第11話 怪我と『例のもの』
私たちは『勝ちたいと思う』野球部だ。この一戦を勝てば、再び神戸光陽と戦うことができる。
「いくぞ、皆!」
「おう!」
私はキャプテンだ。このチームで数少ない、中学時代に野球をできていた選手だ。
春の大会の予選二回戦。
七回裏。
一点ビハインドで二死。
三塁走者は私で、打席に五番くるみがいる。
すぐにホームに突っ込めるようにリードし、くるみが打つのを待つ。しかし、なかなかタイミングが合わない。私がレフト後方に飛ばしたスライダーを、くるみは打つことができていない。
ツーストライクに追い込まれ、もう駄目かと、仲間相手に思いたくないのに。
そこで、キャッチャーが弾いた。私は走る。
思ったよりキャッチャーの反応がいい。すぐに戻ってくる。でも、体を捻ってねじ込めば!
審判がセーフと告げ、ほっとした途端、右脚に違和感があった。でも、サードの位置に行かないと。
「選手交代、くるみがサードだ」
くるみが慌ててグラブを持つ。
「頼」
本田監督が私を呼ぶ。
「はい」
「右脚を見せて」
「嫌です」
別に、こんなのはどうってことない。私があそこで走らなかったら、延長さえできなかったと、本気で思ってしまうのが嫌だ。キャプテンがこんなのじゃ駄目だろう。そんなことを思わないキャプテンになるには、試合に再び出て、似たような状況になるしかないんだと思う。
「病院に行かないと駄目だ」
現役時代のように怖い顔をした監督に、頷くしかなかった。
結局、延長八回であっさりと私たちは負けた。
一年生が一二塁間を抜けるヒットを打つのを私はベンチから見ている。
第一期生である私たち二年生に後輩ができた。新入部員は十三人だ。二年生と一年生を混ぜた紅白戦をしているが、私は見ているだけだ。
右脚は、大事をとって検査したところ、怪我していると分かった。
皆が楽しそうに紅白戦をしている。それをただ、見ている。
穂乃果のキャッチャーミットにいい音を立てた一年生は東真里奈といい、シニアで練習していた子らしい。サードに立つ藤崎美和は軟式野球部。女子だけの部活に喜んでいる子たちを見て、いつのまにか今の環境を当たり前だと感じていた自分に気づいた。
紅白戦が終わった。積極的に片付けをしてくれた一年生のおかげで今までより早くミーティングが始まった。
「合計二十四人だから全員ベンチ入りだ。練習試合では全員使うつもりだから、頑張ってくれ」
はい! と一年生たちが本当に嬉しそうにする。それはそうだよね。今まで野球をやっていてもほとんど試合に出られなかった子もいるんだから。三人の一年生が本田監督にたくさん話しかけている。カナコ選手に憧れる子も私だけではなくなったようだ。一番積極的なのは、ピッチャーの真里奈だ。
下宿に帰ると、大皿のピラフを自分の小皿に取り分けている伊織が渋い顔をしていた。
パグみたいに眉間に皺を寄せている。この顔は前も見たぞ。
「どうしたの?」
「エースを取られた」
「いや、まだ決まってないでしょうよ」
「だってさあ!」
伊織が麦茶をぐびっと飲み干し、テーブルにプラスチックのコップを勢いよく置いた。
「真里奈のあのカーブ見た? ゾーンの際にびたびたでしょ? やっぱり本物には敵いませんよ」
鈴音と桃がまあまあ落ち着いてと笑っているが、私には引っかかることがあり、笑えなかった。言おうかどうか考えているうちに、大皿のピラフが空になった。だけどその時、言うと決めた。
「本物かどうかはきっと、後になって分かるものだよ」
やけになり、麦茶を飲みまくっていた伊織が、コップを置いた。
「本田監督が言ってたんだよ。才能があるかどうかは後から分かるって」
伊織の眉間の皺が薄くなった。
「頼はその話をいつ聞いたの? 私は聞き覚えがない」
周りも頷く。
本田監督に才能が無いと言った日のことを皆に話すと、それぞれ違う表情になった。くるみは考え込むような顔をしたし、和香はうんうんと頷いていた。
「頼でも才能が無いと思う日があるんだ」
予想外の受け取りかたをしたのは桃だ。
「本田監督はいろんな人を見てきたんだろうなあ」
鈴音は本田監督の月日に思いを馳せた。
「つまり、続けてみろってことね」
肝心の伊織はさくっとシンプルに受け取ったようだった。
「よーし分かった。とりあえず引退まで頑張るよ」
私はとても感動した言葉なのに、伊織はあっさりしている。だけど眉間の皺は取れてポメラニアンに戻った。まあ、それでオッケーだね。同じチームなのにこういうところはバラバラなんだ。もっといろんな話をして皆の意見を聞いてみたいな。
