第16話 これはデートか武者修行か ~始まり~
あたしはまた、水連池前の階段に一人座っている。いつの間にかこの場所は、暇を潰すあたしの定位置になっていた。
「あっちい……。アイスクリームが食べたいなぁ」
白昼夢を見そうなほどにクソ熱い空気で満たされている中庭を眺めながら、ぼやく。午前でこの暑さだ。今日はどれほどの灼熱地獄になるのだろうかと考えると、労働どころか活動意欲まで干上がりそうだ。
特に今日は、いつも以上に熱い気がする。
「アイス、食べたい」
あたしはまた、同じ独り言を呟いて、ごろりと仰向きに寝そべった。太陽光を吸収したざらざら質感の白い床が、あたしの背面をジュワっと加熱する。熱い。だが起き上がるほどではない。
陽射しが顔面に当たりまぶしかったので、瞼を閉じる。
ケメトには牛もヤギも馬もいる。だからミルクならそこら中にある。砂糖は無いけど蜂蜜がある。塩もある。あとは、氷さえあればアイスクリームが作れるはずだ。
「氷はないのかなぁ。この国は」
「あなたはアホですか」
目を閉じたまま三度目の独り言を呟くと、突然上から野次が降ってきた。
驚いて目を開けると、あたしを見下ろす呆れ顔のレイが目に飛びこんできた。彼の背中が陽射しを防いでいるので、眩しくはない。
それにしても。
指輪め。『馬鹿』でなく『アホ』と小手先を使って翻訳してきたか。こざかしい進化をしおって。
内心、指輪に向かって舌打ちする。
「今はシェムウ(暑熱季)の真っただ中ですよ。氷など、どうやって作るんですか」
レイは疲れたように言うと、あたしの隣に腰を下ろす。
暇なのだろうかと思いながら、あたしはレイを横目に見た。
「もし今氷が手に入ったら、真っ先に陛下に召しあがって頂きたい。本当にあれは、熱さましには最適なので」
どうやらあたしよりレイの方が、氷を作れないことを残念に思っているようだ。
「王様はまた伏せってるの?」
訊いたあたしにレイは、ツタンカアテンは生まれつき体が弱く、体調を崩しやすいのだと憂いた。
なるほどね。とあたしは相槌を打つ。ツタンカアテンの先天的な形態異常や虚弱体質は、多分、あれが原因だろう。
「近親婚ばっかしてるからだよ」
この国に来てから何度も驚かされているのが、近親相関だ。それをぽろりと口にしてしまったあたしに、レイはしかめ面で振り返り、「なに?」と訊き返してきた。
しくじった。他国の文化を否定するのは流石にヤバかったか。
「ああ、いやその。あはは」
焦ったあたしは笑って誤魔化そうとする。誤魔化せないなら、とにかく謝って、聞かなかったことにしてもらおうと考えた。しかし、レイの強い眼差しが、言い逃れは許さん、とあたしの退路を断つ。
「だからね、血が濃くなると先天的な病気を持った子が生まれやすいんだよ、ね。あたしの国じゃ、結婚していいのはイトコまでって法律で決められてるくらいなんですよ、ね」
「それを詳しく説明してください!」
レイがぐいと身を乗り出し、詳細を求めてくる。
あれ? 気を悪くしたわけじゃなかった?
あたしは戸惑いながら、説明を続ける。
「だからその、ね。遺伝子に問題が出てくるんだよ」
「遺伝子となんです」
レイがまた身を乗り出す。
何がどうしてそんなに知りたんだ?
異常なほどの食い付きぶりを不審に思いながら、あたしは頭の中にある極少の知識を探る。
「に、人間のぉ、情報、みたいな?」
こういう、目に見えないウニョウニョしたやつがあってね、とどっかのテレビか雑誌か教科書で見た遺伝子の形を、両手を蛇のように交差させながら解説した。
不明瞭な解説を聞くやいなや、レイがあからさまにがっかりした様子で肩を落とす。あたしから身を引くと、ついでにするには大きすぎるため息まで吐いてくれた。
「全然駄目ですね。そんな浅はかな知識では、誰一人納得させられない」
あさはっ――古代人が偉そうに言ってくれるじゃないの!
