第10話 勉強が嫌いな子たちの“大学準備”
午後のOJTは、実務を超えた“背景理解”にまで話が及んでいた。
「で、なんでこんなに“入学前教育”が必要になったか、って話なんだけど」
佐倉課長は手元の資料を軽く叩いて、話を切り出した。
「わたしも入社した頃は疑問だったんだけどね。最近は推薦や総合型選抜の入学者が増えすぎて、学力の格差が大きくなってるんだ。共通テストすら課さずに入ってくる子も珍しくない」
「えっ......それで大学の授業についていけるんでしょうか」
「案の定、ついていけない。レポートの書き方がわからない、文章が書けない、そもそも授業に集中できない。大学の先生たちが悲鳴あげてる」
佐倉は苦笑混じりに言った。
「だから、大学としても、“入学前から最低限の学力をつけておいてね”って仕掛けが必要になる。それが“入学前教育”」
そこまでは、小春も理解できた。だが――。
「でも......それって、もともとは高校の勉強の範囲ですよね? 私たちの仕事って、“高校の補習”みたいになってるってことですか?」
「実際、そうなってる。建前としては“大学での学びに備えるため”って言ってるけど、やってるのはリメディアル教育。つまり“学び直し”だよ。しかも、場合によっては高校の定期テストレベルからね」
小春は眉をひそめた。
「それって......大学が学生をきちんと選抜してないってことにならないですか?」
「うーん、問題はもっと複雑。今の18歳人口って年々減ってるから、大学も“定員を埋める”ことが最優先なんだよ。地方私大なんか、入学者確保のために推薦枠を広げてるし、多少学力に難があっても受け入れないと生き残れない」
「なるほど......」
小春は納得しかけて、ふと口をつぐんだ。
そして、ぽつりと問いかける。
「でも、それって......“合格したから、もう勉強しなくていい”って思ってる高校生に、“形だけでも学び続けてます”っていうアリバイを作ってるだけじゃないですか?」
その言葉に、佐倉はほんのわずか、目を見開いた。
「まあ、そう言われても仕方ない部分はある。合格が決まった瞬間から、生徒の手が止まるのは当たり前。勉強しなくていい期間として、春休みは“解放”される。だから大学も、せめて“何かしら課題を出してますよ”という形式だけでも整えておきたい。それが“アリバイづくり”ってわけ」
言い切ったあと、佐倉はふっと息を吐く。
「でもね、わたしはそれでも意味があると思ってるよ。“まったくゼロ”にしないってことに、意味がある。週に一回でも画面を開く。10分でも教材を読む。それだけで、“勉強ゼロの春休み”じゃなくなる。実際には早ければ10月に大学の合格通知が届くから半年勉強しなくなってしまう」
進学先が10月に決まると、多くの高校生はそれ以降の学習意欲を失いやすくなります。
もう受験勉強は終わったから勉強しなくていい」という空気。学校も、生徒に対して「自由登校」や「卒業までの消化試合」のような雰囲気を容認する。実質的に、半年間は学習習慣が停止し、さらに、その期間中にスマートフォンやSNS、バイト・遊びなどの誘惑が増え、「学び」からの距離がますます広がる傾向にある。この“空白の5か月”は、大学入学後の学習ギャップを生む大きな要因である。
結果、大学の学習スタイル(能動的なリサーチや論述)に適応できない。学力や基礎知識の低下(特に数学・英語・情報リテラシーなど)学習習慣の喪失により、「高校の延長線」感覚で大学生活を始めてしまう。
これらの問題を是正するために導入されているのが「入学前教育」であるが、その本来の意義が十分に伝わらず、単なる形式的な施策になっているのが実態だった。
「......なるほど」
小春はその言葉を、胸のどこかで反芻した。
今自分たちが携わっている仕事は、大学でも高校でも手が回らない“隙間”を埋めること。
そして、たとえ形ばかりでも、若者たちの背中をそっと支えるようなものなのかもしれない。
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