第3話:時の綻び
冷たい風が頬を打ったとき、ようやく息ができた気がした。どこへ行こうかなんて、考えていなかった。ただ自然と、足は動いていた。
気づけば、僕は近所の古びた神社へ向かっていた。
境内は、ひっそりと静まり返っていた。生ぬるい風が吹き、絵馬のひもがかすかに揺れる音だけが耳に届く。石段はひび割れ、木々はうっすらと苔むしていた。
ここは、小さいころ、よくおじいちゃんときていた神社だ。
でも本当に、あの頃おじいちゃんと一緒に来た神社だろうか。風が吹くたびに木の葉がざわめく。だけどその音は、楽しげというより、どこか切なく、寂しげだった。
ひび割れた石段を、重たい足取りで一歩ずつ登っていく。小さい頃、あんなに笑いながら駆け上がった場所なのに。
胸の奥が、ぎゅっと軋む。僕は、こんなにも落ちぶれてしまったんだろうか。
おじいちゃんがいない世界は、まるで高い山の上にいるみたいだった。寒くて、空気が薄くて、息苦しい。
僕には、帰る場所も、居場所もないんだ。それは家族だけじゃない。学校でも、特に親しい友達なんていない。思っていることを口にするのが苦手だったし、誰にも興味が持てなくて、自然と愛想のない奴だと思われた。気がつけば、誰からも話しかけられなくなっていた。
それでいい、と思った。――嘘じゃない。人と関われば、傷つく。だったら最初からひとりでいればいい。安全な場所に、ひとりで。
それでも。胸の奥には、ぽっかりと穴が空いたままだった。何のために生きているのか。これから何をして生きればいいのか。答えなんて、どこにもない。
「……おじいちゃん」
思わず、声に出していた。返事がないのはわかっているのに。唇が震えて、涙が出そうになる。
それでも、声に出さなきゃ、全部壊れてしまいそうだった。
ふと顔を上げると、ふわりと蝶が舞っているのが見えた。ひらひらと、風に乗って、こちらへ近づいてくる。
(蝶……?)
何度もここに来たけれど、蝶なんて見たことがなかった。たまたま気づかなかっただけだろうか。
小さな命に、ぼんやりと視線を向ける。蝶は、まるで僕を誘うように、境内の奥へと飛んでいった。吸い寄せられるように、僕も奥へ奥へと歩く。蝶のあとを追いかけて。
そのときだった。ふわり、と身体が浮いた感覚がした。
目を落とすと、足元には黒い穴が広がっていて――気づいたときには、そこへ吸い込まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます