17

「つまり、すべて殺人だったということか?この前のおまえの解説とは違って」

「気付いてらしたんでしょう?勿論」

どこかあきれたように神尾をみていう滝岡に、にっこりと笑顔で神尾が見返す。それに、視線を逸らしてコーヒーの入ったカップを手に取って。

 処は、いつもながらの滝岡総合病院外科オフィス。

 白を基調とした休憩コーナーのソファに座って、滝岡が天を仰ぐ。

「そもそも、おまえの説明していた根拠だけでは、御遺体の死因が他殺か自殺かを決めることはできないだろう」

「滝岡さんが突っ込みを入れずにいてくださってたすかりました」

にこやかに涼しげな笑顔でいう神尾を、滝岡が胡乱な視線で見返す。

「おまえな?…関もいたんだ。どうせ、あいつに何か考えがあったに決まってるだろう。それに、おれは感染症は専門ではないが」

「はい、気付かれましたか?」

「…気付くだろう。御遺体から遺物に移ったとして。どうして、吉岡さんが見つけられたという通りに、遺跡の出土品から採取された微生物に、ヒト由来の表皮常在菌がいるというんだ?」

難しい顔でコーヒーを一口飲んで見返す滝岡に、晴れやかな笑顔で神尾が返す。

「はい。流石滝岡さんですね。そこに気付かれるのは。その通りなんです。ここで、僕がタブレットをみていたときに、吉岡さんがいわれたときから」

どこかしずかな視線で神尾がくちにする。

「吉岡さんが、金沢の遺跡から採取された微生物の分析結果が、横浜の件と同じヒト由来だといわれたときから」

「――その分析は、…」

滝岡のいわない言葉を神尾が引き取る。

「ええ、もちろん、違いました。それは、吉岡さんの嘘だったんです。―――同じ特徴を持つ微生物を遺跡の微物から発見したと吉岡さんがいわれたときから」

言葉を切って、神尾が手にしたカップに揺らぐ表面をみつめて。

「――僕にはわかっていました。それが吉岡さんの嘘だと、…―――。そして、だから」

遠くを思うように、そのときを思い出すように神尾が僅かに視線を伏せる。

「…――僕に、金沢にいってほしいのだと、わかりました。何かを、探し出してほしいのだと、―――」

「それが、その滝田という人の事だったんだな」

滝岡の言葉に、神尾が無言でうなずく。





 犀川の流れは、雲を返して白く、あるいは空を返して青い。

 或いは、灰色に曇る嵐の予兆を抱く雲を返して、波立つ淡いに灰色の空を映す。―――


 吉岡は、警察官に挟まれてパトカーの後部座席に連れられて行く滝田の後姿を、身動ぎもせずに見つめて立ち尽くしていた。

 杏の碑と、黒い屋根瓦を乗せた白塀の前に、赤いランプの光を止めたパトカーの白と黒に別れたさまが、僅かにまだ散り残る花の、残花の風に散り敷く中に不思議に瞬間刻が止まったかのようにして目に焼き付いた。

 灰色に、白と黒に。モノクロームの世界に一瞬、世界が染まり、犀川の流れが運ぶそのさらさの音と共に、世界が何処か遠くへと運ばれてしまったような。

 まるで、そう。

 いまかれらが背にしている、不可思議な灯のもとに世界が創られて、時間がある意味止められてしまったかのような異空間を生み出していた。

「―――まるで、あの天幕の止まった空気が、…」

 瞬時の錯覚に秀一が思わずもくちにしかけてとめる。それに、神尾が不思議そうに首を傾げて。

「どうしました?秀一さん」

「いえ、何でも。なんだか、…。まるで、なんだか、…いまみてきたあの天幕の中が外に出たみたいだと思いまして」

 花が無音で散る錯覚に、それは、モノクロームの夢はほんの瞬時に消えたものなのだが。

「そうなんですか?そういえば、天幕の中に展示してあったものですが、一部は有機物を乾燥させたものを利用しているように見えましたが、管理が大変でしょうね。湿度をきちんと管理しないと、カビが生えそうですね」

