5 観法寺遺跡
観法寺遺跡は、日本海を望む小高い丘陵のただなかにある。一帯に広がる遺跡からは、弥生時代後期から平安までの遺構が発掘され、その中には土に埋もれた窯跡も残されていた。
緑に覆われた小高い丘からは、日本海のきらめきが光を返し波の柔らかさが近く望める。谷間から流れる川がみえ、小さな潟に流れ込む間からも遺跡と遺物が発掘されている。
丘陵は山崩れを起しやすく、遺構からはそれらの痕跡も発掘されている。
いまは使われず、人々の記憶からも消えていたその窯跡は、そうした山崩れに表面が覆われていた。
僅かに入り口らしき穴が地元の考古学に詳しい人物に発見され、そこから窯跡であることが発掘調査でわかったのである。
遙かな過去に作られた窯跡は、人々にも忘れられ、タヌキなどのけものがすみかとするほどのものとなっていた。
発掘により、いまは知られていない古代の寺を作る為に瓦などを焼いていたのではないかということがわかったが、近郊に記録でみられる寺に使われていた瓦の遺物等と発掘された遺物があわず、未知の寺が古代に建てられようとして、その為の窯ではなかったかという推測がなされた。
観法寺遺跡にある窯跡の寿命は短く、遺跡から発掘された瓦等の様子からもあまり長い間使われたものではないことが推測された。
古代のほんの短い時期に作られて、山肌に煙をあげていたであろう窯跡は、何の為に作られたのか。
この窯が、瓦などを焼くために作られたはずの寺は、一体、何処に造られたのか。
あるいは、寺は造られようとしながら、実際に造られることはなく、それに従い窯も放棄されたのか。
遺跡から出る遺物からは、はっきりしたことはわからず、何もかもが後世の推測になるのだが。
未知の寺は、果たして何処にあったのか。
或いは、永遠に建てられることは無かったのか。
観法寺遺跡の窯跡は、沈黙している。
その窯跡は、いまは発掘後の保存をどうするかを決める為に一旦ブルーシートに覆われ、内部を伺いみることは出来ない。
緑の美しい丘陵の直中に、山肌に這うようにして青いシートが敷かれてあるのがみえるのが、観法寺遺跡の窯跡である。
泥の塊が、わずかに砂を纏い転がるように落ちていった。
落ちる先は闇に見えない。僅かに上方斜めから射す日の光は、土に覆われた内部にまで届いてはいない。
土塊が落ちる、おと。
さっ、と黒い塊が走って逃げたと思えたのは、あれはけものだろうか。
地元では、この埋め穴は、動物、たぬきか何かの棲み家になっているといわれている。
穴には砂を纏い、また土塊が落ちてきていた。
随分と、周辺の土質がもろいのか、あるいは最近、雨か何かでも大量に降ったのか。
土に埋もれている穴を空気の抜ける日の射す上方までも埋めてしまおうというように、山肌が僅かずつ崩れて、少しずつ土が増えていく。
闇に射す光が、少しばかり角度を変えていた。
日の傾くほどに、斜めに射し込む日の光が束となって流れるように、急に吹く風にさらに上で遮っていた樹木の枝でもが揺れた拍子か。
光が、斜めに大きく射し込んだ。
誰も、見るもののないその場所に。
白い、ふやけた、―――あるいは、何かの。
黒く闇に埋もれる土塊の中に埋もれて。
まるで、けものではなく。
白い皮が、――――…或いは、その埋もれた形は。
丸く現れた日の光に闇に土塊の中に埋もれた、それは、まるで。
一瞬、まるで裸の人の肩のように、――――――。
暗闇に射した光は一瞬で揺れて消え、周囲は闇に戻った。
土塊が、ぽろり、と音を立てて土に露わになった白い肌に落ちる。
土塊はほろほろと集まり、現れている部分を埋もれさせていく、―――――。
観法寺遺跡を管理する県立埋蔵文化財センターに勤務する如月美月は、観法寺遺跡の今後について考えていた。
美しい黒髪を長く伸ばしているのが唯一のおしゃれだと友人達によくいわれる、それも無造作に一つにまとめただけだが、―――背に、紺のスタッフジャンパーを着て、県の職員が着る作業着姿で机に向かいながら、今後の計画についてぼんやりと考える。
パソコンと書類その他が適宜散らばっているデスクは、この埋蔵文化財センターに来てからずっと美月が使用しているものだ。
