第6話:冬の生活
朝になると、乾いた冷たい風が隙間から吹き込んできて、僕は寒さに目を覚ました。体を丸めながらうっすら目を開けると、隣で久志が何かをゴソゴソと準備している。
「起きたか、蒼真!」
ぱん、と久志が手を叩いて僕を見た。
「行くぞ。働き口、探しに。」
「……働き口?」
寝ぼけた頭で繰り返すと、久志はにっと笑った。
「いつまでもしょげてるわけにはいかねえだろ。食っていくためには、どっかで働かなきゃならねぇ。」
当然だろ?と言わんばかりの顔。
「子どもでもできる仕事、探せばあるさ。畑でも、雑用でも、なんでもいい。」
着ているものをパンパンとはたいて、久志は立ち上がった。僕はぼんやりとその背中を見上げる。
(働く……)
日本にいたとき、そんなこと、考えたこともなかった。 ただ学校へ行って、ただ時間をやりすごしていた。
でも、ここでは――生きるために、動かなきゃいけない。
「……うん」
少しだけ、喉を鳴らして答える。
久志はにかっと笑って、僕に手を差し出した。
「行こうぜ、蒼真。」
その手を、そっと握り返す。土の匂いのする朝、二人で歩き出した。
乾いた道を、靴の裏で砂を蹴りながら歩く。
「蒼真はどんな暮らししてた? どこに住んでたんだ?」
一瞬、答えに詰まる。この世界に“未来”のことを話してもいいのか。でも、嘘をつくのはもっと嫌だった。
「……普通の町。学校に行って、家に帰って……あとは、本を読んだりしてた。」
「ふうん。勉強、好きだったのか?」
「勉強っていうより……現実から逃げるためかな。」
小さな声で答えると、久志は「そっか」と短く返した。それ以上、深くは聞いてこない。ただ、同じ歩幅で隣を歩き続けてくれる。
乾いた土の匂いの中、二人の影が細長く伸びていった。
町に近づくと、土の匂いに混じって、人や家畜のにおい、石炭を燃やす煙のにおいが鼻をついた。
瓦屋根の家が立ち並び、道端では行商人たちが野菜や魚を売っていた。馬車が軋む音、子どもたちの笑い声、耳慣れない中国語と日本語が入り混じった喧騒――。活気にあふれているのに、どこか殺伐とした空気が漂っている。
(ここが・・満州・・・。)
僕が立ち止まって見回していると、久志が振り返った。
「こっちだ。あんまりうろうろしてると、怪しまれるぞ。」
そう言って、町外れの方へ僕を促した。
久志に案内され、町の外れにある小さな豆腐屋にたどり着いた。木造の古い建物の軒先からは、湯気がもうもうと立ちのぼっている。店の裏手には井戸と水場があり、桶を手にした男たちが忙しなく行き交っていた。
「おーい、おっちゃん! 今日は人、足りてるか?」
久志が声をかけると、奥から腹巻きをした中年の男が顔を出した。
「おう、久志か。おまえの顔を見ると、なんだかんだで助かるんだよな。……で、そっちは?」
「ちょっと困っててな。真面目に働けるやつだよ。力はないけど、手先は器用かもしれない。」
男は蒼真をじろりと見てから、ふうんと鼻を鳴らした。
「使いもんになるかはわからんが、今は洗い場が足りてねえ。水が冷たいけど、やってみるか?」
「……やります」
思わず自分でも驚くほどはっきりと声が出た。久志が、にっと笑う。
――冷たい井戸水が、指先を刺すようだった。桶の中に沈められた木の型や布を、ひとつひとつ、丁寧に洗っていく。指がかじかんで動かなくなりそうになっても、やめなかった。
久志は店の奥で、大豆を潰すのを手伝っていた。時折こちらをちらりと見ては、目で「大丈夫か」と問いかけてくる。
水音と、鼻を突く大豆の匂い。冷たい空気の中に、息遣いだけが熱をもって残っていた。やがて昼時になり、店の人が湯気の立つおからの味噌汁と握り飯を差し出してくれた。
「ありがとな、坊主。寒いのによく頑張ったな。」
その言葉に、胸がじんと熱くなった。必要とされたことが、こんなにもあたたかいなんて思わなかった。
僕は、湯気に顔を寄せながら、そっと「ありがとうございます」と呟いた。
久志が隣に腰を下ろし、握り飯にかぶりつく。
「な、悪くねぇだろ? 働くってのもさ。」
何気ないその言葉に、僕は小さくうなずいた。
冷たい風の吹く町の一角で、確かに僕は、生きていた。
それから、僕は久志と一緒に暮らすことになった。といっても、毎日が必死だった。
朝はまだ暗いうちから起きて、町の雑用を探す。市場の荷物運び、畑の手伝い、炊事場の水汲み。仕事は選べなかった。選べる立場じゃない。
一日の報酬は、わずかばかりの食べ物か、小さな銭だった。それでも、何もないよりはましだった。
町の大人たちはみんな忙しく、余裕がなかった。怒鳴られることもあったし、追い払われることもあった。だけど、久志はへこたれなかった。
「いいか、謝っときゃだいたいなんとかなる。」
そう笑って、肩を叩く。
(強いな……)
心の底から、そう思った。
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