体の中にアイの裸体が静かに収まっている。
右側には、薄紫色に輝く
左側には、除染液が満たされた容器。
ジークフリードが制御パネルを操作すると、それぞれの液体がアイの人工血管と人工リンパ管へと流れ込み、透析が始まる。さらに、傷のついた部位がスキャンされ、修復プロセスが進行する。
「いつもありがとうございます、ジーク様」
アイが穏やかに微笑む。
ジークフリードは無骨な手でパネルを操作しながら答えた。
「貴重な経験をさせてもらっている。少し刺激が走るぞ」
急速除染の合図とともに、アイの身体が微かに水中で跳ねた。暗がりの中で、
小一時間の透析が終わる頃、高エネルギーの放出と冷却の影響で、室内は蒸気に包まれた。
部屋の扉が開いた瞬間、立ち込めた湯気の中からアイの裸体がゆっくりと現れる。
まずは足が伸びる。艶やかな肌を伝う水滴が、室内の薄暗い光を反射しながら滴り落ちる。
ジークフリードの手が一瞬、動きを止める。
寡黙な彼も、さすがに動揺を隠せない。
アイはそんな彼の様子を見て、くすっと笑った。
「ジーク様、そんなに見つめられると困りますよ?」
ジークフリードは咳払いをしながら視線を逸らし、慌てたように工具を片付ける。
「あ、ちょっと。ジーク様っ……」
アイが声をかけるが、ジークはそそくさと部屋を出ていく。
アイは微笑を浮かべたまま、一瞬だけ反省したように視線を落とし、その後、ふと真顔になる。
(……ケイは大丈夫かしら?)
——そう思った自分に、少しだけ違和感を覚えつつも、彼の五感の衰えを思い出し、少し心配そうに視線を扉の向こうへ向けた。
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