第2話 追放された俺は、路地裏で“最凶の三姉妹”と出会う

 ──日が昇り、街が徐々に目を覚まし始める。

 城下町の中層区画にある石畳の通りには、少しずつ人の姿が増え始めていた。


 屋台が店を開き、商人たちが声を張り上げる。そんな活気をよそに、俺とロノアは並んで歩いていた。


 昨夜、公爵家を追われた俺たちは、城下にある小さな宿に身を寄せて一晩を明かした。

 豪奢な屋敷に比べれば狭く、ベッドも硬かったが──不思議と、ぐっすり眠れた気がする。


「……レインス様、お疲れではありませんか?」


 隣を歩くロノアが、柔らかな声で問いかけてくる。

 月光を思わせる銀髪が、朝の光にほんのりと照らされていた。


「ううん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


 微笑んで返すと、ロノアは少しだけ表情を緩める。


「それならよかったです。でも……無理はなさらないでくださいね。昨日のこともありますし、まだお身体も落ち着いていないでしょう」


 まるで体調の内側まで見透かしているかのような、相変わらずの観察力。

 その気遣いが、今はなんだか少しだけ心地よかった。


 通りを抜けると、街の中心部に近づいていく。

 このあたりは、地方貴族が契約の儀の視察やスカウト目的で仮滞在する区域。

 屋敷風の建物が立ち並び、上質な布地のマントを羽織った者たちの姿もちらほらと見える。


(さて……これから、どうしようか)


 行き先はまだ決まっていない。

 けれど、公爵家の籍を外された今、どこか新たな居場所を探さなければ、召喚士としての未来も始まらない。


 フランシリア王国のパリスイリア召喚士学園──十五歳での入学を目指す者にとって、残された猶予は五年。

 だが、今の俺は貴族としての推薦も、後ろ盾もない。

 自ら道を切り拓かねばならない立場にある。


 そんなことを考えていると、隣のロノアがふと立ち止まり、小さく首をかしげた。


「……このあたり、少し空気が騒がしいですね」


「ん……?」


 確かに、朝の喧騒の中に混じる、小さなざわめき。

 耳を澄ませば、それはどこか緊張を孕んだ騒音で、路地の奥から響いているようだった。


「少し、見てくるよ」


 俺はロノアに目配せをしながら、静かに歩を進める。


 路地の奥に足を踏み入れた瞬間、空気が、変わった気がした。


 静まり返った裏通り。そこには、三人の男たちに囲まれ、怯える少女の姿があった。

 白色の髪を揺らす少女は、年の頃こそ俺と変わらないが、身に纏った上質なドレスの刺繍から見ても、明らかに普通の町娘ではない。


「……放して! 誰か、助けてっ!」


 叫び声に男たちは顔をしかめる。


「うるせぇ。すぐ終わるから黙ってな」

「スカウト狙いの貴族の子か? ツイてるぜ」


 その言葉に、眉をひそめる。

 ──スカウト目的の滞在中。つまり、彼女は地方から来た貴族の娘。

 この街で混乱を起こされては困る。まして、昨日まで公爵家の一員だった俺としては見過ごせない。


「ロノア、下がってて」


「はい。レインス様……ご武運を」


 静かに頷いたロノアを背に、俺は腰の剣に手をかける。

 それは最初に契約した“武具精霊”。


 抜刀と同時に、銀刃が朝の光を受けてきらめいた。

 意思は持たない。言葉もない。

 けれど──俺にとって、確かに“仲間”だ。


「なんだ、てめぇ……!」


 男たちがこちらに気づき、警戒を強める。


「彼女から、手を離せ」


 静かに告げた言葉に、男の一人が舌打ちして前に出た。


「ガキが粋がってんじゃねぇ!」


 そう叫ぶやいなや、精霊を召喚し、斧を手に突進してくる。

 だが、遅い。


(こいつは衛兵に突き出す。できれば、斬らずに済ませたいな)


 そう思った瞬間、剣からふっと“応じるような気配”が伝わってきた。

 

(……ありがとう。いける)


「はッ!」


 一歩踏み込む。

 斬撃を受け流し、斧の軌道を逸らすと同時に、肩口をなぞるような一閃を入れる。

 切っていない。けれど衝撃だけで、男の体は吹き飛び、家屋の壁に叩きつけられた。


「ぐ……ぅっ……!」


 そのまま崩れ落ち、気を失う。

 次の瞬間、仲間たちが怒号をあげて襲いかかってきた。


「こいつ、ただのガキじゃねぇ!」

「くそっ、囲め!」


(すごい! 俺の意思を汲んでくれてる! ありがとう!!)


 二人がかりで迫ってくる。けれど、恐怖はない。

 積み重ねてきた鍛錬が、今、確かな自信となって俺の背を押してくれる。


 剣を握る手に、魔力を流し込む。

 父に追いつくため。兄たちに肩を並べるため。

 ……そして、何より──自分自身を証明するために。


 戦っている今なら、はっきりと伝わってくる。

 武具精霊は、ただの道具なんかじゃない。

 俺の意志に応え、力を貸してくれている。


 ──俺は、一人じゃない。


「はあっ!」


 鋭く踏み込み、一閃。

 一人の足を払いつつ、もう一人の剣をはじく。

 二人はもんどり打って地面に倒れた。


 その時だった。


 背後から、鋭い気配が迫る。


「──っ!?」


 振り返った瞬間、仮面をつけた男が剣を振り下ろしてきた。

 咄嗟に抜刀して受け止めると、金属が火花を散らす。


「たかが武具精霊で、よくやるな……」


 耳元で囁かれたのは、氷のように冷たい声だった。

 そして、たった一撃──その重さが、先ほどの小悪党たちとはまるで違っていた。


 明らかに格が違う。

 こいつは、あの男たちよりも遥かに上──高位の召喚士だ。


 男が片手を掲げる。

 空気が震え、業火をまとった中級の火炎精霊が顕現した。

 その姿は、二本の角を持つ獣のようなフォルム。身体の芯から煮えたぎるような魔力を放っている。


(中級精霊……!? しかも、こんな街中で実体化させてる!?)


「燃やし尽くせ、ベリクス!」


 男の命令に応じ、精霊が咆哮とともに火球を吐き出す。

 炎は一瞬で路地の壁を焦がし、周囲の空気すら焼き焦がした。


「キャーーッ!」


 アイリスの悲鳴が響く──このままでは、巻き込まれる!


(……大丈夫です。あなたの力を、信じています)


 頭に声が響いた。

 それは外からではない。握りしめた剣──“武具精霊”からだ。


(私は、あなたと共に戦うために在る。だから……あなたも、信じて)


 熱が、柄から全身へと流れ込んでいく。

 剣が応えてくれている。なら、もう迷わない。


「行くぞ!」


 剣を握り直し、一気に魔力を全身へと巡らせる。

 火球の軌道を読み、地を蹴って左に跳ぶ。その直後、火球が炸裂し、爆風が吹き抜けた。


 だが、まだ終わりではない。

 精霊が地を蹴って突進してくる。炎を纏った爪を振りかざし、俺を一撃で焼き払おうとする。


「──ッ!」


 剣を構え、爪を受け流す。だが、重い。一撃ごとに体勢を崩されそうになる。


 だが、それでも──


(見える……!)


 子供のころからの鍛錬が支えてくれる。

 軌道、力の流れ、魔力のうねり──すべてが手に取るようにわかる。


「ハッ!」


 踏み込み、爪と炎をすり抜けるように滑り込む。

 その瞬間、剣を逆手に構え直し、横一閃に振るう。


 ガギンッ!