「…―――神尾さん、…」

「はい?」

身も蓋もない神尾の感想に、思わず笑み崩れて秀一がその肩に手をおいて、ほっとしたように苦く笑うようにして大きく肩から息を吐く。



 すでにパトカーは滝田の身柄を運ぶ為に発進し、残る警察官達は現場検証の為に忙しく動いていて。

 残る彼らに対して見守るようにしている警察官達に、秀一が微笑む。

「ありがとうございます。僕達はこれから、どうすればいいでしょう?」

まだ肩に手を置いたままでいう秀一を、神尾が見る。

 それから、吉岡に視線を向けて。

「―――…吉岡さん」

 桜色に良く似た杏の花びらが美しく背後に広がる犀川の流れを受けて、風に舞い散っていく。

 動かない吉岡の背を、ただ黙って神尾は見守っていた。




「…あいつ、何にも話さなかったなあ、…―――」

ポケットに手を突っ込んで、犀川河川敷に降りて芝生の上を歩きながら、吉岡が河面を眺めて、空を仰ぐ。

 白波を立てる河面が反射する青空と雲の行く姿は、何処までもひろく。

「吉岡さん」

少し後ろを歩く神尾にいうのか、それとも。

「おれはさ、あいつに会えば、―――何か、少しでも聞くことができると思ってたんだ。…けど、ちがった。…」

噛み締めるように吉岡がいう。

「友達だと思ってたのは、おれだけだったみたいだな」

苦笑して、泣きそうに空を仰いで、それから。

 ポケットに突っ込んだ手を握り締めて。

「なあ、神尾、…だとしたら、おれのしたことは、そりゃ、そうでなくたって同じだが、…――あいつの犯罪を表にさらして、―――あいつを表に引き摺り出して、おせっかい処じゃないな。あいつにとっては、確かにとんだ邪魔者だ、…――」

痛むように顔を顰めて、空を仰いで。

 その吉岡の隣に、ゆっくりと神尾が並ぶ。

 しばし、対岸の建物群を眺めるようにして視線を運んで。

 河面を、橋の下からくぐるようにしてかすめて飛翔する鳥の影に視線を。

 飛ぶ鳥影が曲線を宙に描くようにして去り、空に軌跡を残すさまを見つめて。

「吉岡さん、それでも」

「…神尾」

「犯罪をその方が行ったというのなら、やはり、それは顕かにする必要があると思います」

「あのな、神尾」

少しばかりあきれた声で、まだ神尾の方に視線を向けずに空を仰いだままいう吉岡に。

「違いますか?吉岡さん。吉岡さんがご友人に対して何を期待されていたとしても、そして、それが受け入れられなかったとしても、です」

「…――厳しいな。慰めるとかないのか?」

ちら、といつもの調子をいくらかだが取り戻してきていう吉岡に、下流に架かるのがみえるアーチ形の橋に視線を向けて。返事をせずに神尾が、橋を支えるようにして足場が組まれているのをみて首を傾げて胸許からオペラグラスを取り出す。

「おい」

あきれてみる吉岡に構わず、オペラグラスで対岸に組まれた足場の前に置かれた看板を確認して。

「塗り替えをしているみたいですね。下を潜ってあの足場を近くからみられるようですよ?」

「いまその話題にもっていくか、神尾、…」

「そこの足場、どうもその上の橋裏に巣があるみたいですよ?」

「…マジか。って、かしてくれ」

神尾からオペラグラスを借りてみて、吉岡が食い入るようにみる。

「これ、渡るときはどうするんだ?」

「そこの石段から上がって対岸から降りたらいいみたいですよ?」

「だな、―――向こうにみえる船形みたいな処から降りて近づけるか?」

「行きましょう」

「だな」

オペラグラスを返し、吉岡が急いで河川敷から道へと上がり、見えていたアーチ形の橋を渡って、回り込んで反対側の河川敷へと降りる。

 船形に河近くまで降りる階段から、ガードレールが河側に設置された、下が一部暗渠となっている河沿いの道を橋に近づく。

 橋に近づこうとして、吉岡がぎょっとして足を止める。

 何処からどう降りたのか、黒い軽自動車が一台、ほとんど道をふさぐようにして止まっていた。

「ああ、工事関係者のか」

車内に置かれた道具類と、立看に書かれた工事期間等にあわせて書いてある事業者名が車のバックドアに書かれているのに吉岡が納得して、狭くなったガードレールと軽自動車の間を気をつけながら通る。

「おっと、あ、…――」

ペンキ等が置かれた足場は橋の下に架けられている。足場の一部は橋下を通る狭い道を利用して作られていて、対岸も同じように狭い場所を使って全体を支える造りとなっている。