結婚して如月姓になったとき、月が二つ重なるなんて、と思ったこともあったが、この職場に来た当初に美月が最初の事務作業として各自のパソコンに貼ったネームシールで作ったアルファベットの頭文字も結婚前のまま、いまは二人の子供にも恵まれて、遺跡や発掘に係わる仕事をこれまでずっと続けてきた。
その中でも、特に観法寺遺跡の窯跡に関する仕事は、感慨深いものだ。
遺跡を発掘する仕事には学生時代から興味があったが、この埋蔵文化財センターに配属されてから、より深く係わり、仕事として接することになってよく見えてきたことが沢山あった。
その一つが、思ったよりも、というのが失礼だが、この事業を始めてみて、遺跡と普段はかかわりのない暮らしをしている一般市民の方達が、とても興味をもってこの事業に接していてくれることだ。
文化財を守る、遺跡を発掘するというが、それらは実際にすぐに目に見える何かの役に立つ、雇用を創出するというような、いわゆる経済に資するお金の稼げる事業ではない。
むしろ、遺跡の発掘は建設予定の工場や施設の予定を遅れさせ、あるいは変更させてしまう危険まで孕んだ、ある意味厄介者と捉えられても仕方がない面のある事業だ。
お金も、そして、無論必要になる。
主婦としても美月は、税金や物価といったことに無関心ではいられない。
勿論、スーパーの特売日は空でいえるし、どちらかというとポイントカードを作って財布を膨れさせてしまって、さらに、子供たちの買い物にしても、ポイントの溜まるポイント何倍デーとかを狙ったり。あるいは、スーパーのカゴに特売品が集められているコーナーがあったら、必ず覗いてしまう方だ。しかも、半額とついていると、いらないものでも買ってしまって、ストックを増やしてしまう方なのだが。
特売を見つけて、見切り品半額のコーナーで賞味期限を確かめて買うのはいいのだが。
県民の財産である税金を使って、保存する遺跡には無駄があってはいけない。
いま、美月がぼんやりと、年度末の書類を書き上げて、上司に提出する書類の不備を確認して少しばかりほっとしながら考えてしまっているのは、まだ保存方針の決まっていない観法寺遺跡についてだった。
特に、自分が選任で当たった初めての遺跡になる観法寺遺跡窯跡群についてだ。
興味深い遺跡であるのは確かなのだが、はたして今後、全体を保存していくことに税金を投入していいほど貴重な遺跡であるのかは正直判断が出来なかった。勿論、それについては遺跡を発掘した責任者であることの客観性のなさもある。
古代の寺に供給する為の瓦等を焼いたと思われる遺跡だが、それに相当する寺が、これまで知られている中にはないこと。
いまでは廃されて長いこともあり、記録等が見つかっていない窯跡であること。
さらに、異物として出た焼き物が少なく、窯を拡張したらしき跡などが残り、それらが何故行われて、いつ使われてほどなく廃棄されることになったのか、――――。
謎はいくつも存在しているが。
近くで発掘されて、大きく新聞にも載った鎌倉時代の金箔の施された傘塔婆がもつような華やかな要素は一つもない。いや、華やかな要素が遺跡に必要という訳ではないが、話題性に欠けるということは確かだ。
別に、話題性が遺跡にとって大事な訳じゃないけど。
予算ということを考えると、話題性というものは確かに必要な面があるのかもしれない、と思う。
実際、そうしたことをおいても、いまこの遺跡がどれだけの予算を投じて発掘の継続や、あるいは保存という処置をとっていいものかどうかが、美月には解らなかった。
担当者として、保存されてほしい、という気持ちもある。
だが、他にも貴重な遺跡は多々あり、どれもが大切な遺跡であり、遺物でもあるのだ。
一方に開発や何かという問題がなくても、現在を生きる人間が最重要であることに変わりはないのだから、とか考えだすとどんどん自信はなくなっていく。
もっと調べたい、という思いと、遺跡を保存してしっかりと後世に残せるものにしたい。―――
その思いと、予算とはいつも相反するものだ。
その上、これまで責任者として担当していなかった遺跡をみるのとは、やはり客観性が数段も落ちる。
遺跡をこれからどう保存していくのか。
実際に、いまだ年度末を迎えてその結論は出ておらず、来期の予算審議に諮ることになるまで、棚上げの状態にある。
問題は、それに対して、保存を求めるなら、その主張を纏める責任者が自分だということだ。
はたして、客観的にデータを纏めて、押すことができるだろうか?
