4
杏奈は穏やかそうな老婦人を使って、なんなく東改札をすり抜けた。そのまま幅の広い階段を上がり、地上の広場に出る。
春風が強い。
夜でもこの街は明るい。
おおきなネオンの広告塔や高層ビルの看板が、遥か上から人々を照らしているからだ。
新宿通りを渡る信号は赤だった。
足を止めた杏奈の横にサラリーマン風の男が近づいてきて、小声で言った。
「かわいいね、時間ある? 食事とかどう?」
こそこそとした態度が杏奈の癇に障った。わざと周りに聞こえるよう元気よく応える。
「私、小学生なんですけど」
「……え、大人っぽいなあ。ごめんね、気をつけてね」
信号が青に変わった。
周囲の冷たい視線を浴びた男は、横断歩道を逃げるように渡っていく。その背中に心のなかで「ばーか」と毒づいていると、横断歩道の向こう側から、だれかが杏奈に手を振った。
見ると、知った顔が六、七人で輪になり、ガードレールに座ったり寄りかかったりしている。
杏奈は急いで大通りを渡り、仲間たちに加わった。
「期間限定だって」赤い髪の少女が、カフェの透明なカップを差し出す。「面白い顔して逃げてったねぇ。アン、十二歳って言ったの?」
少し溶けた苺のフラペチーノを一口もらって、杏奈は応えた。
「小学生ですって言ったら『気をつけてね』だって。中学の入学式まだだから嘘じゃないしさ」
仲間たちは声を上げて笑った。
「『気をつけてね』? お前が言うなって言ってやれ」
「アンが中学生かぁ。早いなぁ」
場が盛りあがるなか、ひとり真剣な顔で携帯を弄っていた少年が、ヘッドホンをずらして杏奈を見た。
「ね、アンの親の整体院って――あの西武新宿の向かいにあるビルだよね? 二階?」
「そう」杏奈がうなずくと彼は続けた。
「……なんか、警察、来てるっぽい」
一階のコンビニでバイトしてる先輩がいて、と少年がつけ足した。冗談を言うような子ではないし、出どころもはっきりしている。
周りは一気に騒がしくなった。
「お父さん、なんかやっちゃった?」「アンが煙草吸ってるから?」「ばか、そんなんで警察来るかよ」
無責任な言葉。
困ったような視線。
どうせ当事者じゃないくせに。杏奈は、苛立ちをぶつけるように走り出した。
靖国通りを横切り、マックの角を曲がる。喉の奥で鉄みたいな味がした。リュックから携帯を取り出し、父にかけたが繋がらない。
顔見知りのスカウトマンから「お父さんの――」と声をかけられ、「知ってる!」と短く返す。
酔っぱらいの集団や観光客のスーツケースを避けながら、杏奈は懸命に夜の街を走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます