12

「そんなことがあるなんてねえ、…――――」

美月の感慨に、みさきがうなずいて、その肩に手をおいて抱き寄せる。

「そうだな、…まだ寒いよ」

埋蔵文化財センターの外は、山奥というにはまだその入り口にすぎないが、町の灯からは既に随分と遠く、山の肌寒さはこの季節にも色濃く残っている。

 夜更けに仰ぐ闇。

 雲が流れる夜には、いつもは数多く観測できる星々も遠く夜を照らさない。

 美月は、みさきの温かさに寄り添って、しばらく無言で雲の流れる夜空を見あげていた。

「不思議だよね」

「本当にな」

 とても不思議で、哀しいことだと。――――


 夜空に落ちる星ひとつ、いまは見えない。








「その微生物は、人の肌にしか存在しないものだったからです」

美月達が息を呑んだ神尾の言葉が続けられていた。

「土器に付着しているはずの微生物は、たとえ有機物が近くにあったとしても種類が限られます。これまでに知られている微生物ではない為に、微生物は鑑定に出されたのですが、―――その微生物が人の肌にしか存在しないものだった為に、僕はその遺跡の中に死体があったことに気付いたのでした。それも、ある程度、新しい死体があることに気付いたのです」

「…―――だから、そーいうことははやくいってくれ、…」

ぼそり、とつぶやく関の言葉に反応する人はいない。

「遅くなりました、―――と、関さん、何文句いってるんですか」

いや、いなかったが遅れましたと断って入室してきた関の後輩であり同僚の刑事、山下がその文句に突っ込みを入れる。

 迷惑そうに小柄な山下が入ってきて隣に来るのをみて、関が追い払うように、しっし、と手を振る。

「手を振られても、僕は課長の代理ですからね。課長はこういうハイテクは苦手ですし、僕にしっかり情報を聞いてきてくれということですので」

ですから、退出しません、ときっぱり座った目線でいう山下に関がげんなりとした表情になる。

「あのな?…ったく、課長はどうして自分でこないんだよ?」

「あら、権堂くんでしたら、今日はどうしても外せない家族サービスがあるとかで、早上がりをしたそうですよ?かれにも外せない家庭生活はあるでしょうから、その安穏の為にも協力はしてあげては?」

「全然そう思ってないのに、よくいいますね、―――…。」

橿原がくちを挟むのに実に嫌そうな視線を関が送っていう。

 それに、しれっと微笑んでみせる橿原に、おぞけをふるって関が後ろを向く。

「何してるんですか、関さん。」

「―――前門と後門かよ、…」

ぼそり、という関に山下が眉を軽くあげるが、コメントしないのに関が眉を大きく寄せてくちを閉じる。

 それを待っていたのでもないだろうが。

 神尾が、タブレットを操作して映像を一堂に見える位置に投影する。

 各所でタブレットを見ている人達には投影ではなくタブレット上に画面が拡大されて表示されている。

 院長室では、院長の背中に当たる箇所に設けられたプロジェクターを映し出す壁面に拡大された遺伝子データの映像が表示されていた。

 その白黒で表示された遺伝子を示す濃かったり短かったりするバンドの十六番目に横線が引かれて番号が書かれているのを、神尾がポインタで指して。

「この部分の変異が共通しいていて、金沢の二件と横浜の一件が共通しているということに僕は気づくことができました。これを解析して、教えてくれたのは北海道大の吉岡さんです」

「チューす」

挨拶代わりに神尾の紹介に短くいって、どうやら片手を挙げたようなつもりの文字を使って工夫したような発言を、音声の他に文字データとして吉岡が流してくる。

 それに神尾が微笑して。

「吉岡さんの解析のお陰で、僕は金沢のご遺体、少なくとも二体と、横浜のご遺体が関連していることに気付きました」

「金沢が二体だと確定していたのか?」

滝岡が軽く手を挙げて問うのに、神尾が振り向いて首を振る。

「いいえ、確定はしていませんでした。少なくとも二体といったのは、同じ遺伝子データを持つ細菌叢を肌に持つ人体があるとしたら、はっきりと一体だと解っていた犀川河川敷のご遺体とは別に、観法寺遺跡では、さらに複数のご遺体が発見される可能性もあると考えに入れていました」

神尾の答えに、滝岡がうなずく。



「うわ、いやだ!複数ご遺体があったかもしれないっていうの?」

真っ青になっていう美月に、落ち着かせようとみさきが肩をたたいていう。

「落ち着いて、な?そうじゃなかったんだから、いいだろ?」

「よくないわよ!一つ、―――おひとり?だって充分いやよ―!」

思わず小声になって叫ぶ美月に、みさきが困り果てて見返す。



「おれが滝田の異変に気付いたのは簡単だった。ちょっと暇しててあいつのアカウントに連絡をとったら、らしくない返事があってな、――大学に連絡しても春休みで休暇をとっていて連絡がとれない、とかでな。論文で確認したいことがあって聞いたんだが、まともな返事が返ってこなかった。それで、な、―――たまたま、金沢に神尾が行くっていうから、頼んだのさ、――――いま考えてみれば、あのときもう既に滝田は死んでたんだな」

吉岡の落ち込んだ声が、タブレットから響く。



「それで、僕は吉岡さんに依頼されて、実地にデータを確かめにいくと同時に、滝田さんを名乗るアカウントと接触して、現地で必要になった機材を運んできてくれないか、依頼しました。いま考えれば、吉岡さんからの依頼だといえば、本当の滝田さんに会ったことのない僕に犯人が接触してきて情報を探ろうとするだろうという仮定に犯人が行動を起こしたのではなく、実際に、滝田さんの遺体が埋められていた遺跡を調べようという僕が現れたことに、犯人はいてもたってもいられずに接触してきたのでしょう」

