第4話 俺の本来の居場所~ジークside~

 高くそびえる門が、ゆっくりと音を立てて開いていく。

 馬車の窓から見えたのは、手入れの行き届いた庭と、白く巨大な屋敷だった。


「ここが、今日からお前の家だ。ジーク」


 ラズネルド公爵はそう言って、俺の肩に手を置いた。

 その手は重くはなかったが、“何か”を託されるような感覚があった。


「ラズネルド公爵家に恥じない力を、しっかりと身につけなさい」


 静かにそう続けると、公爵は微笑んだ。


 ――俺は、ここで生きる。俺が立つべき場所で。

 心の奥から、じわじわと高揚が湧き上がってきた。


 屋敷の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった気がした。

 磨かれた床に高い天井、丁寧な言葉遣いで接する使用人たち。

 彼らは俺に向かって一斉に頭を下げる。


 目に入るものすべてが、これまでの生活とはまるで違っていた。


 奥の部屋で出迎えてくれたのは、公爵夫人だった。

 若く、気品があり、凛とした姿勢の人だった。


「まあ、この子がジーク? ずいぶんとしっかりした顔をしてるのね」


 夫人は俺を見て、ふっと笑みを浮かべた。


「レインスは残念だったわ。でも……ジークだったわね? あなた、いい子を見つけてきたのね」


 そう言って、公爵に目を向けた夫人の顔に、悲しみも愛情も、微塵もなかった。


 俺は黙って、ただ頷いた。

 言葉にしなくても、認められた気がした。

 これでいい。俺は、ここにふさわしい。


 それから数日も経たないうちに、俺は公爵家の生活にすっかり馴染んでいた。


 食事は豪華で、寝具は柔らかい。周囲の使用人たちは、皆一様に俺を「ジーク様」と呼ぶ。


 これが選ばれた者の暮らしというやつか。

 何もかもが、初めからそうあるべきだったかのように感じた。


 平民だった俺が、冠精霊と契約し、公爵家に迎えられた。

 ……いや、正確には、本来あるべき場所に戻っただけだ。


 ラズネルド家に引き取られると決まってすぐ、家族には知らせを入れた。

 『ラズネルド公爵家に入ることになった。もう戻らない』

 ただ、それだけだ。


 わざわざ会いに行く理由も、未練もない。

 あんな暮らしをしていた過去なんて、思い出すだけで恥ずかしい。


 向こうは涙ぐんでいたみたいだが、正直どうでもよかった。

 俺はもう、あんな小さな家の人間じゃない。あそこにいた俺は、もうとっくに捨てた。


 代わりに思い浮かぶのは、あいつの顔。

 レインス。


 公爵家に生まれながら、呼び出したのは武具精霊。

 そんなもの、貴族の名を背負う者が使う代物じゃない。

 精霊使いとしての才覚もなく、身分だけは立派で肝心の才能は腹の中に置いてきたような馬鹿。いや、ゴミだ。

 だから、あいつは捨てられたんだ。


 俺が冠精霊と契約したときの、あいつの顔を思い出すと、今でも笑いが込み上げてくる。

 あの時は、笑いをこらえるのに必死だった。


 平民ですら、もう少しマシな精霊を呼べる世界だ。

 そんな中で、あんなのが公爵家の子息として暮らしていたと思うと、虫唾が走る。


「……俺のほうが、ふさわしい」


 そう口にした瞬間、不思議なくらいしっくりきた。


 レインスが捨てられ、俺がその場所に収まる。

 それが自然で、正しくて──何よりも、ふさわしい。


 そう確信した翌朝のことだった。


 朝、執事に声をかけられた。


「ジーク様、訓練広場までご案内いたします」


 廊下を抜けて屋敷の裏手へ出ると、そこには石畳の広場が広がっていた。

 数十人の騎士たちが剣を振るい、その近くにはそれぞれの精霊が寄り添っている。


 金色の風をまとう騎士。

 燃えさかる双剣を振るう使い手。