 暗い橋下に架けられた足場の上。

「よくみつけたな、…―――こんな処に巣がな」

観察しながら、吉岡がどこか懐かしむように、温かいものを噛みしめるようにいう。

 鳥の巣は、暗がりにひっそりと作られている。

「鳥は、いるべき処をきちんとみれば必ずいる、か」

「教えてくれたのは先輩ですよ」

「…神尾」

「はい」

 暗がりに鳥の巣をみつめて、吉岡が言葉を探すようにくちもとを動かして。

 あきらめて、苦笑して首を振る。

「そうだったかもしれねーな」

「そうですよ。僕は憶えていますから」

「―――…おまえさんの記憶なら、おれより確かだな」

「はい」

「――そこ否定しろよ、…」

「どうしてですか?」

きょとん、と明るい黒瞳で見返す神尾に、あきれて吉岡の肩から力が抜けて、大きく息を吐く。

 それに、本当に不思議そうにみる神尾に笑って。

「いや、それでこそ神尾だ」

「よくわからないことに納得されている気がしますが、そろそろ戻りますか?」

「…おまえなあ、―――」

 どこまで計算だよ、と他所を向いて呟く吉岡に不思議そうな視線を向けたままの神尾に、肩に軽く手を置いて。

「いこーか?だな」

「はい。そういえば、そこに派出所がありますよ?パトカーを呼んでもらいましょう」

「…おい、パトカーを足代わりにするなよ、…」

アーチ状の橋――犀川大橋というらしい――のたもとに建つ、丁度工事の足場の上にある派出所をみていう神尾に、あきれて吉岡が云う。

 明るい苦笑を、そのくちもとに掃いて。

「おまえさんには敵わないな」

「何をです?ほら、青信号ですよ?渡りましょう。駅まで送ってもらいましょう」

橋の下から上がり、歩行者信号が青になったのをみて神尾が先に行くのにあきれて息を吐く。

「送らせるってな?マジでパトカーを足扱いするなよ、…」

そりゃ、俺達、戻る前に連絡するとか確かにいってた気がするが、それとこれとは違わないか?と。

 滝田を見送った杏の碑の向こうから。

 すぐに警察署に戻る気がせずに、河沿いを散歩したい、とわがままをいった吉岡だが。

 後を追って橋の傍に作られた派出所へと上がる階段を神尾が既に昇っているのに力が抜ける。

「――神尾、…。おまえって、本当に、神尾だな、…」

しみじみと背を見あげて。

「先輩、早くしてください。いまからなら、次の新幹線に乗れば今夜中に横浜に帰れますよ?」

「それはおまえだろ、――おれは北海道だよ、帰る先は」

だから、どちらかっていうと、金沢駅から新幹線じゃなくて、小松空港までいって飛行機で北海道なんだよ、おれは、といいながら階段を昇る吉岡を神尾が振り向いてみて。

「無理だと思いますよ?関さんが先輩にも事情を訊きたいといってましたから、一度、横浜に来られる必要があると思います。こちらの、金沢の警察には既にお話は一通りされたと思いますけど」

「…関さんって、あの、顔が怖い刑事さんか、…――――」

思わずも顔が引きつる吉岡に、神尾がにっこりと。

「関さんは、日本料理が一番得意なんですよ。とてもおいしい料理を作られますよ?」

「…おまえさん、メシに関する評価だけは、確かに使えるもんなあ、――――…って、おまえさんが旨いっていうなら本物だな。…って、刑事だろ?なんでだ?」

疑問に眉を寄せる吉岡に構わず、神尾が派出所の中に話しかけている。

「すみません、金沢駅まで送ってほしいんですが」

「――マジで訊くか、おまえさん、…」

あきれはてて空を仰ぐ吉岡の眸に、青い空に白い雲と。

 弧を描く、美しい軌跡を残して青空を舞う、鳥影が。

 鳥影の、…――――。

 運ぶそれは、なにか。


 吉岡は、派出所の警官に話しかけて困惑させている神尾の発言を聞き流しながら、青空を仰いで微苦笑を零していた。

 空が、青く流れる雲はすがたをかえて。

 二度と、同じすがたに戻ることだけはないのだと。

 それだけのこと、だと―――――。



 鳥の舞う青空は、白い雲に彩られ、美しい青を映す河面に涼しげな風が流れている。






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