神尾の続ける言葉に、金沢の埋蔵文化財センターで一緒にタブレットを聞いていた仲間巡査が、思わずも、そうだったのか!と声をあげている。



「そして、犯人はあの場に現れました。滝田さんのアカウントを乗っ取り、なりすましていた犯人、―――。勿論、あの人物は当初から怪しかったのです。本来なら、遺体が遺跡で発見された後、出入りが規制されていたはずの遺跡付近まで、封鎖していた警官に止められることなく、姿を現していたのですから」

「確かにそれもあったな、――――」

院長の反対側に当たる場所のソファに座って、ぼそりとつぶやく関に、冷たい視線を隣に座る山下が送る。



「三人のご遺体に共通していたのは、一つの微生物の遺伝子データ。共通する微生物が彼らからは発見されました。この際に考えられるのは、大きく別けると二つ。微生物がたまたまこの三名の肌に生息していた。そして、もう一つは、―――」

神尾が、三つの発見された箇所を示す地図を見ながらくちにする。

「それが、ある一人の人物から移動した、―――。つまり、ある一人の人物の肌に存在する細菌叢から、伝搬し移動した微生物がそこである程度生着した結果、検出されたというものです。――――…」

神尾の言葉に、関が眇めた目をして、くちを挟む。

「神尾先生、全然わからない。誰か解説してくれ」

「これは同意ですね。」

「…おまえな?」

関の言葉に簡単にうなずく山下に睨むようにみるが、まったく動じない山下に関が眉を寄せる。

「わかった、解説しよう。神尾、不足があれば補足してくれ」

「ありがとうございます、滝岡さん」

片手を軽くあげて、滝岡が解説を引き受ける。




「うわー、滝岡先生、良い声―!」

「み、美月?」

滝岡が話し出すのによろこぶ美月に、思わず隣でみさきが目をむいてながめる。

 それに、同僚や上司達、さらには仲間巡査達までもが同情する視線を送るのに気づかずに。



「神尾の云うのは、簡単にいうと、今回発見された指標微生物については、たまたま同じ微生物が、同じ遺伝子変異を持つ微生物が三人のご遺体の生前にばらばらに生息していたという可能性か。――」

滝岡が、その可能性が各自の中に根付いた頃合いを計って言葉を継ぐ。

「―――あるいは、ある人物がその三人に接触して、人と人との接触を介して、その微生物が接触の際に相手に付着した為に、後に御遺体からその微生物が見つかったという可能性の二つです。―――勿論、バリエーションをいえばもっと多くのパターンが考えられますが。ここはシンプルな可能性を、より蓋然性のある、ありそうな状況を想定して、この二つを選択したのだと思うが、どうだろう?」

穏やかに続ける滝岡の声に、神尾がうなずいて。

「はい、その通りです。そして、―――」

「わかった。シンプルな可能性って奴だな。―――つまり、一番ありうるのは、犯人が被害者―――今回の三名に接触した際に、人から人へ証拠となる微生物が移動したってことだ」

関の言葉に、滝岡がうなずく。

「つまりはそういうことだ。神尾も、当然そういう仮定をした上でのことだと思うが、どうだ?」

「はい。お二人のいう通りです。そして、その接触は、つまり、―――」

「この三人を殺した犯人によるものって可能性が高いってことか」

嫌そうな表情で目を眇めていう関に、滝岡が何とも不思議な視線を送る。関に同情しているような、あるいは、―――。

 どこか橿原に似た感情の読めない視線だといえば、滝岡本人は凄く嫌がることだろうが。

 滝岡の静かな感情のみえない視線に気づかず、関が続けている。

「それで、こちらも発表というか、成果というか、調べて話して構わない範囲でいいますがね。…神尾先生。―――あなたが確認にきた件の裏は取りました。事実でしたよ」

「わかりました、――――。そうですか」

神尾が痛ましいように視線を落とす。それに、橿原が。

「では、僕も知っている範囲の中で、漏らしても構わない情報を話しましょう。…――もう既に新聞記事にもなりましたから、漏らすという段階のことではありませんけどね」

滝岡がそちらを向かずに、しずかな視線を何処かにと置いている。

 それは、哀しむような、あるいは、…――――。

 感情のみえない橿原の言葉が部屋に響く。

 或いは、そのタブレットを通して、各地でこれをいま聞く人達のもとに。

 或いは、常に見えない感情の中に、哀しみを乗せて、――――。

「千枚くんの死因は、腎不全でした。―――末期の腎不全で透析を続けてきましたが、とうとうそれももたなくなり、もし生き延びる手立てがあるとしたら、後は腎移植を待つしかないという状況でした。それもしかし、勿論。」

 橿原の言葉は、低く独特の抑揚を持って響いている。

 響きは、波にのる音の空間を伝播する音声であり、あるいは。

 それは個人の声帯から響いて、鼓膜を振るわせて人の耳へと届く、空間の伝播する震えなのだが。

 声の持つ抑揚というものは、感情を排していてさえ、唯の音として耳に届くのではなく、何故かしら、それ以上の何かを。

 或いは、消していてさえ、目に見えない感情というものを露わに伝えているものなのかもしれない。

 人の声がもつ伝達の力は、単に音としてではない何ものかを、やはり確かに伝えるものなのだろう、―――――。








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