第36話 レインラック伯爵夫人のペンダント


 メアリー・レインラック伯爵夫人の邸宅はその地位にふさわしく、大きくて立派なものだった。

 規模こそブラックラ家公爵邸の方がずっと大きかったが、内部の装飾はずっと充実している。

 ブラックラ家は借金がありすぎて、美術品や家具が少ないからね。

 屋敷で働いている人の数もずっと多く、活気が感じられた。

 俺についてきたレミィも興味津々といったていで屋敷を見ている。


「ショウタが伯爵夫人とお話している間、俺は屋敷を探検してくるよ」

「いたずらはするんじゃないぞ。レインラック伯爵夫人は姫さまにとって大切な人みたいだからな」

「わかってるって」


 姫さまから話が伝わっていたおかげだろう、丁重に出迎えられた俺は、すぐに居間へと通された。


「まあ、まあ、朝から首を長くしてお待ちしていたのよ。さあ、こちらに入っておかけになって」


 対面したレインラック伯爵夫人はコロコロとした体形で、いかにも優しそうなご婦人だった。


「あなた、お腹は空いていらっしゃる? 美味しい焼き菓子があるの。ぜひ、食べていってね。朝摘みのイチゴもあるわ。レーヌ、イチゴのジャムとクロテッドクリームも持ってきて」


 若い男はいくら飲み食いしても平気だと信じて疑わない、親戚のおばちゃんみたいである。


「どうぞ、おかまいなく」

「遠慮しないでちょうだいね。あなたはパレスが任命したはじめての騎士でしょう? しっかり力をつけてもらわないと!」


 こうして、ちょっとしたお茶会のようなものがはじまってしまった。

 俺としては用をすませて、すぐにおいとまするつもりだったのだが、レインラック伯爵夫人はそうとうな話し好きのようで、姫さまの近況などをあれこれ聞いてくる。


「パレスがビワールを探しに行くと聞いて、私は陛下に歎願したのよ。あの子をそんな目に遭わせないでくださいってね。まあ、陛下も本気で見つかるとは思っていなかったようでしたけど」

「そうなのですか?」

「ええ、半年くらい苦労をさせてから呼び戻す気でいらしたのよ。それなのに、パレスはビワールを見つけてしまって、かえって驚いていらしたわ。それもこれも、あなたのおかげなのでしょう?」

「私はちょっとお手伝いをしただけで……」

「謙遜しなくていいの。パレスからちゃんと聞いていますからね」


 俺の知らないうちに、姫さまはすべてをレインラック伯爵夫人に語ってしまっていたようだ。

 もっとも、このご婦人は姫さまにとっては母親代わりの人らしい。

 姫さまの弟であるアズールさまの学費なんて、すべてレインラック伯爵夫人が立て替えたそうだ。

 他にも様々な援助をしてもらっているとのことだった。

 そんな間柄なら、打ち明け話をしてもおかしくはないか。

 だが、俺と姫さまの関係までは話していないよな?

 二人の間に特別な感情があることを知られるのはまずいと思う。


「パレスにも早いところいい嫁ぎ先を見つけてあげなければいけませんね。父親のことでパレスは苦労をしすぎました。そろそろ自分の幸せを考えなくちゃ」


 夫人の発言は俺をいたたまれない気持ちにさせた。

 俺と姫さまのことを知っていて、牽制するためにこんなことを言うのだろうか?

 それとも、ただ純粋に貴族の母親代わりとしての責務から出た言葉なのか?

 いずれにせよ、レインラック伯爵夫人の眼中に俺はない。

 姫さまを取り巻く社会や身分を考えれば、このようなことを言う人はこれからも増えるのだろう。

 そして、やがては姫さま自身もその選択を受け入れるかもしれない……。

 どうにもやりきれなくなった俺は話題を変えることにした。


「本日はペンダントのことでお話があるとうかがったのですが」

「あらやだ、私ったらすっかり話し込んでしまって」

「どういったペンダントなのか詳しいことを教えてください。そうすればすぐに見つかると思います」


 失われたペンダントはすぐに見つかった。

 ドレッシングルームの引き出しの、二番目の棚の中にしまわれていただけだったのだ。

 高価なものだろうけど、なんの変哲もないペンダントである。

 これが見つからなくて気落ちしていたなんて本当だろうか?

 チラッと見えたけど、レインラック伯爵夫人はもっと素敵なペンダントをたくさん持っていた。

 ペンダントというのはただの口実で、俺という新任の騎士を見定めるために呼ばれたのかもしれない、なんて疑ってしまうほどだった。


「ありがとうございました。これからもパレスのよき相談相手になってあげてね」

「はい……」


 なんとも複雑な気分で俺はレインラック邸を後にするのだった。



 自分と姫さまの今後を考えながら俺は街をぶらついていた。

 沈んだ顔を姫さまに見せれば心配させてしまうだろうし、少し心を落ちつけたかったのだ。

 はて、ここはどこだろう?

 気がつけば、俺は人通りも少ない細い路地に入り込んでいた。

 地図を開いて帰り道を検索するか……。

 通りの端によって画面を開こうとしていたら、黒塗りの馬車がやってきた。

 道が細いので、俺は壁に身を寄せて馬車の通過を待つ。

 ところが、馬車は俺の真横で停止してしったではないか。

 続いて黒いスカーフで鼻と口を隠した四人の男が次々と降りてきた。

 これはやばい!

 こいつらはどう見たって不逞の輩だ。

 目的がなんなのかはわからないが三十六計逃げるに如かずである。

 本能の赴くままに逃げ出そうとした俺だったが、出足が少々遅かったようだ。

 四人の男は素早い身ごなしで俺を取り囲み、馬車へと連れ込みにかかった。


「おい、俺は金なんて持っていないぞ!」

「…………」


 四人の男は無言のまま、なんとか俺を馬車に押し込もうとしている。

 これは誘拐か?

 暴漢たちから殺意は感じられないし、物取りとも違うようだ。

 腰の乗馬鞭に手を伸ばそうとしたが、四人がかりで押さえつけられて身動きが取れなかった。

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