一年生も少し慣れてきた頃、次の練習試合は五月だと伝えられた。相手は甘広シニア。中学生男子たちだ。高校生女子は中学生男子を相手に練習することがある。一年生に甘広シニア出身の小野紗良がいて、その縁で本田監督とシニアの監督の話が纏まったらしい。
練習前に一年生たちから質問カードを回収する。十三人から十枚預かった。残り三人は昨日カードを出した子だ。彼女たちはやる気があって、将来が楽しみ。私も一歳しか違わないけど。
「あの、頼さん」
先輩を名前で呼ぶようにと一年生に指示したのは、二年生全員で決めたことだ。
「どうした?」
紗良は緊張している。鈴音たちに頼はでかいからびびられていると言われ、冗談だと思っていたけど、どうなんだろう。
「鈴音さんって怖い人ですか?」
「え?」
私と違って小さいし、怖いと思う要素があるだろうか。
「あまり喋ってくれなくて」
ようやくぴんときた。
「緊張してるんだよ」
紗良は信じられないといった顔をするが、本当だ。
「鈴音がどうしたの?」
「私、セカンドだけどシニアで全然試合に出られなかったから、ショートの鈴音さんと一緒に練習したいんです」
「分かった。私から鈴音に言っておく」
紗良はぱっと明るい顔になった。後輩って可愛いな。
「よかった。私、シニアのときに試合に出られなくてボールボーイとかだったから。後輩と戦うのに凄く緊張してて」
「そうだったんだね。でも大丈夫。鈴音もシニアの時にほとんど公式戦に出てなかったけど、あんなにうまくなったんだよ」
またしても紗良が明るい顔になる。一歳しか違わないのにこの可愛さは一体なんだ。
二年生の教室を出ると、一年生三人が廊下で待ってくれていた。
「質問カードってどう書けばいいんですか?」
「ああ、これはね……」
一年生たちは熱心で、私の言葉一つ一つを飲み込むように聞いてくれた。
「ありがとうございました!」
一年生が大きく頭を下げて、急いでグラウンドに向かった。
私は部活中にボール磨きや、相手校のデータ解析をする。皆が思い切り素振りをしているのを見て、ため息が出る。いいな、私もやりたいな。
六月、男子の野球部の全校応援に行った。
「男子はいいよな。全校でさ」
伊織がパグの顔で腐っている。
「まあねえ」
競技人口の違いってやつだ。浩太も今頃、和歌山で試合をしているだろうな。
グラウンドを全校で見下ろしている。ぐるりと見られるのはどんな気持ちなんだろうな。まあ、試合中だからそんなに気にならないのかな。
「もっと声出してー!」
野球部の一年生らしき坊主の子が、メガホン片手に応援を指導してきた。
「一年が駆り出されてますねえ」
伊織がそう言って笑う。
応援団と、スタンドの野球部が全力で応援しているのは、やはり羨ましいな。野球部内の応援団長がダイナミックに太鼓を叩く。
自分が試合に出られなくても、仲間のために全力でやっている。
「ねえ、やっぱ応援あると嬉しい?」
「当たり前でしょ!」
伊織が応援の中でも聞こえるでかい声で言った。
美術室は絵の具と油の混じったなんとも言えない匂いがして、あまり得意ではない。
「先生、いいですか?」
「ああ。いいよ」
普段はあまり練習に顔を出さないが、私の話を聞くと顧問の田中先生はすぐに頷いてくれた。それどころか、面白そうにいいねと言ってくれた。
大きな、私の身長の半分はある四角い厚紙。それが二枚。何色にしようか、絵の具を並べて考える。
『例のもの』を部室に置くため、朝早くグラウンドについたら、たった一人で自主練をするくるみがいた。
「くるみ、やってるね!」
「あ! 頼は練習しちゃ駄目でしょ?」
「違う違う」
早速心配されて、笑うしかない。くるみも笑う。
「頼も怪我する前は朝から練習してたでしょ?」
「うん」
いつの間にか気づかれていたんだな。
「そのときは、私はそこまでできないと思っていたけどさ、今はね。やらないとね」
指名打者のくるみは私が怪我をするまでは五番だったけど、今は四番だ。疲れのため息か、他のものなのか分からないが、くるみがため息をついて肩の力を抜いた。
「打順が一つ上がっただけでこの重圧だよ」
「くるみは頑張ってるよ」
彼女が疲れた笑顔で頷いた。私も復帰したらこのくらい練習しないとな。
お医者さんが膝の怪我は治れば元通りに動けるようになると言っていた。選手生命には関係ないと。だけど練習をしていないというのが問題なのだ。野球は一日休んでも鈍る。それが三か月だ。
私は部室に『例のもの』を隠して置いて、一限の授業に向かった。
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