売られた仮面の令嬢は、無口な伯爵に選ばれる

保志見祐花

第1話 青ざめた仮面の下で




「さあ! この私、ダルネスの女を買うものは居ないか!」




 陽の下で大声を張り上げたのは、ダルネス・キルスティン。カルディア王国プレニウス領の隣、僅かばかりの領地を治める子爵である。


 堂々と妻を競りにかけているその男は、下品を絵にかいたような顔つきで周囲を煽ぎたてる。



 そんな彼の隣。

 青ざめた顔で立つのは妻リュネット・サルペント。この物語の主人公で、蛇能面と忌み嫌われた少女だ。



 白銀の髪。

 神秘を宿したような深き紫の瞳。

 そこに宿るは諦めの色……ではなく、鋭い光。



 ざわめく群衆。

 集まる好奇の視線に、蔑みの眼差し。

 沸き立つ熱気・耳に届く噂話。

 まるで処刑台の上。


 今まさに競売にかけられ、烙印を押されようとしている妻・リュネットが、どうしてこうなったのか──




 ──時間は、半年ほど遡る。







 リュネットがダルネス子爵と政略結婚を強いられたのは1年ほど前のこと。リュネットが16を迎えてすぐだった。



 サルペント商会の影響力を背景に、ダルネスが婚姻を申し込んできた。



 リュネットの両親は子爵の後ろ盾を大いに喜び、ダルネスもサルペントの販路を通じて事業を拡大できると、円満な政略婚だった。

 


 しかし、それはダルネスの策略。


 リュネットが完全に輿入れした直後から、ダルネスの態度は一変した。



 彼女の両親の前で振りまいていた笑顔はかき消え、悪態をつくようになり、『魅力がない』と侮蔑するようになった。



 その態度は日に日に酷くなり、元より愛などない婚姻に辟易としたが、リュネットは離れられなかった。



 ──この成婚はお父さまとお母さまのため。

 ひいては、サルペント家のため。

 冷たい・嫌い・愛されないなどというわがままで、家を滅ぼすわけにはいきません。



 そう、叱咤しながらのある日。

 ダルネスがサルペントの販路を掌握して間もなく、リュネットの両親が謎の事故に見舞われ、この世を去ったのである。



 リュネットは悲しみと疑念に襲われた。

 それは丁度、母から手紙をもらった直後の出来事であった。



 [リュネット。

  一度家に戻っていらっしゃい。

  私たちは間違っていたのかもしれません]




 そう、短く記された文に胸騒ぎを覚えたのに、何もできなかったと悔み涙した。しかしそんな彼女にダルネス子爵がかけた言葉は、


 「はは、天罰だろうなァ」



 なにが天罰か。

 あなたが両親を殺したのではないか。

 父と母に何をしたのですか。


 


 ──そう詰め寄りたかったが、彼女は17。

 ダルネスは40前。

 倍以上年の離れた男に、しかも子爵に立てつくなど、この時の彼女にはできなかった。

 

 


 両親は亡くなり、領主不在となった土地がダルネスのものになるまで僅か8か月。あっという間の略奪である。



 そしてそれからも、彼の冷遇は続いた。



「その薄笑いを向けるな、興が削がれる」

「ああ、なぜお前のような能面を迎えなければならなかったのか」

「本当に色気がない。蛇だ、蛇! 女らしい躰になってみろ」

「何を考えているかわからないのだよ! 見透かしたように笑うな! 気味が悪い!」

「お前のような女を悪女と云うのだろうな! 薄笑いの蛇め!」




 そんな言葉を浴びせられ続け、彼女が覚えたのは演技の防御である。「そうですね、申し訳ありません」とほほ笑みやり過ごし、表面を取り繕う術を覚えた。




 彼女を育てた親は神の元。

 頼れる夫には虐げられて四面楚歌。

 全てを奪われ何もなくなったリュネットに、ある日。



 ダルネスはこう告げたのだ。



「リュネット、私には愛する人がいる。『お前をどうしてくれようか』」



 それは暗に、リュネットに対する宣告だった。



 『婚姻は神に誓う特別な儀』

 カルデウス神への誓いは絶対で、よほどのことがない限り、一度結ばれた男女が離れることはできないのだが──



 ひとつだけ抜け穴が存在している。

 それは、女にとっては屈辱の最高峰。

 半年に一度開かれる「命の市場」。

 夫による「妻売り」である。





カルデウス教:厳格な掟と制約に基づき、結婚を最も神聖な絆とみなす、この地の宗教。離婚も不貞も、神祖カルデウスの怒りを招く。








「……わたくしが、『売られる』……?」


 

