仮面の焔──幽界ネットの復讐者

和智

第1話 プロローグ

 青い粒々の光が溢れる実験室のなかで、僕の思考は泳いでいた。


神崎かんざきくん、素晴らしい。これは本当に素晴らしい」


 耳のあたりで揺れる声など、もうとっくに聞こえていなかった。目の前にひろがるのは、僕が作り上げた理想郷。青く透き通った空、緑めく森、そして光のならぶ街。そこでは人が笑いながら行き交い、かなしみも争いも貧しさもない。


「神崎くん?」


 視界のはしっこで誰かがよぶ。その声の主を見もせず、僕はVR世界の詳細調整を続けた。指をひとつ動かせば建物がうねうねと変形し、もうひとつ動かせば輪郭がびりびりとして柔らかい線となる。コードを書くように、世界を書き換えていく。


「神崎悠翔ゆうとくん!」


 ばちんと、現実世界への強制帰還。VRヘッドセットを外すと、目の前には上司の榊原誠司さかきばらせいじが立っている。年齢35歳。白い実験着のしたからのぞく黒いスーツがどこかおかしい。いつも優しげな表情と安らかな声で部下を導く良き上司という建前と、氷のように冷たい瞳との間のずれ。


「あ、すみません。没頭してました」

 僕はあわてて椅子から立ち上がる。

 背後のモニターには複雑なコードと三次元マッピングが映っている。国家VR研究所の最先端技術が詰まったデータの数々。みんなの夢見る未来を”本当”にするための、僕のすべて。


 榊原さんは笑う。

「没頭するのは素晴らしいことだ。君の才能があるからこそのプロジェクトだからね」

 その笑顔のしたに隠れているものが何なのか、最近は分からない。まるでこの社会全体が薄いガラス板のような嘘でできているとおもう違和感。データは嘘をつかないけれど、人間はいつだって嘘をつく。そのずれが、胸をちくちくと刺していた。


「そろそろ彼女も来るよ。インタビューの準備はいいかな?」

 彼女――白鳥凜華しらとりりんかのことだ。人気キャスター。そして僕の恋人。

「はい、大丈夫です」

 窓からさしこむ夕方の光は、やわらかく赤く都会のビルを塗りあげる。終わりと始まりの狭間の時間。

 実験室を見まわすと、同僚たちはもう帰り支度をはじめていた。静かになった部屋の片隅で、ひとりの男が僕を見ていることに気がついた。見たことのない顔。目が合った瞬間、男はこくりと頭を下げて立ち去った。


 机に戻ると、見知らぬメモが置かれていた。

幽界かくりよ

 たったその一言と、下にはQRコード。誰が置いたのか。何のためのコードなのか。


 凜華が来る前に、念のためシステムログを確認した。すると、普段なら見逃してしまうような小さな痕跡が。不正アクセスの形跡。誰かがデータを盗み見たあとがあった。心臓がはげしく拍を打ちはじめる。


「悠翔、お待たせ」

 振り向くと、そこには凜華が立っていた。カメラマンを従えて。完璧な笑顔で。

「取材、よろしくね」

 彼女の顔に一瞬よぎった表情。それは何だったのだろう。後悔、不安。それとも――。

「もちろん。今日はよろしく」

 そう答える僕の声は、耳のなかでからからと渇いて聞こえた。


 研究所のガラス窓に映る自分の姿。22歳。天才プログラマーと評されることもある若者。未来を信じ、技術の可能性を信じている。けれど、いまの僕には分からないことがある。

 この違和感の正体が何なのか。 そして、これから失うものの大きさも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る