勿論、担当者が押したから、遺跡の保存がすぐ決定するなんてことはない。
当然、審議に諮られて、他の遺跡とのバランスや予算との兼ね合いが結局は決定することになるのだが。
はたして、確信をどれだけもって観法寺遺跡が保存されるべき、ということができるだろうか?
そもそも、どれだけの価値があるのだろう。
他の担当者が発掘した遺跡については、これを保存に押したい、あるいは、これは残念だけれども埋め戻して、遺物の保存等でいいのではないか、と考えた末にでも意見をいうことができた。
けれど、観法寺遺跡に関しては。
発掘した遺跡に関しての客観的な価値と、それに対してどこまで主張を、保存や発掘の継続に予算をつけてほしいかを主張することを―――。
どうしたいのだろう?
担当者としては、もちろん発掘を続けたい。そして、遺跡の窯跡が何に使われていたのか、さらに事実を追及したかった、だが。
今後、観法寺遺跡がどうなるのか。
結局は、決定するのは自分ではないのだから、という安堵が、悩む美月の中にはある。
予算を取ることができないことに憤ったり、あの遺跡は保存されるべきです、と主張したりしていた時代が、少し懐かしかった。
これ以上発掘を続ける価値があるだろうか?
主任研究員として、責任者として美月は、その報告書を書かなくてはいけない。
どうしたらいいのか。
救いは、、年度末に関する書類が優先で、来期に予算を決定する予定の観法寺遺跡については、まだ考えなくてもいいことだ。
といっても、考えなくてはいけない時期までに、自分の中での方針は決定しておかなくてはならないのだが。
―――近い内に、もう一度遺跡にいってみよう。
子供たちの送り迎えや、家事のあれこれ。仕事のとの狭間でこなさなくてはいけないことを頭の中で数えなおして、業務外に時間を作ることを美月は心の内に決定していた。
――民間で古代の地方史を調べておられる古木さんにも連絡してみよう。
観法寺遺跡の窯跡は、実は古代の遺跡等に興味を持つ民間人、その地方に居住している郷土歴史家の古木という人が、埋もれていない横穴の一部を発見して、埋蔵文化財センターに連絡してきてくれたことから発掘が始まっている。
――そうだ、古木さんに連絡して、一緒にもう一度遺跡を見てもらおう。
客観性という点ではお互いにまったくないかもしれなかったが。
遺跡に対する視点という点では、特に郷土史家である古木氏には、地元の遺跡を保存することに関する熱意と、地元の事情に精通しているという強みがある。
――それに、古木さんは遺跡を保存するばかりでなくて、地元の商工会とかにも顔がきく人だから、保存ということなった際の地域の人達の反応も聞けるかもしれない。
開発ばかりが優先されなくなった最近は、遺跡を使っての地方起こしといった点で考える人も多くいる。観光に使えるような派手な要素はない遺跡だけれども、もし遺跡を残す方向で整備されるとなれば、その窯跡を使ってどのようにその地域に住む人達の生活に益することになるのかが、重要な点にもなる。
――そうしよう。次の休みに、子供たちをあずかってもらって、…―――。
午前中だけなら、あるいは、午後二時くらいまでなら時間をとれるかもしれない。休み時間に古木さんに連絡を取ることを決めて、美月は仕上げた書類を纏めると、上司に提出する為に立ち上がっていた。
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