 当てがわれた部屋の中。

 リュネットはひとり、呆然と呟いた。


 目の前がぐらつく。

 視界の端から闇が広がるような感覚に、リュネットはくらりとよろめき、机に手をついた。



 元よりダルネスとの婚姻が契約であることは百も承知、自分に興味など無いことも知っていた。



 現に今まで、夫婦生活もない。『顔の動かぬ能面蛇のような女ではその気にならない』とまで言われ、男性のぬくもりを感じたことすらなかった。


 妻としての役目を果たしているかと聞かれたら、否。しかし、売りに出すとは思わなかった。


 ダルネスは子爵という立場のある身だし、妾は作っても追い出すまでしないだろうと読んでいたのに──……




 父も、母も、土地も、両親と共に築いた販路も手にした途端これだなんて、いくらなんでも……


「……どうしましょう、このままではお父様とお母様に顔向けできません」



 呆然と呟きつつも、彼女の脳は冷静に、「屈辱のその先」を弾く。



 売られた妻の末路は、おおよそ三つ。

 ひとつ、新しい夫に惚れられ、愛される。

 ふたつ、体の関係付きの家事手伝いとして買われる。

 みっつ、売れ残り娼婦の館に引き取られる。


 いずれにしても、売りに出された事実は変わることなく、不名誉であることに変わりはない。



「……売られる……? このまま……? このまま……?」



 格式高いテーブルの上、静まり返った燭台を見つめ呟くリュネットの声は、白く乾いていた。


 脳裏に駆け巡るは父と母。

 彼らを手伝い笑顔にあふれた日々。

 子爵への輿入れが決まって、喜んでくれたあの日。

 


 ぐらりと揺れる。

 白めいた視界が闇に沈む。

 冷静な自分が問いかける。



 すべて奪われ、売られるのですかリュネット?

 このままでいいのですか、リュネット?

 しかし自分に何ができるのでしょう? 後ろ盾もなにもない、強力なツテもない。父と母の死の真相だって、疑念は有れど確証はない──……



「……奥様、大丈夫でしょうか?」



 ……はっ!

 

 思考の闇の中。響いた声に顔を上げた。

 余裕のない視界で確かめたのは、侍女のネネ。その、心配を宿した顔に、リュネットは、自分を持ち直した。



 どうやら相当な顔をしていたらしい。

 それを映したように、ネネの表情は曇っている。

 


「…………」


 

 ──そんな様子に、リュネットは、その顔に沈痛を滲ませ、悲し気に首を振ると、



「ええ、大丈夫よ、心配かけてごめんなさいね」



 気丈に振る舞うリュネットの目の前で、ネネの顔はみるみる『哀れな人に同情する人』に染まりゆく。


 ネネは『堪らない』というかのように首を振り口を開くと、



「……顔色が優れません、お休みになられてください、奥様……」

「良いのよ、ネネ。気を使うことはないわ」

「しかし!」



 悲痛な声が飛んだ。

 『哀れです、悔しいです』と語るネネの視線。



 そんな彼女にリュネットは、確信した。



 ネネはこの屋敷で着けられた侍女だ。

 長い付き合いではないが、虐げられている自分に十分、心を痛めているのだろう。


 そう推察する彼女の前で、ネネは間髪入れずに口を開けると、



「奥様はいつもお優しいですもの……! こんな仕打ち、本来ならば」

「仕方ないのよ、ネネ。これがわたくしの運命ならば、………………」


 

