南征の途
年が明けて、天祥二年一月八日、新地統皇晃仁の即位の礼が盛大に行われた。
民には酒と菓子が配られ、さながら祭りのような賑やかさだったが、どこか精彩を欠くのは晃仁が出した初勅にあった。
「詔す。
要約すれば、晦人を追い払って、富前、富後の両州を取り戻せという意味である。その初勅を聞いた民衆の顔は悲観と楽観の間で揺れ動いていた。
悲観というのは十年前の惨事を覚えていることであり、楽観は二人目の齋送者である陽輝が対晦人戦において、常勝無敗を誇り、名将の資質を開花させてきていることだ。十年前とは明らかに異なる状況なので、若干期待が不安に勝るといったところだろうか。
民の顔が悲喜こもごもの反面、流殞はいたって平静に受け入れた。流殞の予想は正鵠を射ていたわけだが、別段、何の喜びもわかない。多少政治の世界に関わっていれば、大地を鉄槌で叩くほど確かな結論以外導き出せないからだ。
しかし、タイムスケジュールは流殞の想定とはやや異なった。出征の時期が夏から秋へと変わったのだ。というのも、富前、富後の気候は熱帯に属し、夏の盛りに戦うのは不適とされたからである。
「ああ、そういや……」
流殞も思い当たる節がなくもない。十年前の大遠征も目的は富前、富後の奪還だったからだ。当時のことは無我夢中だったので、よくは覚えてはいないが、とかく暑かったことだけは印象に残っている。
今思えば、ずいぶんと無茶な軍事計画だったし、その総大将に任じられたのも、失敗するとわかっていたから、責任を回避するものだったのではないかと勘ぐりたくもなる。
だとすれば、不快極まりないが、今更当時のことを訴えても、聞く耳を持つどころか、鼻で笑われるだけだ。だからこそ、力をつけなければならない。首根っこを掴んで、強引に顔をこちらに向けさせ、決して目をそらすことができないように。
ともあれ、今回は前回の二の舞にならぬよう軍の念の入れようは尋常ではない。さすがに二度目の失敗ともなれば、軍の威信にも関わるし、前回は全責任を流殞に押しつけ、自らの罪から逃れたものも今度ばかりは免れないことは疑いない。
臆病にも見えるほど慎重な姿勢がもたらした猶予は、同じように失敗することが許されない陽輝率いる砲兵師団には朗報と言えたかもしれない。その分、訓練に費やすことができるからだ。弾薬が不足している中で、陽輝はどんな状況からでも砲撃できるように日夜励んでいるらしい。
出征が決まってから、全く会いに来なくなったので、陽輝の陣中見舞いのため、流殞は郊外にある砲兵訓練所まで自ら足を運んだ。
指揮を執る陽輝と次第に心を開き、従順になっていく兵士たちを見て、流殞は胸に小さな針で刺されたかのような痛みを覚えた。
流殞は自らを持たざるものと規定して、他者の才能を妬むようなことはなかったが、生き生きとしている陽輝には多少の嫉妬心を抱いたからだ。
この世界で生きがいを見いだすことができず、暗い情念に従って生きるだけの悪鬼と成り下がった流殞には今の陽輝の姿はあまりにも眩しすぎた。
そんな流殞の横顔を気遣わしく見つめるものがいた。
偶然、同日に観戦に来ていた穂叢である。何度か声をかけようとして、その都度押し黙ってしまうのは、流殞があまりにも露骨に無視を決め込んだからだ。穂叢が傍にいることはわかっているはずなのに、声をかけるどころか、顔すら向けようとしない。
さすがにこの状態でこちらから声をかけるのは負けなのではないかという、自分でもよくわからない対抗心で穂叢もまた口を閉ざしてしまう。
この後、穂叢はひどく落ち込んだのだが、それは意外なほど長く尾を引いた。なぜなら、この日から一年ほど流殞と会う機会がなかったからである。
流殞としても穂叢に会う時間など作れるはずもなかった。何しろ、傘下企業に命じて、砲門と砲弾の作成、および火薬の増産と、やるべきことはいくらでもあったからである。流殞自ら陣頭指揮を執り、なんとか間に合わせたという次第である。
出征日は九月二十八日と定まった。
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