 精霊の左肩に刃が食い込み、炎が霧散する。精霊がよろめいた。


「ベリクス! もう一度だ!」


 男が精霊に魔力を送る。再び立ち上がる精霊。だが、間に合わない。


「──今だ!」


 俺は一気に間を詰め、剣を構え直す。

 燃え残る炎を斬り裂きながら、男の懐へと飛び込んだ。


「はッ!」


 放った一撃が、仮面の男の腹部に命中。

 男の身体が弾かれ、背後の石壁に激突する。


「ぐっ……な、にっ……」


 仮面が割れ、男が意識を失って崩れ落ちた。

 その瞬間、炎の精霊も音もなく消えていく。


 呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が耳に響く。

 けれど、手は──しっかりと剣を握っていた。


「……ふぅ。よかった、間に合った」


 息を整えながら、俺は剣を静かに鞘へと納める。


 倒れている男たちに目をやると、路地の片隅に放置されていた荷車用のロープが目に留まった。

 それを使って、一人ずつ男たちを簡易的に縛り上げていく。


 ──ひとまず、これで危険は去った。


 その時、後方から小さな足音が聞こえてきた。


 顔を上げると、先ほど助けた白髪の少女が駆け寄ってくる。

 その後ろには、彼女と似た雰囲気を持つふたりの少女も続いていた。


「助けてくれて、ありがとう……! 本当に、ありがとう!」


 少女は潤んだ瞳のまま、震える手でそっと俺の手を取る。

 その温度と、微かに伝わる震えに気づいて──俺も、そっと手を握り返した。


「アイリス!」


 紫の髪を揺らす落ち着いた雰囲気の女性と、橙色の髪に双剣を携えた活発そうな女性が駆け込んでくる。


 ただの令嬢には見えない。

 身にまとう空気が、明らかに“戦う者”のそれだった。


 二人はしゃがみ込み、アイリスと呼ばれた少女を抱きしめる。


「……無事だったのね。よかった」

「もう、あれほど離れるなって言ったのに……まったく、心配かけるんだから」

「……ごめんなさい」


 声と仕草に、確かな絆を感じる。

 おそらく三姉妹なのだろう。


 その光景に水を差すのも無粋だと思い、俺はそっと立ち去ろうとする。


「ま、待ってください!」


 白銀の髪を揺らし、少女──アイリスが駆け寄ってくる。


「助けてくださったお礼が、まだです!」


「い、いや……俺は、ただ見ていられなかっただけで」


 慌てて後ずさると、背後から感じる鋭い視線。


「無傷……あいつらを、一人で?」


 橙髪の女性と紫髪の女性が、地面に転がる誘拐犯と俺を交互に見つめる。

 その瞳に浮かぶのは驚きというより、観察──まるで獲物を見定めるかのような鋭さ。


「ふーん……」


 橙髪の女性が意味深に口元を緩めた瞬間、その姿がふっと消える。


「──えっ!?」


 次の瞬間、背後から凄まじい気配。

 反射的に剣を構え、防御の姿勢を取る。


 キィン!


 双剣が激しくぶつかる金属音が路地裏に響いた。


「……なるほど。悪くないわ。反応も勘も、ちゃんと“型”があるわね。見よう見まねの素人じゃない、基礎が入ってる」


 双剣を腰に戻し、橙髪の女性はにやりと笑う。


「しかもその剣、普通のじゃない。……あれ、武具精霊よね? ずっと腰に差してたってことは、常時召喚してるってわけね。……リリア姉さん、どう思う?」


 その言葉は誰に向けたものでもなく、まるで自分の中で確かめるように呟かれていた。

 “リリア”と呼ばれた紫髪の女性が、静かに頷く。


「常時召喚……それだけでも相当な負担のはずだけど……この子、魔力の質が普通じゃないわ。全身に均等に巡っていて、ミレイアの動きを受けたあとも、魔力の流れが一切乱れていなかった……これは、当たりかもしれないわね」


「二人とも、恩人に対して失礼ですよ!」


 アイリスが声を荒げる。


「ごめんごめん。でも、アイリス。恩人かどうかを除いて見たとき──彼のこと、どう思う?」


「……ごめんなさい。はっきりとは見えません。ただ、彼のまわりに“八体の何か”が彼を守るように遮ってる……そんなふうに、視えます」


「八体……つまり、それだけの精霊と契約してる可能性があるってことね。これは面白くなってきたわ」


 三人の美しい姉妹が、同時に俺を振り返る。

 その瞳が、真っすぐに俺を射抜いた。


「──アイリス!」


 路地の向こう、大通りの方から男の声が響く。


「お父様!」


 アイリスがその声に反応し、駆け出す。


 姿を現したのは、橙色の髪を後ろで束ねた壮年の男性。

 武人のような鋭さと、父親としての温かさを備えた人物だった。


「ああ、無事だったんだな……よかった」


 男はアイリスをしっかりと抱きしめる。


「父上」


 リリアが進み出て、毅然とした声で言う。


「この人を、私たちの家に迎えるべきだと思います」


「……どういうことだい?」


 男は目を丸くして娘たちを見つめる。


「彼が暴漢たちからアイリスを助けてくれました」


 一歩前に出たのは、長女のリリアだった。

 落ち着いた声音には、明確な確信と、相手の力量を見極めたうえでの評価がにじんでいる。

 男爵──ガーランドの眉がわずかに動き、その視線が三人の娘たちへと向けられた。


「ほう? ミレイアも、アイリスも……同じ意見か?」


 問いかけに、次女のミレイアが肩をすくめながら笑う。


「私は異論ないわ。少なくとも──あの剣の腕は、年相応なんてものじゃない。

 私と剣を交えられる実力を持ってるわ」


 そこで少し言葉を切り、視線を剣に向ける。


「それに……あの精霊、ただの武具精霊じゃない気がするのよね。ううん、きっと違う。──面白いわね、あの子。逸材よ」


 その目には、戦士としての直感に裏付けられた興味と、どこか試したいという好奇心が宿っていた。


 続いて、三女のアイリスが小さくうなずきながら口を開いた。


「わたしも賛成です。……彼は、私を助けてくれたんです。あの場に、誰よりも早く現れて、私を守ってくれました……」


 震えの残る声でそう告げるアイリスの言葉には、恩義と感謝がしっかりと込められていた。

 娘たちがうなずくのを確認してから、男爵の目が俺に向く。


「……なるほど、君が。……名は?」


「レインス・ラズネ……いえ。ただの、レインスです」


 一瞬、男の表情にかすかな動きが走ったが、すぐに納得したように頷いた。


「そうか。私はガーランド・レッドグレイヴ。レッドグレイヴ男爵家の当主だ。君には礼をしなければならない。もしよければ──うちに来ないか。そちらのメイド殿も一緒に」


 突然の申し出に、俺はロノアの方を見る。


 ロノアは、静かに、穏やかに微笑み、そっと頷いた。


 俺たちは行く当てがないのだ……だったら。


「……分かりました。お世話になります」


 ──こうして俺は、“最凶の三姉妹”と呼ばれる姉妹のいる、レッドグレイヴ男爵家に迎えられることとなった。

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