「遅れてるのはそっちでしょうが」
「確かに未来の知識量は我々の国のそれをはるかに凌ぐようですが。掘り下げて学ぼうとする意欲が無ければ、あなたのように浅っっさい見識で御託を並べる文明人気取りを量産するだけです」
そこまでいうか! しかも何気に『浅い』を強調してるし!
あたしは口を大きく開いて戦慄いた。
「日本では高卒まで、『広く浅く』がモットーなんじゃい!」
掌で床をばしんと叩いて、超絶失礼な古代人医師を睨みつける。
レイは暫くあたしと睨み合っていたが、ふと視線を外すと、「そうですか」と折れた。
あたしは拍子抜けした。レイがあたしの言い分を認めるなど、いまだかつてなかった事である。いつものレイならば、ここから二重三重に毒舌攻撃を繰り出すはずだ。それであたしをめった打ちにした後は、『今日はこれくらいにしといてやる』とばかりに立ち去るのだ。
しかし今日にいたってレイは毒を吐かず、かといって立ち去ることもなく、あたしの隣に黙って座り続ける。
やっぱり暇なんだろうか。
「あなたの代わりに、私がそのニホンとやらに行きたいですよ」
庭を眺めながら、レイがぽつりと言う。
それができれば、ツタンカアテンの病を治す方法も、自分が知りたい多くの事も容易に手に入るであろうに。
レイはそう続けた。
あたしはやっと、レイが自分の無力に悩み、今の状況を打開したいと切望しているのだと知った。暇つぶしにあたしとくっちゃべっていたわけではなかったのだ。
あたしのように、恵まれた環境に胡坐をかいて、のんべんだらりと歌っているキリギリスよりは、人の為に更なる知識とスキルアップを求めて生きているレイの方が、数千年後の日本には相応しいのかもしれない。悔しくもそう思ってしまう。
しかし、だからといってレイがあたしの代わりに未来の日本に行くというのは、実現不可能な話なのだ。
「なら、生まれ変わり、って方法もあるんじゃない?」
代替え案には遠く及ばないが、あたしはレイに一つの可能性を示唆した。いや。可能性、と呼ぶにも値しない、慰め程度の発想でしかないのだが。
『生まれ変わり』とは何か、レイが訊いてくる。
あたしは、この世の生き物が一生を終えて魂が自由になった時に、別の生き物にまた生まれることを『生まれ変わり』と呼ぶと説明した。
「魂のリサイクルだよ。それを繰り返して、レイが辿り着きたい未来にどんどん進んでいく、っていう方法ね」
実際、本当に魂をリサイクルできるかどうかは、未知の領域だが。
ちょっと投げやりが過ぎたかなと頭をかいたあたしに、そんな思想はケメトには無い、とレイは言った。ケメトの人間は死ぬと、イアル野という天国のような場所で、生前と変わらない人生を送ると信じられているのだ、と。
国や時代が違えば、死生観も変わるということか。
「そっか。あの世に行ってもずっとレイのままなんじゃ、生まれ変わりは無理かなぁ」
あたしは、お伽話程度のノリでヘラヘラ笑う。けれどレイは対照的に、他国の死生観に真面目に向き合っていた。
「ケメトの思想では無理でしょう。けれど、もし本当にそんな事が実現できるのであれば……」
暫く考えた後、ぽつりと口にする。
「未来に帰ったあなたに会う可能性も、あるかもしれませんね」
聞いた途端あたしは、胸の中でぱっと花が咲いたような錯覚を起こした。
最近のあたしはやっと、レイの中で不快害虫から害獣扱いに昇格した程度だった。それが、まさかのお友達扱いに数段飛ばしで格上げして下さるとは。
「未来で探してくれるってこと?」
「そんな無駄な事に時間と労力を割く気はありません」
ドキドキしながらの問いかけを、レイが中庭に向いたまま、いつもの冷え切った返事でバッサリ斬る。
やはり害獣などは眼中になかったらしい。意気消沈だ。しかしレイは、続けてこう言った。
「あなたの運命の近くに生まれ変われば済む話でしょう」
いぃやぁ~っっっ!
