白炎使いは仮面の人
灯玲古未
仮面の決闘代理人
「……まだか?」
「いえ、もう少し……」
豪奢な邸宅の広間、赤い絨毯の上で二人の男が向かい合う。
片は豪勢な服に身を包み、自信にあふれる佇まいでもう片方の男を見下す。
もう片方の男も服装は華美だが、振る舞いがそれに伴っていない。びくびくと怯えるような場に不相応なふるまいは滑稽に見えるほどだった。
「……レーヤ様、お着きになられたようですが……」
広間の入り口に現れた男は背後を振り返り、迷うような視線でどうするべきかを主人に問う。
「いい、通せ」
その声の後、広間に一人の人間が姿を現した。
銀色の仮面で顔を隠し、赤色のローブで体型を隠す。性別も素性も計り知れない異様な姿にレーヤと呼ばれた貴族の男は目を細める。
「ほう、貴様が?」
「姿を晒せぬご無礼をお許しいただきたい。——私は決闘代理人のハク。ヴィクト様の言に答え、馳せ参じました」
仮面から出た声は男のもののように聞こえるが、それが魔石によって加工された声であることは誰の耳にも明らかだった。
「そうか。——余計な言葉はいい。武器は剣でいいな」
「ええ……」
レーヤは立ち上がり、ハクの前へと歩を進める。
静かな広間に広がる緊張。ヴィクトは膝を震わせながら息を殺す。
ハクはローブをなびかせ、その下から一振りの剣の姿を顕わにする。
互いの剣が相対する。
レーヤの手には無骨な両手剣。戦いの場に余計な装飾は要らない。レーヤの信念であった。
ハクは片手剣を右手に握り、腰を落として低く構える。
無限に続くような静寂、瞬きすら死因になりうるような緊張感の中、レーヤの脚が動く。
「いざ――!」
◇
「大儲けだね、アイサ」
「まあ、うん」
石造りの都市の中を二人の女学生が歩く。2人の腰には剣がぶら下がっているが、それを怪しむ人はどこにも居ない。2人の着ている白を基調とした制服はテルタリア女学園の物で、貴族の令嬢やそれに将来仕えるであろう騎士見習いが多く籍を置いている学園だ。
「殺したし、これぐらいが妥当だよ」
「まあ、それもそっか」
決闘の決着はどちらかが負けを認める、もしくは息絶えるかのみだ。アイサと呼ばれた少女は今までに数えきれないほどの貴族を決闘で殺してきている。
「プライドばかりな連中と、決闘する勇気もない腑抜け」
「小物ばっかりだからね。学園の人たちはそうでもないんじゃない?」
「どうだか……。リゼ、甘いの食べる?」
アイサはこの話は打ち切りだと言わんばかりに強引に話を切り替える。リゼはそれに一瞬顔をしかめるも甘味の誘惑に敗北し、勢いよく返事を返した。
「食べる!」
◇
時折、夢を見る。
見たくなんかないから、青色吐息で目覚める。
それは、どこにでもある地獄だった。
焼け落ちる故郷。奪われる世界。あのあたりの断続的にしか思い出せない記憶は、他のどんな記憶よりも鮮明だ。
人の焼ける匂いが鼻を裂いて、隣で走っていたあの子がどこかに消える。そして、私は――。
「反乱だ! 隣の辺境伯が攻めてきた!」
店の外に怒号がこだまする。言葉は一瞬で街を駆け巡り、町全体がいような緊張感に包まれた。
「え……」
店内に起こる僅かなざわめき。店主や客たちの縋るような視線はアイサたち二人に向けられている。
「私が外の様子を見てきます。安全の確認ができ次第、避難を。——リゼ、ここは任せたよ」
リゼが頷いたのを確認すると、アイサは外に出る。幸い、敵はまだ城壁を越えられていないようだ。
遠くから爆音が響く。魔剣の音だろう。
——ここの指揮をとっていたのは誰だったか。まあ、誰だって同じこと。これはいい機会だ。この国が滅茶苦茶になる、いい機会。
「ん、君……学園の子か。気持ちはわかるけどね。僕たちとしては君たちを危険な目に合わせるわけにはいかなくてね」
戦場の方角へと近づくと、アイサは一人の兵士と出会った。
「えっと、そうじゃなくって、人を探してまして……」
アイサは鞄から紙を取り出し、兵士の方へと身を寄せる。
紙切れに人の顔など書かれていない。アイサは兵士を殺し、鎧を奪う心づもりでいた。
瞬間、雷のような轟音と共に爆風が押し寄せる。
世界がひっくり返ったような衝撃の後、開けた視界の先にあるはずの城壁が、消えていた。
「なんて魔剣だ……。壁に穴開けやがった!」
