デコとトオル
黒蜥蜴
第1話 初投稿はオレンジの香り
私は料理のレシピを紹介する動画でおやつや夕飯のメニューを決めがち。でもそんな動画ってサイトに山ほど出回ってるよね。普通に検索しても再生回数が多い人気のものばっかり出てくる。MYTUBEでちょっとマイナーな動画を探すときは、スマホ画面の上部に現れる検索補助のタブが重宝するんだ。料理動画メインに見ているからオススメにもそういう動画がよく上がる。『最近投稿された動画』のタブをタップして真新しいものをするするスクロールして1つの動画を見つけた。5日前に投稿された動画らしい。再生回数は30回。動画タイトルは【初夏の香り!ボイルドオレンジケーキ】……サムネイルには黄金色のケーキが一切れ映っている。タップすると、控えめな音量のBGMに溌剌とした女性と落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「はじめまして!デコで〜す!」
「皆さんはじめまして。トオルです」
「ちょっとトオルち堅いよ。リラックス、リラァ〜ックス」
「ということで始まりました『デコとトオルちゃんねる』」
「無視?!」
映像はキッチンのコンロを映している。普通喋っている人を映すのでは?でもIHコンロはピカピカに磨かれていて、少しだけスマホと小さな三脚が反射している。
「デコちゃんがアドリブするからでしょ。僕そういうの苦手なんだって」
「台本なんて書いてられるか!嫌でも慣れてもらいますう〜!えっと、このチャンネルは私たちが料理して、お喋りして、料理を食べるだけの動画をアップしていこうという行き当たりばったりな次第なのですが」
何だかドタバタしている。けれど不思議と嫌な感じはしなかった。二人とも仲が良いことがよく分かる。
「僕たちは今顔出ししてませんが、もしライブ配信とかするようになったらその時は考えます」
「皆さんこれからどうぞよろしく〜!てことで!記念すべき第一回は……じゃじゃん!ボイルドオレンジケーキ!」
サムネイルの明るい色のケーキが思い出される。オレンジをすり下ろしたりするのだろうか?
「知らないケーキなんだけど。ボイルドってことは茹でるから……イギリスのプディングかな。いやでもケーキって言ってるし……オレンジの果汁とかピール入れる感じ?」
「概ね間違っちゃないね!イギリスのケーキです!これはオレンジを丸ごとお鍋で茹でて、タネとヘタ以外全部使っちゃうヘルシーな一品。日本語のレシピ動画が全然ないのでやってみるのだよ」
「オレンジ丸ごとって豪快だなあ。爽やかな香りが夏!って感じじゃない?」
「目にも鮮やかで楽しいの良いよね!ではでは〜!行ってみよ!」
♪«デコとトオル»
というジングルがオレンジを写した静止画と共に流れ、ポップなBGMが一転してジャズ調のピアノに変わる。キッチンに並べられた材料が映し出された映像になった。
「材料こちらです!」
テロップに【直径12cmケーキ型。中くらいのオレンジ2個、砂糖200g、アーモンドプードル200g、卵3個、ベーキングパウダー小さじ2分の1】と表示される。ちょうどうちにもあるケーキ型のサイズだ。
「もう計量してあるんだね。アレルゲンチェックだよ」
「アーモンドプードル使うからナッツアレルギーの方はNGだよ〜!逆に薄力粉とかの小麦粉系は一切使わないのでグルテンフリーだっちゃ!」
「卵アレルギーの人も駄目です。皆さん気を付けてください。バターとかサラダ油も使わないんだね」
「そうそう!砂糖はお好みでてんさい糖やキビ糖に変えてもヨシ!」
キビ糖はちょっぴりカロリーが高いけれど、ミネラルが豊富で栄養価が高いので常備している。何よりほんのり茶色いので塩と間違えることがない。
「一般的なレシピより分量控えめなのこれ?」
「ネットにあるレシピが大きなケーキ型のレシピかカップケーキ型かって感じだったんで調整してみたよ〜ん」
「それでは早速作っていきましょう」
実験的な分量なのか、と人差し指を下唇に当てる。デコちゃんとトオルくんのテンションの差が面白い。デコちゃんは口調がブレブレなのが特に。というかお洒落なジャズのBGMに全く合わないハイテンションである。本当にそのBGMのチョイスで良いのだろうか。
「まずはオレンジをお鍋で茹でま〜す!1時間から2時間くらい!お水はたっぷり、オレンジにかぶる程度だよ!」
「これは時間かかるので前日にやっておきました。冷蔵庫に入れていた茹でオレンジは常温にしてあります。細々した作業をやるよ。アーモンドプードルとベーキングパウダーをふるいに掛けます。目の粗いふるいだと詰まらないのでオススメです」
「卵は白身と黄身を分ける別立てじゃなくて、一緒に泡立てる共立てをしま〜す!電気ケトルにほどほどのお水を入れてスイッチオン!その間にトオルっぴは冷めてるオレンジを切ってヘタとタネを取ってくださ〜い」
「オッケー。ざくざく切っていきましょう」
編集で時間のかかるところはカットされたようだ。ブクブクブク……カチッ!というケトルの音で再び音声が入る。
「お湯が沸いたよ。卵を泡立てるときに湯せんすると泡が綺麗にできるんだよね。沸騰したお湯に冷たい水を混ぜてぬるま湯にしたもので卵を温めます。温度は指を入れてあったかいな〜くらい?まあデコちゃんは目分量でやるって知ってるけど……僕はオレンジをぶんぶんチョッパーでピューレ状になるまでぶんぶんしてるね〜」
「ありがとサンクス!そしたらコイツのターン!ぶい〜んとハンドミキサーで卵をふわふわに泡立てちゃう!コツは最初低速で砂糖を3回に分けて投入〜!よしもこもこしてきた!全体を泡立ててから高速に!きめ細かい泡がいっぱいになったら最後も低速でぐる〜っと混ぜて大きめな泡も作るのぜ」
ここの音声は別撮りなのか、ハンドミキサーの激しい音は無く、泡立てる様子は6回の短い映像で構成されている。カットが上手いな、と感じる。金属のボウルに泡立てた卵が溢れそうなほどふるふるしている。卵泡立てるの楽しいよね。
「不揃いな大きさの泡があると綺麗に膨らむんだっけ?」
「そゆこと!これはテレビでパティシエさんが言ってたからガチよ。はいこんなにふわふわになりました〜!ここでオーブンを180℃に予熱スタート」
「ここにオレンジピューレをだばだば〜っと入れます。シリコンとかのヘラで混ぜてください。無ければプラスチックのしゃもじとかでもオッケー」
「何故かプラの凹凸あるしゃもじって卵のふわふわ潰さないんだよね〜!物によるかもだけど。んでふるっておいたアーモンドプードルとベーキングパウダーを入れてさっくり混ぜま〜す!」
手際良く進行していくのが見ていて気持ちいい。お菓子を作り慣れた人の言葉だなと思うが、何故しゃもじで混ぜたことがあるのだろうか?謎である。
「よく混ざったらケーキ型に敷紙を敷いて生地を流し込みます」
「敷紙は百均ので〜す!底と側面に合わせてカットされてるやつ!無ければクッキングシートを型に合わせて切って使ってくださいな〜。ちょっと上から落として余分な空気抜くの忘れずにね!これは1回か2回で留めといて」
「気泡を均一にする工程です。やりすぎると膨らまなくなります。……僕は初めてデコちゃんがこれやってるの見たときストレス溜まってるのかなと思ってました」
「何で今言うのさ〜!お菓子に当り散らすやべー奴って思ってたってこと!?確かに型を叩きつける金属音がパーンってするとびっくりしちゃうかもだけど!ここで予熱終わったので天板に型を乗せて灼熱のオーブンにGO!」
「180℃で1時間!いってらっしゃ〜い!」
時々飛び出すちょっと面白いエピソードが楽しい。トオルくんがケーキに「いってらっしゃ〜い!」と言っているのが何だか可愛くていいな、と思った。動画では焼き上がったケーキが型から外され、敷紙を剥がしてケーキクーラー代わりの網の上に乗せられている。
「完成で〜す!見よ!この黄金の輝きを!」
「甘酸っぱいオレンジと香ばしいアーモンドの香りで胸がいっぱいになります」
「ちゃんと冷めてから食べたいけど、この香り立つ馥郁は焼き立て限定なのだ!」
粗熱が取れたら冷蔵庫で3時間、とテロップが出て、サムネイルの切り分けられたケーキが一切れ映る。
「それではいただきま〜す!」
「いただきます。おお……しっとりふわふわ……口溶けが儚い……」
「甘いのに酸味が程よく残っててさっぱり食べられちゃう!お供のお紅茶はプリンス・オブ・ウェールズだよ〜ん」
「紅茶のスモーキーな香りがオレンジのほろ苦いところによく合います」
「皮ごと使ってるからちょびっと苦い!でもそれが良い!最高」
「ということで初投稿の動画でしたが皆さん楽しんで頂けたでしょうか?」
「これからも不定期に動画上げていきます!よろしくお願いしま〜す!」
「レシピを簡単にまとめたものを概要欄に掲載しておきます。ここまでご視聴頂きありがとうございました!」
「デコとトオルでした〜!」
恐らくデコちゃんの声であろう
«チャンネル登録し・て・ねッ!»
という軽快なジングルと共に動画が終了した。
オレンジ買ってきて作ってもいいな。凄く美味しそうだったし、ミキサーがなくてもぶんぶんチョッパーでどうにかなるっぽい。『デコとトオルちゃんねる』はまだ登録者が8人しかいないようだ。今後もこのわちゃわちゃした面白料理動画が見られる……?ポチッとこ。
チャンネル登録者数は9人になった。
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