あたしは心の内で歓喜の絶叫を上げる。
大罪級の不意打ちドッキリに、乙女の純情は爆上がりだ。
目の前の女を落としてやろうとか、カッコつけようとか、そういった下心を全く感じさせない自然で穏やかな表情が、余計に罪つくりだ。
あたしは感動のあまり、思わずレイに飛びつきかけた。実際飛びつかなかったのは、寸でのところで意識下に躍り出てきてくれた理性が、死亡必至の行動を止めさせたからだ。
ああああ危なかった~っ! ここでガバチョと抱きつこうもんなら、悪意まみれの毒舌を置き土産にサイナラされるとこやった~っ!
挙動不審なあたしを訝しげに見てくるレイの隣で、あたしは異常な速さで拍動する心臓を両手で押さえながら、己のファインプレーを褒める。
「で、でも。指輪からの解放が怖い気持ちも、ちょっとあるんだよね」
まだ強い拍動を続ける心臓を擦って宥めながら、あたしは不安を打ち明ける。
レイが「と、いうと?」と眉を寄せた。
「もしかして、あのラムネは日本に帰ってるんじゃなくて、時空のひずみみたいなところで彷徨ってるだけ? なんて考えちゃって」
指輪に宿った無念を晴らせば日本に帰れるという仮説を打ちたてたものの、本当のところは、持ち物が消えた、という事実があるだけだ。ラムネの容器とその中身がきちんと日本に帰っているのか、確証は持てない。
レイは「なるほど」と一旦考えはしたものの、すぐにさっぱりとした様子で結論を述べる。
「まあ、貴方が消えてしまってからの事は、私も感知できません。お元気で」
「あたし最後尾だからね! スマホとかハンカチとか、まだ前にいっぱいいるからね!」
やはりレイはレイだった。
あたしがある日突然消えても、こいつは心配にならないのだろうか。寂しくないのだろうか。あたしは自分が消えた時の、この男の反応を想像してみる。
屁でもねえわな、絶対。
平然としている姿しか思い浮かばなかった。
「あらぁお二人さん。仲良くお喋りぃ?」
いつもの間延びした口調が聞こえたので振り返ると、ねえや達が廊下を歩いて来るのが見えた。
シトレがあたしの前に立つ。「はいこれ」と赤い石のペンダントトップがついた首飾りを、目の前に垂らして見せてきた。
「今日は楽器の調整で仕事の予定は無いから、これでツルペタボディに合う服を買ってらっしゃいな」
そう言うと、「レイ。暇なら一緒に行ってあげてよ」とお守を頼む。
「忙しいです」
レイがすかさず断った。
シトレは腰に手を当てて、「暇を作って、一緒に行ってあげてくれないかしら!」
と面倒くさそうに言い直した。
「一日くらい、いいじゃん。帰る前に一回デートしてやってよ」
ヘンティが援護した。
「そうよぉ。帰る前の思い出作りよぉ」
「マキノは帰るまでまだ時間がかかりそうだし、サイズの合わない服を着続けるのもよくないでしょう?」
どいつもこいつも、帰る帰る連発しやがって!
ねえや達に悪気は無いのだろうが、寂しさのあまり泣きたくなる。ふて寝してやりたい気分だったが、レイが同行を渋々承諾したので、街に行く以外になくなった。
「分った。行って来る」
物々交換用のネックレスをくれ、とあたしはシトレに掌を出す。当然、赤い石のネックレスがあたしの掌に乗るものだと思っていた。しかし、シトレはネックレスをあたしの目の前に垂らしたまま、口をすぼめて何やら思案しはじめる。
数秒後、「やっぱりだーめ」とネックレスを自分の掌の中に回収した。
え、なんで? あたし一文なしなんですけど。
「レイにおごってもらえと?」
「やあね。こいつが払ってくれるわけないでしょ。びた一文」
シトレはにやりと笑うと、「マキノはネックレスよりも価値のある物を持ってるじゃないの」と指先で喉をトントンと叩いて見せてきた。歌手なら歌ってもぎ取って来い、という意味である。
「ついでにあんたの実力を見せつけて、その口うるさい男の鼻を明かしてやりなさいな」
豊かな胸の下で腕を組んだシトレが、高飛車にレイを見下ろす。
姉さん、そんな殺生な。デートどころか、どんな武者修行やねん。
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