 大地の精霊の力を受け、重装のまま突進する槍兵。

 どれもが本物だった。


 その力の一つひとつが、遠目にもはっきりと伝わってくる。


 呼び出した精霊を完全に制御し、息を合わせて戦っている。

 ぶつかり合う気迫、鋼と鋼が響き合う音。

 模擬戦のはずなのに、そこにあったのはまぎれもなく本物の戦場だった。


「すごい……」


 思わず、声が漏れた。


 これが、貴族の召喚士が率いる騎士団。

 そして、いずれ俺が従える者たち。


 そんな高揚の中、隣に立つ執事が口を開いた。


「ジーク様。今日からはこちらで訓練していただきます」


「……ああ、任せておけ」


 自然に胸が張る。

 この場に立つのは当然だ。冠精霊を持つ俺にふさわしい立場なのだから。


 だが、執事の次の一言で、胸の高揚が一瞬で冷えた。


「ちなみに──あの能無しも、ここ訓練をしておりました」


「……は?」


 思わず聞き返すと、執事は落ち着き払ったまま答えた。


「公爵家に入ったばかりでございますので、まずは素振り、型の習得、そして騎士たちとの模擬戦。朝から晩まで繰り返していただきます。あのレインス様も、同様の訓練をこなしておられました」


 レインスが? ここで訓練を……?


 なぜだ。

 あんな無能と、同じ訓練を俺が受ける?

 俺は冠精霊を持っている。選ばれた存在だ。

 なのに──どうして、あいつと同じ扱いなんだ。


 唇を強く噛んだ。

 胸の奥に、言葉にできない何かが渦を巻いていた。


 それでも、俺は訓練に臨んだ。

 そして、すぐに思い知ることになる。


「クソっ……! これを十歳の子どもにやらせるかよ……っ」


 剣を振るたび、腕が悲鳴を上げる。

 何十回、何百回と繰り返された素振り。

 その後は型の習得を反復し、そして訓練騎士との模擬戦。


 レインスがこれを毎日こなしていた──そう聞かされた瞬間、火がついた。

 あのゴミにできて、俺にできないはずがない。

 そう思って、歯を食いしばりながら、全力でやりきった。


 気づけば、朝から日が沈むまで、ずっと剣を握り続けていた。

 全身が鉛のように重く、足は棒のようだ。指先には、もはや力も残っていない。


「お疲れ様です。ジーク様」


 声をかけてきたのは、昼にも顔を見せた執事だった。手には白いタオル。


 無言でそれを受け取り、乱暴に汗をぬぐう。


「おい。……レインスが連れてたメイドはどうした?」


 ふと、口をついて出た。ずっと気になっていたことだった。


 何度か街で見かけた、あの銀髪のメイド。無愛想だったが、静かで印象に残る雰囲気をしていた。

 正直、一目見たときから気になっていた。

 公爵家に来れば、きっと毎日顔を合わせると思っていた。


「……ああ、ロノアのことですね」


 執事は小さく笑った。


「退職しましたよ。あやつ、公爵家付きの身分を捨てて、あの能無しについていきましたので」


「……は?」


 思わず振り返る。


「まさかとは思いましたが……やはり元奴隷のような者には、正しい判断はできなかったということでしょうな。所詮、育ちが知れる」


 頭の中が真っ白になった。


 あの女が、レインスについていった?

 こっちじゃなくて? 俺のところじゃなくて?

 ……どうしてだよ。


「……あいつがいなくなれば、俺のメイドになるのは当然だったはずだろ……っ」


 震える声が喉から漏れた。

 胸の奥に込み上げてくる何かが、怒りとも、悔しさとも、言い表せない。


「クソがぁぁぁぁぁぁ!!」


 タオルを地面に叩きつけ、声を張り上げた。

 訓練の疲労も、身体の痛みも、その叫びでは吹き飛ばなかった。

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