第7話 パワハラの定義
朝の冷たい空気の中、俺は畑の前に立っていた。
今日の作業は畑への水やり。井戸で水を汲んでは、バケツで畝の間を行ったり来たりする単純な仕事だ。単純だが、手は抜けない。
(これくらいなら、任せてもらえたってことだよな……よし、期待に応えよう)
そんな意気込みもあり、俺はやる気満々で井戸に向かった。ロープを巻いて水を引き上げ、バケツいっぱいに満たす。思ったより重い。だけど、疲れなんて気にならない。
「水やりなんて、簡単なことだろ」
俺はそう思いながら、野菜に向かってジャーッと豪快に水をかけた。乾いてるし、たっぷりあげた方がいいはずだ。ついでに隣の畝にも少し――そうやって、俺は繰り返し、何度も何度も井戸と畑を往復した。
そして、畑の一角は――
ずぶ濡れだった。
土がぐしゃぐしゃに水を含み、苗の周囲には水たまりができていた。
「……あれ? ちょっとやりすぎた?」
俺が不安そうにバケツを置いたそのとき、背後から重い足音が聞こえた。
「おい」
声を聞いた瞬間、背筋が凍った。ヴァリオだ。
「……はいっ!」
「バカかお前は!! どれだけ水ぶっかけりゃ気が済むんだ!」
怒号が畑に響いた。
「す、すいませんっ!」
俺は条件反射で頭を下げた。
「こんだけ水をやりゃ根っこが腐るに決まってんだろうが! やりゃいいってもんじゃねぇ! よく見ろ、土の色、乾き具合、触った感触――そういうのを見て決めるんだよ!」
「……すいません……!」
「適量がわかんねぇなら、まずは少なめにやって、様子を見る! 一発目から井戸ごとぶちまけるような真似してんじゃねぇ!」
ヴァリオの怒鳴り声が容赦なく降ってくる。けど――その中には、なぜか一筋の光が差し込んでいた。
(今……どうすればいいかって、教えてもらった……?)
怒られているはずなのに、心は静かに震えていた。
(やべえ……これ、アドバイスってやつだ……!)
会社にいた頃は違った。
「何でこんなこともできないんだ」
「自分で考えろ」
「一度教えただろ、甘えるな」
そんな言葉ばかりで、どう直せばいいのかなんて誰も教えてくれなかった。聞こうものなら舌打ちされて無視だ。
でも、今は違う。
「はいっ! 次からは土の乾き具合、見て判断します! 少なめに様子見て、水やります!」
「……一度くらいじゃ根腐れはしねぇ。だが、毎日これやらかしゃ畑が死ぬ。気をつけろ」
背を向けかけたヴァリオが、それだけ言い残す。俺は地面に額がつきそうな勢いで深々と頭を下げた。
「はいっ! すいませんっ! ありがとうございますっ! ……あ、いや、すいません……!」
口癖が止まらない。頭ではわかってるけど、身体が勝手に謝ってしまう。
でも、心は温かかった。
(叱られてるのに、感動してる……俺、やべぇ奴か?)
でも、それでもいい。ちゃんと教えてくれる人がいることが、ただそれだけで救いだった。
ヴァリオがふと振り返り、呆れたように吐き捨てた。
「……怒られてんのに、にやにやしやがって……変なやつだな」
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