夜の公園にて艶なき密会

 差出人の名前に真赭穂叢の文字を見た流殞は露骨に嫌悪感をその顔に表した。


 なぜここにいることが穂叢にわかったのか、そう考えてから、陽輝には帰着を伝えていたことを思い出した。


 陽輝は前年大将に昇進したものの、高等参事官、常任理事以外の役職にはついておらず、換言すれば、今は都で飼い殺しの日々を送っているとのことだ。まもなく始まるであろう戦役の総司令官に任じられるのではともっぱらの噂である。


 その陽輝が流殞と穂叢の密会を許したとでも言うのだろうか。


「余計なことをしてくれる」


 苦々しく思いつつも、穂叢の要請を断れば、陽輝に伝わるのは明白であり、今度は彼自身が出てくるだろう。陽輝が望めば、流殞としても断ることが難しい。


 帰ってきてから、なぜか陽輝は流殞と穂叢の仲を取り持たせようとしている。迷惑で仕方がないのだが、陽輝の善意を無下にするのも心苦しい。


 どうせ最後には必ず会うことになるのだ。それまでおとなしくしていればよいものを。そう苦々しく思いつつも、流殞はすべての予定をキャンセルして、三条恩賜公園に向かうことにした。


「黒依、いるか?」


「はい、お側に」


「源吾さんに三条恩賜公園に『結界』を張るよう伝えてくれ。やつと密会している現場なんて、見られたくないからな」


「はい、直ちに」


 戻ってから、黒依はずっとこの調子で従順なのだが、正直、薄気味悪くて仕方がない。不愉快な無駄口も減ったが、同時に口数も劇的に少なくなった。黒依から語りかけてくることは滅多になく、それでいて呼びかければ即座に反応する。


 失点を挽回しようとしているのかもしれないが、他にもっとやりようがあるとは思うのだ。もっとも、流殞とて、その方法はわからないのだが。


 ただ、多少人間らしい反応が返ってくることが救いと言えなくもない。先ほど、電報の差出人を見て、かすかに眉をしかめたのを、流殞は見逃さなかった。


 流殞は結界が張り終わったとの報告を待たず、自家用車に乗り込んだ。流殞自身が運転することは滅多にない。というのも、この世界の車はすべてマニュアル車であり、クラッチは硬く、ハンドルは重いので、早々に無理だと諦めたのだ。


 運転手は月岡衆なので、行き先を告げることをしなくても、勝手に目的地に向かってくれる。


 流殞は懐中時計を取り出し、時刻を確認する。すでに七時半を回っていた。六条の本社から三条の恩賜公園までほぼ都を横断することになり、穂叢がしていた「ゴ8」、すなわち「午後八時」には到底間に合わないが、それもこちらの都合を考えなかった穂叢に全責任がある。


 多少待たせたところで、用があるのは向こうなのだから、待っているほかないだろう。もし、時間通りに来ないことで帰ったのなら、それも好都合。むしろ、帰ってくれていたほうが不快な面を拝まなくてすむというものだ。


 だが、流殞の祈りは天に届かなかったようだ。恩賜公園に着いたとき、入り口から穂叢の存在を認めて、流殞は大きく舌打ちした。


 穂叢もこちらを認識したようで、小さく頭を下げてきた。今更逃げるのも負けを認めたような気がして、癪なので、流殞はやむなく公園に足を踏み入れた。


 かつては離宮があったからか、公園の中央には船が浮かべられるほどの大きな池があり、休日の昼間などは家族がボートを漕ぎに来る光景がよく見受けられる。


 今の時間、いつもなら多少の人がいるはずだが、今日に限って、穂叢以外人っ子一人見当たらないのは、月岡衆の結界によるものだ。


 どういう仕組みなのかは流殞は未だ知らないが、結界を張った場所は他者に認識できなくなる、もしくは誤認させるのだという。


 流殞は早く終わらせたいと言いたげに大股で穂叢に近づいた。穂叢はさらに頭を下げ、足労を煩わせたことを謝した。


「急なお呼び立て、誠に申し訳ございま……」


「挨拶は結構です。用件だけを手短に、かつ、簡潔にお願いします」


 流殞は声に不機嫌さを滲ませながら、穂叢の言葉に自分のそれをかぶせた。穂叢を見る流殞の瞳はどこまでも冷たい。


 久方ぶりに相まみえたというのに、この仕打ちはあんまりだと言いたげに、穂叢の両目には涙がたまっていき、口は固く引き結ばれ、口角は逆につり下がっていく。泣いてしまえば楽だったが、それでは流殞は何のためらいもなく帰ってしまうだろう。


 それがわかるだけに流殞を憎たらしく思う気持ちが沸き起こるも、目的を達する前に逃げられては元も子もない。穂叢は全力で涙を止めると、改めて流殞に対した。


「此度の大戦、あなた様のお力で止めていただきたいのです。こんなことをお願いできる筋ではありませんが、どうか伏してお願い申し上げます」


「何をおっしゃっているのか、わたしにはわかりかねます。わたしにそのような力はありませんし、たとえあったとしても、その力を行使する気にはなれませんね」


「な、なぜでございますか?」


「陽輝様の足を引っ張ることになるからですよ。今度の戦は陽輝様が総指揮を執られることになるでしょう。その機会をわたしが奪ったとなれば、陽輝様自身がお許しになったとしても、世間はわたしを許さないでしょうね。わたしの過去の失敗を持ち出して、やつは英雄に嫉妬して、足を引っ張ったのだと、また罵りの言葉をぶつけられることになるでしょう。姫巫女様はまたわたしに非難の矢面に立てとおっしゃいますか?」


「いいえ! わたしは何もそのようなことを申し上げたわけではありません! ですが、今度は、今度こそ、わたしは最後まであなた様のお味方をすると誓います!」


 せっかくの宣誓だったが、流殞は鼻で笑った。今更虫が良すぎよう。どこまで面が厚いのか、穂叢の顔の皮を剥いで、実際に計測してみたいくらいだ。それはできないので、流殞は言葉の刃で穂叢を傷つけることにした。


「わたしを捨てて、一人大社に逃げ帰った方の言葉を信じろと?」


「あ、あれは大社のものが勝手にわたしを連れ去って……」


「あなた方の都合などわたしには関係ありませんよ。あなたが責任を放棄して、わたしがただ一人取り残された。その事実があるのみです。先帝陛下がわたしを隠してくれなかったら、側溝で野垂れ死んでいたでしょうね」


「……確かにおっしゃるとおりです。返す言葉もございません。ですが、恥を忍んで、あなた様に頼るほかないのです。此度の戦が始まってしまえば、多くの犠牲が出ましょう。晦人と呼ばれる人たちとも話し合うことができるはずです。ですから、お願いします。どうか、あなた様のお力をお貸しください」


「お断りします」


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