 必死になるネネに、リュネットは、静かに苦し気に首を振った。



 身に起きた不遇をすべて背負うかのように。

 その仕草、物言い、振る舞いすべてで、『哀れな奥様……可哀想』と。


 ──「そう映るように」。








 そんなリュネットのもとに、ダルネス子爵が戻ったのは二週間ほど経った夜のこと。驚く従者たちをもろともせず、彼は意気揚々と目の前に現れた。


 隣に、可愛らしい女性を連れて。








 厚顔無恥という言葉がある。

 面の皮が厚い・厚かましい人や行いに、軽蔑を込めて放つ言葉だ。


 愛も情熱も元よりないが、それでも自宅に、愛人を堂々と連れ込んだダルネスに、リュネットはあきれ果てた。



 男性という生き物を良く知らないが、神・カルデウスの教えに背くのも、自分の倍ほど生きているはずの人間の、浅ましい行動に呆れも尽きた。



 しかしそんなリュネットの心情をあざ笑うかのように、ダルネスは腕に絡みつく女性に目くばせして告げるのである。



「リュネット。聞け。彼女が次期正妻・ナルシアだ」

「…………」


「まあ! お話に聞いた通りの不愛想な奥様ですのね?」



 途端、弾んだ声でナルシアが喋った。

 大きく丸めた瞳はシュガーピンク。

 くるんと巻かれた髪は金の糸。心底驚いたと言わんばかりに右手で開いた口を隠すナルシアに、ダルネスがふふんと鼻を鳴らすと、



「だろう? 屋敷の人間には笑顔を絶やさぬ奥様などと言われているがね、不気味で仕方ないのだよ」

「ああん、可哀想なダルネス様……、ナルシアが妻となりました暁には、そんな思いさせませんから♡」


「可愛いナルシア。それに比べてお前はなんだ、本当に気味が悪い」


「…………」



 ──「これが愛され女か」。

 目の前で繰り広げられる極寒劇に、リュネットは心の中で呟いた。



 ナルシアは可愛らしかった。

 華奢な体つき・大きな瞳・ふっくらとした唇は柔らかそうで、躰と笑顔で男を骨抜きにしてしまう容姿をしている。


 年のころなら15、16と言ったところだろうか。

 女性らしさの中にも幼さの混じる女だ。


 正直、子爵の妻にふさわしい風格も気品も感じられないが、こういう女が求められるのは理解にたやすい。……ただ。


 この「離縁も不貞も神への冒涜」と定められたこの国で、正妻である女の前で鼻を伸ばし腰を抱いて居られるダルネスの神経に、リュネットは。


 ただただ、「情けない」の思いしか出なかった。




 ああ、情けない。

 こんな男を夫とし、今まで尽くしてきたなんて。


 ああ、情けない。

 愛が無いのは承知のうえだが、話し方・笑い方・全てに素養のない女に入れ込むなんて。



 心がぴしりと音を立てる。

 呆れの海に、軽蔑の氷が広がっていく。

 この男に恩義も義理もありもしない。

 あるのは欺瞞と自己愛だけだ。


 そう悟るリュネットの前。

 ダルネスはベルベットのソファーに腰かけナルシアを引き寄せるように抱きかかえると、艶めかしい腰を抱きナルシアに笑いかける。




「なあ、ナルシア?」

「なあに? ダルネスさま?」


「君もこの屋敷で暮らすと良い。あの女のことは気にするな、居ても居なくても同じだ。今すぐにでも一緒に暮らしたい」

「まあ、素敵。なら、ナルシアお願いがあるのです。聞いていただけますか?」



 可愛らしく首を傾げるナルシアに瞳で「もちろん」と答えるダルネス。途端、その口元が優越をまとい、はしゃいだ声が響いた。



「ナルのお世話役、あのリュネット……いいえ、オバサンにしていただきたいの♡ 若くて可愛いナルシアのお世話ができるのだから、リュネットおばさんも幸せだと思うのです♡」

「…………え……?」



 リュネットは呆然と声を上げた。

 何を言っているのか理解に苦しい。

 何を言っているのかわからない。

 時が止まった感覚に捕らわれそうになったが、しかしリュネットは理解した。



 ああ、この女は虐げたいのだ。

 あざ笑いたいのだ。

 『夫に愛されない女』を、どこまでも貶め自分を満たしたいのだ。 



 そんな思惑を察して、リュネットは静かに二人を見据えた。

 

 きっと彼らには、負け犬が静かにたたずんでいるように見えるだろう。それを証明するかのように、ダルネスはいやらしくナルシアの躰を味わうように撫でると、



「しかしナルシア? あいつはもう売りに出す妻であるぞ?」

「それまで半年はあるでしょう? その間、せめてものご奉仕してもらわなきゃ! そう思いませんこと?」


「おお、それはいい!」

「…………」



 茶番だ。

 侮蔑しているつもりかもしれないが、楽しそうにはしゃぐ二人に、リュネットはただ静かに「承知しました」と一言告げた。


 恭しく頭を下げたその口元に、微かな笑みを浮かべて。








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