Chase Rainbows
浅野エミイ
第一部
Chapter1
1985年に入って3ヶ月経った夜、僕は一つの脚本を書き上げた。
今まで書き上げた数百以上の脚本の中で、おそらく一番よいできだろう。
これを持って、ブロードウェイの隅っこにある「Maroon cafe」に今日も出勤する。
「Maroon cafe」は、トムの母親の代からやっている、小さなカフェだ。
今ではトムと、娘のアンジェ、それにバイトの僕の3人で切り盛りしている。
店自体は広くないけど、コーヒーと、シュリンプと野菜がたっぷりサンドされている
Maroonバーガーがうまいから、評判はいい。
「おはよう。トム、アンジェ」
「ハイ、ロン。何だか疲れた顔してるわね。また徹夜でもしたの?」
カウンターを拭いていたアンジェが、からかうように僕の目の下を指した。
壁にかかっている鏡を見ると、目の下にはクマがくっきりとできている。
「また脚本?」
「まぁね。今度はかなりの自信作。後で見てよ、トムも」
僕はカウンターの中で、メニューの下準備をしているトムにも声をかけた。
トムは僕のほうに向き直って手を出したので、僕は持ってきた脚本を渡した。
「今回はオレが面白いと思えるような内容なんだろうな?」
ページをパラパラとめくり、にやりと笑う。
彼は小さい頃からこの演劇が盛んな街で育ってきたため、ミュージカルや演劇、芝居なんかにはかなりうるさい。
たまに僕以外の脚本家志望の人間もトムに脚本を見せにくるくらいだ。
『大衆にうけるためには、第一に目の肥えた一般のファンをつけろ』。
そういうことだ。
「パパ、私も一緒に見たいんだから、仕事が終わってからにしましょ」
ついそのまま脚本を読もうとしていたトムを、アンジェが軽くたしなめる。
娘に注意されたトムは、それをレジわきに置いて渋々と下準備に戻った。
僕もスタッフルームに行き、エプロンをつける。
もう一度、今度はスタッフルームにある鏡を見る。確かにひどいクマだ。
それでも眠くないのは、きっといい脚本が完成して、テンションが高いからだろう。
でも念のため、仕事前に、トムにコーヒーを一杯入れてもらおう。とびきり濃いヤツを。
スタッフルームから出ると、僕の考えなんかお見通しのように、すでにコーヒーがカップに注がれていた。
「飲むだろ?」
トムが窓のスクリーンを開けながら、大声で言った。僕は「もらうよ」と告げて、カップに口をつけた。スクリーンが上がると、外をホウキで掃除しているアンジェの姿が見える。
「お前もさ、脚本家なんて夢見ないで、うちのアンジェと一緒になって、店継いでくれよ。」
突然のトムの言葉に、僕は口に含んでいたホットを吹き出しそうになった。
「ちょっと、知ってるでしょう! アンジェと僕は6つも離れてるんだよ?」
「だから言ってるんだよ。あいつ、26にもなってボーイフレンドの一人も連れてこねぇ。しかもいつまで経っても『パパ、パパ』ときたもんだ。これじゃアリエルに示しがつかない」
僕がこの店でバイトを始めるちょっと前までは、アンジェも普通の女の子だった。
アンジェ目当てでこのカフェに通うヤツも居たくらいの人気者だったらしいし、ボーイフレンドもいた。
だけど、アンジェのママ、アリエルさんが亡くなってからは、ずっとこのカフェ一筋だ。
「それでも、お前の脚本を読んで楽しそうにしているときは、店やオレ以外のことを考えてる。それに、お前もだ。いつまでも脚本家なんかになりたいなんて夢を追っかけてると、ろくな事にならねぇぞ」
トムはこの街で、何人も夢に破れて廃人同様になっていった人間を見てきている。
脚本家・演出家・ダンサー・役者。故郷に帰った人間はまだいい。
最悪だとドラッグに手を出したり、自殺する人間もいる。
トムは僕がそうならないように、心配してくれているのだろう。
でも、このブロードウェイにはそれでも尚、夢に挑もうとしている人がいる。僕もその一人だ。
「トムの気持ち、ありがたく受け取っておくよ。だけど、今はやれるだけチャレンジしていきたいんだ」
「ふん」
トムはタバコをくわえて火をつけると、ドアにかかっているプレートを裏返した。
「さぁ、開店だ」
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