1.3.1 アセンブラ有原のスカウト
八坂が帰りたがる無音を半ば強引に連れてやってきたのは、古びた集合住宅の一室だった。ドアには色褪せたアニメキャラクターのステッカーが無数に貼られ、その隙間から覗くプレートには「有原有朱」とインクが滲んだ文字で書かれている。
「内務市民委員部特別査察局特別資料監理部第0課の八坂八重よ。こっちの浮いてるのは虚山無音。今日付でゼロ課に配属になるアセンブラ。会ったことあるんでしょ?」
八坂がドアに向かって事務的に名乗る。その直後、用件も告げぬうちにガチャリとドアが開き、派手な服装の少女――有朱が満面の笑みで立っていた。
「初めましてえ、八坂さん。無音ちゃん、また会えたねえ。入って入ってえ」
有朱は、まるで友人を迎えるように八坂と無音に手招きする。無音は以前に会っているらしい。その親しげな態度にしかし、彼女は何も答えず、ただ警戒を強めているようだった。
部屋の中は、予想通り、混沌としていた。床には脱ぎ散らかされた服や、用途不明の電子部品が散乱している。壁には複雑な数式や設計図がびっしりと貼られ、その異様な空間の中で、一際目を引くのは窓際の小さな本棚だった。そこに、一冊だけ古びたペーパーバックが立てかけてある。『Industrial Society and Its Future』。産業社会とその未来。その昔、アメリカで各地の大学や空港に爆弾そのものである小包を送った爆弾魔の犯行声明文を書籍化したものだ。八坂はそのタイトルに、目の前の少女の狂気の源流を垣間見た気がした。
「不気味」
無音が思わず漏らした呟きに、有朱が楽しそうに振り返る。
「それで、何の用? お役人さんと、そのペットの幽霊ちゃん」
「ペットじゃねえよ」と無音。
ちょうど同じことを八坂も言おうとしていた。こんなペット、恐ろしくて飼う気にならない。野獣と餌か、野獣と調教師が正しい。
「アセンブラ有原、貴女にもゼロ課で働いてもらいます」
八坂が単刀直入に告げると、有朱はきょとんとした顔で小首を傾げた。
「わかった。でもさ、これって太陽の所有者の直々の命令なんだよね? 福祉局から何の連絡もないし。実は第一総裁はもう爆死してて、その案件とかあ?」
その言葉に、いけないと思いつつ、八坂は顔を僅かに強張らせてしまった。何も考えていない無邪気な少女のようでありながら、勘が鋭い。ところで、無音は全てに興味がなさそうにふわふわしながら天井を見ていた。よく見ると、その視線の先にもどうやって貼ったのかアニメキャラのシールが貼ってある。
「鋭いわね」
「で、断ったら過去の犯罪バラされちゃうとかあ? あはー、こわい」
有朱はわざとらしく肩をすくめて見せる。
「そうね。三ヶ月前、某サーバーセンターの裏口で、ずいぶん綺麗な絵を描いたそうじゃない?」
八坂が皮肉を込めて言うと、有朱は真顔になった。
「えー、そんなことしてないよお。でも八坂さんが何を望んでるかはわかりますよん。ちょっと待ってて、お菓子とお茶持ってくるからねえ」
部屋の奥に消えていく有朱の背中を見ながら、傍らで漂う無音に声をかける。
「脅すまでもなさそうね。アセンブラ有原は物分かりが良さそうよ、貴女と違って」
言うとその言葉が終わるか終わらないかのうちに、無音が八坂の視界を遮るように立った。急接近だった。八坂は即座に彼女の腕を折るシミュレーションを始めたが、轟音がそれを終わらせた。
部屋の奥、小さな冷蔵庫が木っ端微塵に吹き飛び、その中から無数の釘が凄まじい勢いでこちらに射出された。
明確な殺意の奔流。
八坂は腕以外にも修理箇所が増える、いや、あるいは、あの速度ならば自分の唯一の人間的な部分にも到達して、いよいよサイボーグではなく機械そのものになるのではないかとすら、予感した。
しかし、その凶器の群れが八坂に到達することはなかった。
無音が自分の髪を軽くかきあげたのと同時、全ての釘が空中でぴたりと静止した。
そのまま、銀の雨は八坂を八つ裂きにすることも床に落ちることもなかった。まるで時が止まったかのような光景だった。
「あはー、透明にしようと思ったのにー」
キッチンの入り口からひょっこりと顔を出した有朱が、残念そうに唇を尖らせた。
「あんた! 殺す気だったわね! 無音だって腕を折るだけだったのに!」
「違うよお。透明にしたかっただけだよお。無音ちゃん、邪魔しないでよねー。そんなことしてると、無音ちゃんも“透明”にしちゃうよ?」
その無邪気な声で語られる言葉は、紛れもない脅迫だった。
八坂は、空中に静止したままの釘の群れを手で払い除けながらキッチンに向かい、有朱に問いかけた。
「その“透明”にするってやつ、太陽の所有者にはどうやる気? 彼らが貴女を推薦し、彼らが貴女を操作するための情報をくれたのよ。軌道上の宇宙ステーションにいる奴らを、どうやって透明にするの」
八坂の問いに、有朱は一瞬きょとんとし、それから屈託なく笑った。