魔術は剣に宿る。魔剣そのものは希少なものではないが、この壁を破壊できるようなものとなればかなり希少な部類に入る。
「逃げろ、ここは俺が……」
声を潜め、そう言う兵士の頼もしい背中。
瓦礫と粉塵の向こうには敵の姿が見える。
アイサは腰の剣を抜き、兵士の心臓を貫くように背後から突き刺した。
死角、予想外の場所からの不意打ち。兵士は何が起きたかを理解する暇もなく、ただ苦痛に顔を歪ませる。
「見ての通りだよ。指揮官はあっち、学園ならあっち」
アイサは死体を敵兵の前に転がすと、両手を挙げながら敵の狙いとなるであろう場所を示す。
「降伏か……。で、どこのお譲さんだ?」
「——アイライト」
「知ってるか?」
男は背後の兵士に声をかけるが、その誰もが首を横に振る。
「そうか……惜しいが、時間も人でもないんでな。死んでもらう」
男が右手の刀を振りかぶる。
瞬間、アイサの体が加速した。水色の衝撃波は魔力によるもの。そしてその衝撃波は左手から出ていた。
一瞬にして二人の距離が詰まる。予想外の挙動に不意を突かれた男はアイサの腰から抜き放たれる剣を躱すことができない。
「見逃してよ」
一閃。軽装の男を二つに裂くことなど造作でない。
「セルヴェイン!」
男の体が地面に落ち、血が石畳を赤に染める。
兵士たちは動揺しながらもアイサを取り囲む。
「今のは剣からじゃない……。もう一つ隠してるぞ」
アイサが先ほど行った魔力放出は珍しい技術だ。魔剣の能力も見せていない。だが、五対一ではそれも大した意味を成さない。
それに、一人一人の技量もアイサより高いだろう。先程は不意打ちが成功しただけだ。
「時間も人も無いんでしょ。私に構ってる余裕ある?」
「殺しておくよ。彼のように、背中を刺されたら困るからな」
アイサは三度の瞬きの後、真下に向かって魔力を放った。
兵士が怯むとともにアイサの体が宙に浮かぶ。もう一度魔力を放つと、アイサは空中で直角に曲がる。
勝てないなら逃げるしかない。こんな場所で死ぬわけにはいかない。
「逃がすかよっ――!」
兵士のうち一人の剣先から炎が放たれる。
炎は空中で円の形になると、アイサを取り囲むように地面に落ちた。
アイサがそれを飛び越えようと跳びあがった瞬間、何かに撃ち落される。
炎の中に血が舞う。アイサを撃ち落とした風の弾丸は続けざまに打ち出されるが、炎で遮られた視界のせいで直撃しない。
「ああ――」
こんなものかと、頭の隅で思う。
鎖につながれたまま死ぬよりはましな死に方じゃないだろうか。
空を見上げる。
星が出ている。
意味もなく手を伸ばした。
瞳。雲の向こうから、何かがこちらを覗いている。
「——ふざけるなよ」
見られた。そう認識しただけで体が硬直し、息をすることすらままならない。
だが、アイサはその状態でも関係なしに体を動かす。
石畳を染める赤い血が燃え上がる。それはアイサを取り囲む火とは違う、白い炎。
「気が変わった。ネスタ
脳より先に、体がそれの使い方を理解する。
アイサが腕を振ると、燃え上がる白炎が宙を舞い、目の前を切り開く。
それは火を消し去り、石畳を消し去った。すべてを消し去る炎、それはアイサの血を燃料にし、彼女の意志でその形を変える。
「魔剣か!」
魔力で体を押し、白炎を纏う剣を振るう。それは、本来なら剣同士がぶつかり合い、火花を散らすはずだった。——が、その片側の剣だけが二つに割れ、その奥の人体に切っ先が届く。
「さあ、なんだろね」
一合の剣戟。その隙を見逃さないと残りの四人がアイサへと一斉に襲い掛かる。
瞬間アイサの左腕から垂れ流されていた血が爆ぜる。
白い炎は瞬く間に周囲を埋め尽くし、四人の人間を一瞬にして消滅させた。
「はは……これなら……」
アイサは口元を歪めると、鞄から取り出した仮面を被った。
◇
「っっ……」
外壁付近の建物を間借りして作られたテルタリア兵の臨時拠点の中、一人の兵士が地面に倒れていた。
戦況は圧倒的不利、東方面が魔剣によって破壊され、戦力が分断された隙に仮面をつけた妙な敵兵の侵入を許してしまった。
仮面は見たことのないような魔剣と魔力放出を使う手練れで、あっという間に拠点の奥へと侵入していく。
「鎧が……」
目の前に人が見えた。鎧は着ていない。非戦闘員だ。
倒れた兵士は重い鎧や兜を脱ぎ捨てると、負傷した横腹を抑えながら立ち上がる。
肩まで伸ばした茶色の髪が揺れ、腹から血を滴らせながら必死に叫ぶ。
