第14話:想い

気がつくと、僕はあの日の神社にいた。苔むした石段。かすかに揺れる絵馬。あの日と、何も変わらない景色。


夢だったのかもしれない。でも、ポケットに手を入れたとき、指先に硬いものが触れた。取り出してみると、そこには小さな短刀の飾りがあった。確かに、久志が持っていたものと同じ、あの短刀の意匠だった。


(……まさか。)


頭の中で、いくつもの断片がつながっていく。


――久志の顔。

――あのときの銃創。

――名前を尋ねられたときのこと。


でもまだ、確信がもてなかった。


現代に戻ってしばらくして、僕は祖父の遺品を整理していた。引き出しの奥から、見覚えのある短刀が出てきた。同じ模様。同じ色。そして、その刃に、小さく名前が刻まれていた。


「藤倉 久志」


手が震えた。

やっぱり、あのとき出会った少年は――僕の祖父だったんだ。


ふと、祖父の遺した古い日記を見つけた。そこには、こんな一文が残されていた。


『親友の名前を、一生忘れないように。いつか授かった命には、彼の名前を刻みたい。蒼く澄んだ空のような心を持った彼に――。』


ページの端に、走り書きのように名前があった。


『蒼真』


涙があふれた。

祖父は、僕を「蒼真」と名づけた。あの満州の地で出会った、あの瞬間を、忘れずに胸に抱いていたんだ。


――僕は、ひとりじゃなかったんだ。


空を見上げると、雲の切れ間から柔らかな光が差し込んでいた。どこかで、あのまっすぐな瞳が、今も僕を見守っている気がした。




次の日の朝。

教室のドアを開ける。ざわめきが、前より少しだけやわらかく耳に届いた。

ためらいながらも、僕は自分から歩き出す。

一番近くの席の子に、そっと声をかけた。


「おはよう。」

一瞬の驚きのあと、返ってきた「おはよう」の声。それだけで、胸がふわっと温かくなる。

授業中、先生にあてられても、声は震えなかった。昼休みも、本を読むだけじゃない。誰かと目が合えば、小さく笑ってみる。それだけで、少しずつ、何かが変わり始めた気がした。


家に帰ると、母が台所で料理をしていた。今までは、気まずくて声をかけることもなかったけれど。


「……ただいま。」


小さな声で言うと、母は一瞬手を止め、ふっと微笑んだ。


「おかえり。」


たったそれだけなのに、涙が出そうだった。


夕方、父が庭で黙々と草取りをしている。思いきって、声をかけた。 


「手伝うよ。」


父は少し驚いた顔をしてから、無言で軍手をひとつ投げてよこした。それを受け取り、並んで雑草を抜く。何も言わなくても、ちゃんと伝わる気がした。


夜、ベッドに寝転び、胸ポケットから小さな短刀のお守りを取り出す。


久志――


君がくれた勇気が、今、ここにある。

目を閉じると、遠い満州の空気がまだ胸に残っている気がする。

あのとき、君が名前の意味を聞いてくれたことを思い出す。


“そうま”。

「蒼」は、澄んだ空の色。

「真」は、まっすぐな心。



(ちゃんと、生きるよ。)


手のひらの中にある小さな短刀が、あたたかく光った気がした。

外の夜空には、無数の星が瞬いていた。未来はまだ遠く、まだ怖い。だけど、もう、うつむかない。




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