ユーラシアを作った1千年

@desaixjp

プロローグ 大海に浮かぶ島

 歴史の学習に昔からつきものだったのが、年表と地図帳だ。年表で時間的、地図帳で空間的に流れを整理することで歴史を理解しやすくするのが狙いだが、インターネットの発達にともないそうしたデータのデジタル化も進んでいる。特に歴史地図については動画サイトの発展もあって様々なものがネット上で見られるようになっており、中には学術研究に活用されるものも登場している(01)。

 編集者が時代や地図の範囲を選んで作成する地図帳とは異なり、こうしたデジタルデータの便利な点は利用者が時代や範囲を自由に選べる点にある。特定の時代について世界全体を鳥瞰的に見ることも、逆に一部地域を拡大して詳細に確認することも可能。例えば歴史データバンクとして様々なデータを集めているSeshat: Global History Databankのサイト(02)でWorld Mapのタブをクリックすれば、そうしたデジタルマップを閲覧することができる。

 こちらの地図には紀元前3400年から紀元2024年までのデータが掲載されており、世界史上の変化を文明の曙から現代に至るまでの長い期間で捉えることができる。例えば最も古い紀元前3400年の地図を見ると、大陸上に記されている唯一の政治体がメソポタミア下流域に広がるシュメール都市国家群。複数形になっているように実際には複数の政治体を含む社会が、地球上の陸地全体で見るとほんの一部のみを占めていることが分かる。紀元前3000年で見るとシュメールに加えてナイル川流域にエジプトの初期王朝、現代のイラン南西部にエラム、そしてインダス川下流域に小さくインダス文明が記されている。これらはやはり陸地のほんの一部しか占めていない。

 ではもっと勢いよく紀元前2000年まで時間を飛ばすとどうだろうか。ナイル川流域はエジプト中王国と名前を変え、またエラムのサイズが前よりは大きくなっている。大きな違いが見られるのはほとんど点にすぎなかったインダス文明がインダス川流域全体に広がったことだろう。その面積は75万平方キロを超えている。ただしインダス文明の内実については、その文字がいまだ解読されていないこともあり(03)、詳細は不明。地図の範囲に文明が広がっていたとして、それが単一の政治体に統治されていたのか、緩やかな連合を形成していたのか、あるいはシュメール都市国家群のように独立し互いに争い合っていたのかは明確ではない。そして何より、広いユーラシア全体から見れば相変わらず国家は小さな存在でしかない。

 さらに1000年飛ばして紀元前1000年を見てみよう。オリエントから東地中海にかけては政治体を表す色分けの数が前より増えている。ただしこれまた中身を見るとエーゲ海付近の政治体が「ギリシア暗黒時代」と書かれているなど、実際は政治体を示しているわけではない例も目立つ。インダス文明が完全に姿を消しているのも特徴だ。一方、中国黄河流域には新たに70万平方キロ弱の西周が登場しており、これが最も大きな政治体に見える。ただしこの王朝は第1章で説明する通り実際には邑制国家と呼ばれる都市国家の連合体であって、我々がイメージするような統一王朝とは異なる存在だった(04)。そして、やはりこの時期になっても大陸の大半は空白地であり、政治体は一部地域に点在しているだけの状態に変わりはない。国家は大海に浮かぶ小さな島のようなものだった。

 だがそこから1000年後の紀元1年になると状況は一変する。東は朝鮮半島から西はイベリア半島まで、何らかの国家に属することを示す色分けされた土地がユーラシアを横切るように途切れることなく連なった地図が姿を見せるのだ。しかも個別の国家のサイズもかなり巨大化しており、東端にある前漢は450万平方キロ弱、西端のローマは350万平方キロ超に到達。それ以外にもパルティア(270万平方キロ)、匈奴(240万平方キロ)といった巨大な帝国が、ユーラシアを東西につなぐベルト地帯を形成している。加えてこれまで国家のなかったアメリカ大陸にも、初めてマヤ都市国家群などが生まれている。

 紀元前1000年から紀元1年までの1千年(ミレニアム)に、一体何が起きて世界がここまで変わったのか。世界史地図を、ひいてはユーラシア世界を塗り替えることになった変化と、その原因になったものは何だったのか。ここからはその謎を探っていきたい。だがその前に、このミレニアム以前の世界がどのように出来上がってきたのかを把握する必要がある。まずはヒトが農業を始めた約1万年前から紀元前1000年前までの世界を見ておこう。



01 James S Bennett et al., Cliopatria - A geospatial database of world-wide political entities from 3400BCE to 2024CE (2024)

02 https://seshat-db.com/(2025年9月13日確認)

03 Shruti Daggumati and Peter Z. Revesz, A method of identifying allographs in undeciphered scripts and its application to the Indus Valley Script (2021)

04 岡本隆司, 教養としての「中国史」の読み方 (2020)

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