「危ない……そっちは!」
ぼんやりとした視界の中心に兵士が捉えたのは、白髪の女の姿だった。地面につくのではないかという長さの髪を揺らし、女は振り返る。
「お前、誰に……」
振り返った女の瞳は吸い込まれるようなダークブルーの色をしていた。鮮やかで、深い。まるで宇宙のような瞳。
女は大きくため息をつく。
「……危ないのはどっちだ」
女は兵士へと近づくと、その横腹に手を翳す。
一瞬にして傷口が凍り付く。それは魔術と呼べる現象だったが、女は魔剣を使っていない。
「少なくとも、すぐ死ぬことはないだろう。歩けるなら下がって治療を受けろ」
「待って、あなたは……」
「付いて来るな。万全で一度やられたのだろう」
兵士は兜を手に取り、乱暴な仕草でそれを被り、顔を覆う。
「歩けるなら、やるべきことがあります――!」
無表情だった女が一瞬目を丸くする。
「……好きにしろ」
悠々と歩く女の後を、兵士は必死で付いて行く。
「——ここか」
部屋の中、本来なら騎士の座っているはずの椅子には、一つの屍が置かれているだけだった。
そして、その前に佇む人影——。
「こんな手練れがあの阿呆の下についているとはな……」
「誰の下に、と? 私はハク――」
仮面を被った性別不詳の人間が名乗り終わるより早く、一つの影が走る。
それは、先程まで足を引きずっていた兵士だった。二本の剣を両手に持ち、尋常ではない速度でハクに襲い掛かる。
「っ……」
ハクは右方向に飛び退きながら、自らの血を撒く。
「二度同じ手が――通じるか!」
兵士の左手に握られた剣が輝くと、強烈な風を起こして血を吹き飛ばす。
——しかし、白く発火した血は通常ではありえない軌道を空中でとり、兵士へと襲い掛かる。
「遅い――」
だが、炎の量自体が少ない。兵士はすさまじい身体の雨六でそのすべてを掻い潜ると、ハクの首元へと刃を迫らせる。
「くそっ……」
瞬間、魔力が迸り、白の体が宙を舞う。
「まあいい。既に目標は果たした」
兵士はそれを追おうとするも、白炎の爆発によって視界が遮られ、それは叶わなかった。
「っっ……」
その場に倒れかけた兵士を女の手が支える。白く、月のような肌だった。
「お前、名は」
「……イスラ」
「なるほど。覚えておこう」
そこで、イスラの意識は途絶えた。
◇
目的は果たした。これで反乱軍もある程度粘り、戦況が長引いてくれるだろう。内輪揉めなんて理想的だ。このまま滅んでくれればいい。
「何、あの二刀……。それに、後ろのあの女」
文句を言いながら、アイサは着替えをする。敵の鎧を着た仮面のハクから、女学園の制服を着たアイサへと。
「あとは……」
アイサは剣を抜くと、自らの横腹のあたりを切り裂いた。
「すいません……」
「君、大丈夫か――」
腹を抱えながら、負傷者の集まる場所へと歩く。兵士や民間人の多い中で、テルタリアの制服はよく目立つ。
「少し、巻き込まれてしまって……」
「そうか……よく戦ってくれた」
アイサは相当な量の血を被っている。戦闘による負傷であることは明白だった。
「いえ……あれ――」
唐突に視界が白く染まる。
アイサの誤算は戦闘中に相当な血を使ってしまったことだ。アイサは気を失い、その場に倒れた。
「……あ、私——」
アイサが目を覚ましたのは翌朝のことだった。並べられた負傷者の列の中央で、首だけを起こす。
横腹だけでなく、手足にも鋭い痛みが走る。純粋な戦闘による負傷だった。
「って、ん……え……」
隣で寝ている女に目線を奪われる。横腹のあたりにひどい負傷があるらしく、何重にもまかれた包帯に血が滲んでいる。
だが、アイサを驚かせたのはその顔が見覚えのあるものだったからだ。
「お姉ちゃん……?」
彼女を最後に見たのはアイサの故郷がこの国に焼かれた日の朝。剣術を習いに行くのを見送った時だ。
およそ六年ぶりの再会。互いに成長したが、面影は変わっていない。
アイサは眠る姉に抱き着くと、静かに涙を流した。
「った、痛い……。何……」
顔をしかめながらイスラが体を起こす。その眼が見たのは自分に体に顔をうずめながら泣く女学園の生徒の姿だった。
「えっと……」
制服を着た女が声に反応して顔を起こす。
「アイサ……?」
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