脳足ランナー

怪物イケダ

脳足(ノウソク)ランナー

 ユウは、体を失った。

 それは事故だったのか、病気だったのか、誰も正確には教えてくれなかった。

 気づけば、彼は透明な培養液の中、ガラス越しに世界を眺める“脳”だけの存在になっていた。


「でも大丈夫だよ、ユウくん」

 研究者の女性が優しく微笑む。「この新型のボディを使えば、元通り歩けるようになるから」

 渡されたのは、まるで戦闘用ロボットのようなメカメカしい身体。あらゆる能力は人間の限界を超え、ユウはすぐに「世界最速の子ども」になった。


 かけっこ。バスケ。水泳。

 ユウは何でもできた。いや、できすぎた。


「ユウ、すげぇ!」

「マジで神ボディだな!」

「ズルいよな、ユウの体って“反則級”だもん」


 褒められているはずなのに、ユウの心はずっと冷えていた。

 自分がすごいんじゃない。この体がすごいだけだ。

 僕の中身は、ただの……脳みそだ。



 ある日、ユウは逃げた。ラボからも、競技会からも、完璧なアンドロイドの体からも。

 そして、ただの脳に戻った。

 カプセルの中でひとり、ただ時間を流す。思考だけが宙をさまよう。


 ——そんなある日だった。

 誰かが、培養室のカーテンをそっと開けた。


「わ、ほんとに……脳だけなんだ」

 声の主は、車椅子に乗った少年。足に包帯が巻かれている。

「俺、リク。……お前、名前ある?」

(ユウ)

「へー、いい名前じゃん。オレも走るの、好きだったよ」


 リクは毎日ユウに会いに来て、昔のことを話してくれた。

 走る楽しさ。転んだ痛み。友達と競い合った風景。


「なあ、ユウ。体があっても、心が走ってなきゃ意味ねぇよな」


 ——その言葉に、ユウの脳が震えた。



 何かが、始まった。

 脳の表面に、ざわめくような電気のうねり。

 ぐにゅ、と。カプセルの底で、何かが動いた。


 それは……芽だった。

 脳の下部から伸びる、2本の筋組織。

 いや、これは……脚!?

 研究者たちはパニックになったが、ユウの意志は止まらなかった。


「……立ちたい」

「……走りたい」

「この足で!」


 神経組織が収縮し、脳は自らの下に“足”を生やした。

 そして、コトリと、カプセルから飛び出す。


 廊下を——タッ、タッ、タッ。

 走っていく“脳足ランナー”。

 誰よりも不格好で、誰よりも自由な足取りだった。



 ユウは今も走っている。

 公園を。街を。時にはラボの屋上を、まるで風のように駆けていく。


「すっげえ! あの脳、足生えてる!」

「やば……泣ける……!」

「自分の足で、走ってるんだ……」


 誰かの体じゃない。誰かの期待でもない。

 自分の足で、自分の意思で、走ること。


 それが、ユウの“成長”だった。


——「僕の体はこれだけ。でも、僕はちゃんと、前に進める。」

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脳足ランナー 怪物イケダ @monster-ikeda0407

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