「うひー、考えてなかったー!」
有朱は屈託なく笑うが、八坂は本気で頭が痛くなってきた。存在しないはずの痛覚を経由した存在しないはずの痛みは、まだ肉体を持っていた頃の頭痛より痛みを強く感じる。
アセンブラの少女たちの思考は、戦争帰りのサイボーグが身につけた常識や普通という観念の軌道を軽々と飛び越えていく。
「アセンブラって、もうこんなのしかいないの?」
八坂は、空中に浮かんだままの無数の釘と、それをやった張本人である少女二人を交互に見比べ、心底うんざりしたように呟いた。
「まともな人は“アセンブラ狩り”でみんな死んじゃったからねえ。深刻な人手不足だよお。あはー」
有朱は、まるで他人事のように言ってのけると、ポケットに突っ込んでいた手で、何かのジェスチャーを形作り始めた。
「自分で言うな! あと指! 動かすな!」
八坂は叫ぶと同時に、有朱の腕を掴もうとするが、その前に彼女の腕が操り人形のようにぎこちない動きで頭の上にまで持ち上がった。
ゴキッ。
乾いた音が響いた。
有朱の五本の指が全て曲がってはいけない方に曲がっていた。
八坂は骨の折れる音を聞いたのだった。
有朱は、折れた指をぶらぶらと振りながら、無邪気に歌うように言った。
「あはー、無音ちゃん、痛いよお。痛いの痛いの、とんでけー!」
「あなたは何をするつもりで、あなたは何をしたの?」
八坂が、その常軌を逸した行動に絶句しながらアセンブラの少女たちに問う。それに答えたのは、今まで黙って成り行きを見ていた無音だった。彼女の視線は、八坂が腰掛けていた椅子に向けられていた。
「八坂の座ってた椅子、爆発しそうだった。だから止めた」
八坂は大きく息を吸い、切り札を切ることにした。この危険物を手懐けるには、相応の餌が必要だ。
「総裁を吹き飛ばしたのは、持ち込めるはずのない場所に持ち込まれた、特殊な爆弾よ。興味あるんじゃない?」
その言葉に、有朱の瞳がカッと見開かれた。
「有朱もゼロ課にはいるー!」
これまでのどんな話題よりも、純粋な好奇心と欲望の光が灯る。
「いいなあ。欲しいなあ、見えない爆弾。それ、太陽の所有者の宇宙ステーションを透明にするのに使えないかな? 軌道エレベータで物資搬入してるらしいからさ、そこに混ぜてえ、ドカーン」
壮大な破壊計画を、まるで新しい玩具をねだるように口にする。八坂が呆れて言葉を失っていると、隣で静かに浮かんでいた無音が、ぽつりと呟いた。
「名案」
その短い同意に、八坂はついにこめかみを押さえた。頭が割れそうなほどの幻痛があった。
「あんたらねぇ……」
こいつらを率いて、都市を揺るがす巨大な陰謀に立ち向かわなければならない。八坂は、自らの存在しない胃に、ずしりと重い鉄塊が沈み込んでいくのを感じていた。
八坂は、目の前の制御不能な少女二人に、早くも任務の先行きが不安になっていた。その重い空気を破ったのは、当の有朱の、場違いに明るい声だった。
「これで有朱も正規雇用労働者だよ! お母さんも喜ぶよお」
彼女は、まるで合格通知を受け取った受験生のように、両手を挙げて喜んでみせる。八坂は、その無邪気さに毒気を抜かれ、社交辞令で応じた。
「そうね。きっとお喜びになるわ」
「新しい爆弾もお母さん喜ぶよお」
有朱はそう言うと、部屋の隅にある棚の方を向いた。そこには、埃をかぶった電子部品に混じって、一枚の写真立てがぽつんと置かれていた。写真の中では、有朱によく似た面立ちの、優しそうな女性が微笑んでいる。
八坂は、言葉を選びながら、慎重に問いかけた。
「それは……、その、どうかしらね。喜ぶ、かな。よ、喜ぶかも。どうだろう」
「喜ぶよお」
有朱は、写真立てから視線を外さずに、確信に満ちた声で言った。その横顔は、先ほどまでの狂騒が嘘のように、静かで、そしてどこか寂しげだった。
「燃えながら死んだお母さんが寂しくないように世界の全部を燃やすの。あはー」
その壮絶な告白に、八坂は息を呑んだ。どう反応すべきか分からず、助けを求めるように、隣で浮かんでいる無音の方を見る。
しかし無音は、そんな重苦しいやり取りには全く興味がないとでも言うように、小さくあくびをしただけだった。
こいつ、もう裏切りやがった……。
八坂は、内心で深いため息をつくと、プロの顔に戻って宣言した。
「オーケー。動機は自由だわ。働いてくれれば、それでよし」
その言葉に、有朱は再びぱっと明るい表情に戻った。
「チームは有朱たち3人だけ?」
「最後の一人のところに行くわ。アセンブラ氷室密花のところへ」
八坂が答えると、有朱は「密花ちゃんだあ」と嬉しそうに声を上げた。そして、悪戯っぽく笑いながら、八坂に問いかける。
「ねえ、密花ちゃんは何で脅すの? 『言うこと聞かないと、人参を毎日食べさせるぞ』って言う?」
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